もちろん作品での表現は何やったって自由ですよ。でも私の留学中くらいから日本の演劇界でもPCとかハラスメント防止とか、あるいは社会問題への関心配慮があることをみんな表に出すようになって、それなのに?ってやっぱり思うんですよ。私はどちらかというと作家と作品は別と考えている人間で、だから自分でも矛盾していると思うけど、あなたの想像する世界の中に世の中のことそんなに入ってこない?ってやっぱり思っちゃう。意識的に切り離しているのかもしれないけど、だとすればその社会と関係を持たなくなってしまった作品をなんで私が(作家にしたら個人的な関係もなく世の中の一人でしかない私が)観なきゃいけないんだと思ってしまう。そういう作品に特別の説得力を感じられないな、と思いながら一年近く経った。
ただ、理由や根拠みたいなものを求めるようになってしまったのはイギリス演劇に慣れたからだなとは思う。イギリスの作品を理屈っぽいなと思うこともないではないし、ロジックがないからこそ日本の演劇が面白くなった側面もあるとは思う。だから出羽守にはなるまいというのは一番気を付けてる。でも、このまま東京の演劇に慣れたとしてまた楽しめるようにはなるかもしれないけど、だからといってイギリス演劇はダメだなという評価にはならないと思うんですよね…。
東京の演劇、留学行く前は、退屈だなと思う時ももちろんあったけど、無理って思うことはごく限られた作品だけだったと思う。私の見方も変わったのだろうし、東京の演劇シーンも変わったのかもしれない。(作品の中身だけの話ではないけれど、やっぱりコロナ禍を経ての変化はこの一年とても感じた。)
あと、もしかして東京だけの話かもしれない?とはちょっと思っている。他の地域の作品を観れているわけではないのでこれこそ感覚的な判断だけれど、まぁここはもう個人の感想です、で済ませてください…。
最初の投稿の「自分の中で結構これはまずいんじゃないか」っていうのは、私の感覚がやばいかもって感じているって話です。まぁ開き直ってますが。