これはただの愚痴なんですが、帰国していわゆる東京の小劇場の若手、中堅と言われる世代の作品を観て、意味がよくわかんなくて帰ってくるということが観劇したうちの7割くらいの作品で起こっていて、自分の中で結構これはまずいんじゃないかと感じていたりする。でも、「愚痴」と書くように、そこにはちょっと開き直りもある。特定の劇団、アーティストがまるっとダメというわけでもなくて、同じ人の作品でもAの作品は楽しめて、Bはダメみたいなことも良くある。
一つはっきり原因が説明できるのは、いろいろなレベルでのナイーブさを私が受け付けなくなってること。本当に政治に興味ないんだろうかと思わざるを得ないぐらい、作中に社会性のあるワードが出てないことに苛立ってしまう。テーマどころではなく、言葉の一言レベルで出てこなくて、フィクションにしたって本当に作り手の頭の中にしかない世界じゃないかと思ってしまう。良く書けるなとさえ思う。
もう一つは、理由や背景がわからない演技や演出がとても多いこと。感覚的に動いた・話した、と言ってしまえばそれまでだけど、その直感的な選択にあなたの(政治的な)価値判断がないとはいえないでしょう、とは思う。単刀直入に言えば、身体障害にリファレンスがあるとしか思えない動きって帰国して何度か見た。

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もちろん作品での表現は何やったって自由ですよ。でも私の留学中くらいから日本の演劇界でもPCとかハラスメント防止とか、あるいは社会問題への関心配慮があることをみんな表に出すようになって、それなのに?ってやっぱり思うんですよ。私はどちらかというと作家と作品は別と考えている人間で、だから自分でも矛盾していると思うけど、あなたの想像する世界の中に世の中のことそんなに入ってこない?ってやっぱり思っちゃう。意識的に切り離しているのかもしれないけど、だとすればその社会と関係を持たなくなってしまった作品をなんで私が(作家にしたら個人的な関係もなく世の中の一人でしかない私が)観なきゃいけないんだと思ってしまう。そういう作品に特別の説得力を感じられないな、と思いながら一年近く経った。
ただ、理由や根拠みたいなものを求めるようになってしまったのはイギリス演劇に慣れたからだなとは思う。イギリスの作品を理屈っぽいなと思うこともないではないし、ロジックがないからこそ日本の演劇が面白くなった側面もあるとは思う。だから出羽守にはなるまいというのは一番気を付けてる。でも、このまま東京の演劇に慣れたとしてまた楽しめるようにはなるかもしれないけど、だからといってイギリス演劇はダメだなという評価にはならないと思うんですよね…。

東京の演劇、留学行く前は、退屈だなと思う時ももちろんあったけど、無理って思うことはごく限られた作品だけだったと思う。私の見方も変わったのだろうし、東京の演劇シーンも変わったのかもしれない。(作品の中身だけの話ではないけれど、やっぱりコロナ禍を経ての変化はこの一年とても感じた。)
あと、もしかして東京だけの話かもしれない?とはちょっと思っている。他の地域の作品を観れているわけではないのでこれこそ感覚的な判断だけれど、まぁここはもう個人の感想です、で済ませてください…。
最初の投稿の「自分の中で結構これはまずいんじゃないか」っていうのは、私の感覚がやばいかもって感じているって話です。まぁ開き直ってますが。

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