どうやら Notion のサーバが落ちてるっぽい。
生きることすらままならないときに、それでも自ら歌おうとすることは、雑な表現になってしまうけど「意味がある」と思う。
一方で、そういう人に対して、生きるのに特別な不自由の無い人が歌うことには、あまり意味がないんじゃないか、などということをぼんやり考えている…
AIによる生成と人間による創作の違いは、「作品を形にする作業」としては全く違うものというわけではなく、同じレイヤーにあるんじゃないか。
重要なのは、人間一人ひとりの体験と記憶の差異だと思う。
だからこそ私は「記号」に敏感でありたいし、自分の創作においてはそれをなるべく排したい。
クリックアドベンチャーといえば、『Myst』シリーズも好きで第4段までは追っていた。
でも特に思い出深いのが『L-ZONE』。人の気配が無く少し不気味で、当時は怖がりながらやっていたけど、なぜかすごく覚えている。今見るとギークの遊びがこれでもかと詰まった、ものすごい贅沢なゲームなんじゃないかと思う。要所要所で聴けるエレクトリックな曲もどれもかっこいい…
https://www.youtube.com/watch?v=Hn7cJQhkyng&feature=youtu.be
この動画の5:20あたりからの部屋って、モジュラーシンセスタジオじゃない…?
わあ…この写真、めちゃくちゃ良い…
古のクリックアドベンチャー『Gadget』を彷彿とさせる。
まだ物心がつくかつかないかくらいのときに、何もわからないままポチポチするだけで楽しかったノスタルジックな記憶が…
https://en.wikipedia.org/wiki/Gadget_–_Invention,_Travel,_&_Adventure
QT: https://photog.social/@haraldhux/111952024363212715 [参照]
来週また東京に行くし、来週末までの札幌国際芸術祭に行っておきたいし、来月半ばまでの重めの仕事があるし、それとは別に来月から新たな楽曲分析講座が始まるし、あれ?ひょっとして忙しいのでは?
ここ数日色々なスマホ音ゲーを試して、その体験を考えている。
見るべき箇所が定まった一点であることと、音またはそれに代わるわかりやすい視覚的なフィードバックがあることが、楽器経験はあるが音ゲー素人の私には重要な要素だと感じた。これが揃ってると、楽譜を初見で追って演奏しているのと近い感覚で遊べる、つまり楽器による音楽体験と近くなる。
ノーツが現れる場所が一定でなかったり、叩く直前まで揺れ動いたりすると、視覚的にリズムを予測できず、音楽というよりは反射的にノーツを追うアクションゲームに近づく感覚がした。楽譜を見ているときにその楽譜をずらされたりひっくり返されたりしているみたいで、それはやめてくれよってなる。
フィードバックは、単純にどのノーツでどう誤っているかがその場でわかることだけど、リズムがジャストでもずれてても同じ音がしたり、叩いている場所で少し色が変わってるだけだったりして、意外とちゃんとフィードバックしてくれるゲームは少ない気がする。
イディオム「it would not do (it won't do/it will never do)」を新しく知った。
will の時制や not と never の入れ替わりによるバリエーションはあるけど、どれも「適切ではない」「よろしくない」という意味になる。
例文:
✍ It won't do to arrive late at such an important meeting. (そんな重要な会議に遅刻するのは許されない)
✍ It would not do to overdraw the significance of these echoes. (これらの [創作における] 影響の重要性を過大評価するのは適切ではないだろう)
サウンドプログラマ/フロントエンドエンジニア/大学非常勤講師として働く傍ら、芸術やコンピュータサイエンスなど雑多に勉強中。
サウンドアート、インタラクティブアートの創作も細々と。