私は世界の見え方を芸術作品によって再確認・再構築することを目指しているのであって、芸術そのものの範囲や領域の拡張・再定義や「これはアートなのか?」という問いには興味が無いことを自覚した。私にとって飽くまで芸術は手段なんだ。
#研究日誌 更新。芸術作品はコミュニケーションメディアなんだろうか、そもそも何らかの機能を持っているものなのかというところを探り始めています。
https://note.com/maisukegawa/n/ncdac7ae5faf8?sub_rt=share_pw
noteで研究日誌をつけ始めてみた。まだ内容が本当に何も無いけど、エイヤで公開しないと何もアウトプットできない人間なので…エイヤ。頑張って続けます。
https://note.com/maisukegawa/n/n5517d31c4fe8?sub_rt=share_pw
どうやら Notion のサーバが落ちてるっぽい。
生きることすらままならないときに、それでも自ら歌おうとすることは、雑な表現になってしまうけど「意味がある」と思う。
一方で、そういう人に対して、生きるのに特別な不自由の無い人が歌うことには、あまり意味がないんじゃないか、などということをぼんやり考えている…
AIによる生成と人間による創作の違いは、「作品を形にする作業」としては全く違うものというわけではなく、同じレイヤーにあるんじゃないか。
重要なのは、人間一人ひとりの体験と記憶の差異だと思う。
だからこそ私は「記号」に敏感でありたいし、自分の創作においてはそれをなるべく排したい。
クリックアドベンチャーといえば、『Myst』シリーズも好きで第4段までは追っていた。
でも特に思い出深いのが『L-ZONE』。人の気配が無く少し不気味で、当時は怖がりながらやっていたけど、なぜかすごく覚えている。今見るとギークの遊びがこれでもかと詰まった、ものすごい贅沢なゲームなんじゃないかと思う。要所要所で聴けるエレクトリックな曲もどれもかっこいい…
https://www.youtube.com/watch?v=Hn7cJQhkyng&feature=youtu.be
この動画の5:20あたりからの部屋って、モジュラーシンセスタジオじゃない…?
社会人大学院生: サウンドプログラマ/フロントエンドエンジニア/大学非常勤講師として働く傍ら、インタラクティブアートやサウンドアートについて研究中。作品制作も細々と。