藝大の大吉原展。来週末で終了、ということもあってか結構な混雑。
藝大が吉原をテーマにすること自体は何の問題もない、むしろテーマにすべきだと思う。吉原は現キャンパスからは目と鼻の先、明治時代に設置された前身である東京美術学校の教員や学生にも、吉原に遊んだ者たちはいたであろう、ことを思えば。
展示は前評判のとおり、遊女たちの浮世絵がものすごい数。とても、一枚一枚を鑑賞するパワーもなく、ふわふわと意識が飛びだす。なぜこれだけ、吉原の遊女が浮世絵の題材となったのか。役者絵しかり、他にもさまざまな題材がある中で、なぜ。
職業画家の作品である以上、「売れるから」が一つの回答に違いないだろう。そうすると、そこには市場があり流通があり、何より買い手がいた筈。誰がなぜ、遊女絵を買ったのか。その答えは展示の中にはない。
藝大が今日このような展覧会を行えること、ひいては藝術でメシが食えるということの源流にある、この問いのない展覧会って、やっぱり単に「集めてみました」にしかならない。AKBを語るなら秋元が構築した消費・搾取システムを抜きにはできないように、そこを突っ込まないと…と思うわけで。 1/2
誰かの「あいつズルい」という評価と実際にズルいかは別だと思うんですよ。「あいつズルい」と名指される対象が必ずしも実際に不誠実なことをしているわけではない。
生活保護もらってる人も公営バスの運転手も別にズルいことはしてない。
こんなのはもう西側諸国全員の罪だよ。何も変えられずに安全な場所から連帯を叫ぶだけの自分の罪深さに吐き気がする。それでも声は上げないといけない。世界中の心ある人々、クソッタレな国家に抑圧されている、口を塞がれている、無視されている、あらゆる場所にいるそれこそイスラエルの中にもいる、心ある人々とともに私はパレスチナに連帯する。
#FreePalestine
#StopGenocideInGaza
#CeasefireNOW
#ラファに手を出すな
#HandsOffRafah
(T.Katsumiさん続き)
精神障害用語としての症状としての〜phobiaは、たとえばclaustrophobia (閉所恐怖症)、acrophobia (高所〜)、anthrophobia (対人〜)等、厳密に“何かを恐れる“「恐怖症」の意味として扱われるが、個人の精神障害のコンテクストと集団的・社会的なそれでは意味が変わる。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4a26e2596d638e9a37a808b3c70280e3631d85a4
だからxenophobiaは「外個人嫌悪」、islamophobiaは「イスラム嫌悪」と訳される。それだけに、バイデン大統領が「外国人嫌悪」を使ったことの意味は重大かつ深刻でもある。
日本の社会に内在する「外国人嫌悪」の性質は、少子化が進む中で必要不可欠な外国人の受け入れを推進する上で大きな障害となっており、これ以上の経済成長の可能性を妨げるであろうという意味で的確だ。
それは、たとえ外国人労働者の受入拡大(「技能実習生」制度など)を行なっても、この「外国人嫌悪」が根強いため社会全般が革新的な政策についていけず、政策が有効に機能しないことにも表れている。社会が「外国人嫌悪」の殻を破れないでいるからだ。
"競走馬を少女に擬人化したゲーム「ウマ娘」のブームや、コロナ禍を背景としたネットによる馬券購入の増加などを受けて、競馬市場が好調だ。日本中央競馬会(JRA)の馬券売り上げは12年連続で増加、地方競馬では昨年、過去最高を記録した。その一方で、市場が活況になるほど競走馬の生産が増え、引退後の行き場は限られているという現実がある。 国内外でアニマルウェルフェア(動物福祉)の関心が高まるなか、業界が今春、引退した競走馬のセカンドキャリアを支えようと本格的に動き始めた" https://digital.asahi.com/articles/ASS4H212FS4HUGTB00GM.html?ptoken=01HVHZB98B5DYDDFVWZWNQGYDT
「さよならTポイント」、衰退の背景に屋台骨の難題
プログラマ。MZ-80K2EのS-OSをフルスクラッチで書き直したのが自慢。カセットテープのボーレートも変えたんですよスゴいでショ。