今まできっとできるんだろうけどやり方がどうもよく分からない、という音声編集のテクニックみたいなのがあったんだけど、試しにChatGPTに聞いたら懇切丁寧にやり方教えてくれた。
で、設定方法の部分でどうにも分からないところがあったから、スクショ撮って「こういうことか」と聞いてみたり「これのどの部分のことだ」と聞いてみたりしたら、これもかなり的確に答えてくれて、めちゃめちゃ助かった。
で、スクショとか使ってるから視覚的な表現が出てくるかと思いきや実は全然そういうの出て来ないのがなんか面白いなと思う。
こちらが眼が見えないなんてことは一言も言ってないのにこのレベルで説明ができるということは、つまり視覚的な要素に言及する説明って実はほとんど必要ないのかもしれなくて、人は負けているかもしれないと思った。
Markdownで書いてる報告書に、Googleスプレッドシートから数値を拾って転記して表を作る、というタスク、一昨年まではまとめてコピペしてから、タブをうまいこと正規表現駆使して置換してtableにする、という気の遠くなるようなやり方してたんだけど、去年ふと思い立って、スプシで選択している範囲から値を拾って良い感じにtable関連タグる付けた状態に変換してくれる、というGASを(AIが)作ってだいぶ作業が楽になった。
で、今年はさらに怠惰になるべく、1セル選択している状態で実行すると、そのセルから右方向と下方向の次の空白セルを探して範囲を決定して、さらにそのセルの左上のセルに値があればそれをcaption要素に入れる、という改造を(AIが)したので、作業が本当に楽になったし、ミスの心配もかなり減って非常に良い。
@chuff_chuff09 当事者の割合もそうなんですが、たぶん当事者を直接知ってる人の割合がかなり減ってるんじゃないかという気がしています。
見出し見て、あの知事に対する的外れな批判に関するものかと思ったら、的外れな擁護に関する話だった。。。なんだかなあ。。。こういうの見ると、SNSの悪い部分が良い部分を軽々超えてしまった感じがするなあ。
告発兵庫知事:「港湾利権にメスで潰された」は誤り 監査に斎藤知事の関与なし | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240920/k00/00m/040/121000c
僕は今も障害者運動に類するものとはそれほど近い位置にいないのだけど、若い頃はもっと意識的に距離を置いていた、というか避けていた。それは、今思えば自分はそういうことしなくても社会の中でやっていけてるし、みたいな思い上がりがあったからなのだろうと思うけど、ともあれそんなだったから、アクセシビリティーが障害者が何かを求めている、というような見られ方をされないようにということをすごく意識してた。それもあって、「アクセシビリティーは決して障害者だけのためのものではない」ということを、必要以上に強調してしまったのだろう。
でも、結局30年近くこの分野でやってきて、そもそもその姿勢が良くなかったんだなあと反省してる。
技術論はちゃんと発信さえすれば、必要性を感じている人には届くけど、考え方はそう簡単には浸透しない。だから先人も、そして今活動している当事者も苦労し、いまだに運動を続けなければならないのだろう。
アクセシビリティーに真剣に取り組むということは、それは社会運動、人権運動に取り組むということなのだということを、ここ数年ずっと考えてきたけど、先日の名古屋のイベントの様子を見てそれが確信に変わった感じがする。
アクセシビリティーの技術的部分というのは、その根本にある考え方を身につけた上で、アクセシビリティーに関係ないものも含めて新しい技術を正しく理解する姿勢があれば概ね何とかなるものだと思う。
ただ、その根本の考え方みたいなものを本当に身につけている人がそんなに増えていなくて、結果としてアクセシビリティーの取り組みが障害当事者から離れて行っている感じがするような気がしてならない。
これは「アクセシビリティーは必ずしも障害者だけのためのものではない」みたいなことを言って裾野を広げようとしてきた僕たちにも責任があるのかもしれない。もちろん正しいことを言ってるのだけど、でも障害者のアクセスが改善できることは大前提で、そこをすっ飛ばしてしまったらほとんど意味はないということが伝わっていないのかもしれない。
技術論はそれはそれで大事だけど、「障害の有無に関係なく、情報には誰でも同様にアクセスできる必要がある、それは現代の社会における基本的人権である」ということが共有できていることがまずもって大事だと思う。
Webアクセシビリティーは、それなりに興味を持って、あるいは必要に迫られて取り組む人が増えた印象だけど、障害当事者からは離れて行っている感じが最近よくする。
当事者も「よく分かってる人がやってれば大丈夫でしょ」的な受動的な姿勢でいたのではダメだということなんだろう。
僕たち当事者は、今こそ "nothing about us, without us" という言葉を意識してことあるごとに言っていく必要があるし、取り組みを進める人たちも意識するように仕向けていかないといけないんだろうと思う。
たまーにQiitaの記事読むことがあるんだけど、文中の見出しの読み上げがとにかくどうしようもない感じでいつもイライラしてて、ようやく今ソースコード眺めてみて原因が分かったと思う。
見た目が分からないから推測だけど、たぶん見出しにたいするパーマリンクを提供するための表示がaltとか無しの画像に対するaa hrefになってる(アイコンフォント的な使い方な気がする)から、その画像のファイル名かなんかを読み上げてるっぽい。
Qiitaは最近アクセシビリティー改善やってるとか言ってるけど、こんなスクリーンリーダーでテストすれば一発で分かる問題が見過ごされてるというのはなんとも……。
当事者ユーザー不在なのはたぶん間違いないんだろうけど、当事者いなくても分かりそうなもんだと思うんだよなあ。
@chuff_chuff09 個人的に良かったなあと思ったのはアイシンの発表(というか取り組みですが)くらいでした。当事者と一緒になにかを作るという姿勢がやっぱり基本だと思うんですよね。
@chuff_chuff09 それは本当に怖い話ですね。でも、なんか現実ってそんなもんだよなという感じもします。
昨日のセッション聞いてても、ユーザーがどう感じるかよりも実装者がどう思うかが優先されるのは仕方ないみたいな空気も感じられて、それって「必要なのは分かるけどビジネスとして優先度低い」って言って言うのとほぼ同じだと思うから、結局レイヤーが変わっただけでなにも進歩してないんじゃないか、っていう重い気持ちになりました。
#nagoya_a11yconf 観てるけど、当事者ユーザーが側にいないことはかなりのリスクになるなあと思った。
中年に突入した、男、全盲、下手の横好き。
ICTのアクセシビリティーに関連することに取り組んだり取り組まなかったり。