のんびり読んでる 二章「玉杯」の論理展開が面白いな〜
古代では親が亡くなったら三年間喪に服さなくてはならず、その間の婚姻はダメ。だけど、文公はそれを破ったから「春秋(=大いなる歴史書)」に悪く書かれている。
→実際に破ったのは婚礼そのものではなくて、儀礼の段取り(結納の日付)
→孔子は「礼」が大事と言っていた。それに、かつての周は質より文(=気持ちより物)を重んじたから衰退した。文公の喪中の儀礼の段取りには軽薄な気持ちが表れている。
→さて、喪に服す礼や気持ちは大事だけれど、王が死んだら新王(子)はすぐに即位しなくてはならない。
→父王が斃れて喪中で忍びないながらも、子が王として即位しなければならないのは天への礼節ゆえである。
→ つまり「春秋」において、人は君主に従わせ、君主は天に従わせるのが大義であるといえる。
しかし同じ名前の王様がガツンガツンに出てきて本当にわからない 桓公だけで衛と斉の二人以上いるし…エピソードでなんとなく判別着き始めてきたけど、時系列がある資料集がほしい…
浅学なので有名な獲麟の話、春秋の最後のエピソードだったのは最近知ったのだけど
狩りでUMA(麒麟)を捕まえた人たちが皆んな「うわっ…キモ…」って逃げた話、なんかこう…リアルで好き
春秋は歴史書なのだけど、王の名誉のために表現を詭(あざむ)くときがあって、本当かなー?と思うけど本当なんだろう…
たとえば、天子が横暴な晋の文公に無理やり招かれた→文公自ら訪わずに招ぶなど横暴がすぎる→天子はその近くに狩りに行っただけです(記録)
みたいな…