春秋繁露を読むぜ
冒頭の解説わかりやすいなー
(引用)董仲舒は…『春秋』を利用して強大な君主権の根拠づけを試みる。〜『公羊伝』に「一統を大(とうと)ぶ」の説がある。徳治主義による世界国家の理想を述べたものである。それなのに董仲舒は、王権による国家統一の重視という新解釈を施し、強大な君主権はこの目的のために行使さるべきもの、とする。〜「一統を大ぶ」形で是認された君主権は、天命によって権威づけられる。君主権の発生は天命によるものであり、人(前王)を継承したものではない。
(引用)しからば天はなぜ君主を命じたか。…董仲舒によると、人の性そのものは善でもなく悪でもない。善とも悪ともなりうる可能性を併せもつ「天質の樸」である。…「王は天意をうけて民の性を成すを以て任となす者」であるという。
王様が一番エラーイ!ではなくて、天の委託を受けて民を導く(から、皆従いなさいよ)中間管理職って感じねー
(引用)君主権は天の観念によって…その主体性と絶対性を否認された。一見強大な君主権は一定の枠内に封じこめられたことになる。しかし…現実に起こりうる君主の横暴や専断を制止するには、より実際的な、より効果的な方法をまたねばならない。このために用意されたのが災異説である。もし君主が天の意志に反する行為を犯すと、天は災をくだして警告する。…それでもなお悔い改めないと、天はついにその国を滅ぼすにいたるという。
本編は冒頭の五篇抜粋して訳されてる😶冒頭いきなり陳の夏姫(の王殺しをした息子)の話が出てきた!やっぱり有名な話なんだなあ
のんびり読んでる 二章「玉杯」の論理展開が面白いな〜
古代では親が亡くなったら三年間喪に服さなくてはならず、その間の婚姻はダメ。だけど、文公はそれを破ったから「春秋(=大いなる歴史書)」に悪く書かれている。→実際に破ったのは婚礼そのものではなくて、儀礼の段取り(結納の日付)→孔子は「礼」が大事と言っていた。それに、かつての周は質より文(=気持ちより物)を重んじたから衰退した。文公の喪中の儀礼の段取りには軽薄な気持ちが表れている。
→さて、喪に服す礼や気持ちは大事だけれど、王が死んだら新王(子)はすぐに即位しなくてはならない。→父王が斃れて喪中で忍びないながらも、子が王として即位しなければならないのは天への礼節ゆえである。→ つまり「春秋」において、人は君主に従わせ、君主は天に従わせるのが大義であるといえる。
確か、孔子の論語で「政とはまず何をやればよいか?」の問いに「字をあらためる」って答えがあって(うろ覚え)日本語って近い概念の大和言葉を漢字に当ててるから、そもそも漢字を作る・作り直すっていうのに「へー!」となったのね
で、春秋繁露の注釈読んでたら、「権」の字の由来に(以下引用)権とは、本来さおばかりの重りであり、物の軽重をはかるのに、これを移動させてその平衡をするところを発見するように、その時その場の情況に応じて適宜の処置をとること
ってあったの、「へー!!」となった 権力の権は「バランスを取る」の権だったのだ…
春秋の「公羊伝」的解釈では、経(=固定規範や法則)に違反しても、(引用)究極的に善ないし道に合するものは「権」として是認され、「権を知る」ものは賢者とたたえられる。
義侠的なものを是認すべきっていうのが春秋→公羊伝のころには教えとして認知されてたんだなあ
と思ったら、注釈の※で「穀梁伝」「左氏伝」では権を認めておらず…!?あくまで公羊伝の立場の春秋だと、ということらしい オタクは解釈が違うってよく言うけど、真にはこういうことか…
ハア〜ここまでで公羊伝学者(董仲舒)は復讐を尊ぶし、義侠心を認めるしで、『情に厚い過激派』って印象が強まってたけど、ついに「王が虜囚になるなど屈辱に耐えられん!生きながらえずに死すべし!!」と主張してきた 印象に間違いはなかった
あ、孔子のまず政をするには〜の話、正確には「名を正す」でした うろ覚えだから…たしか、物事と名(字)は一貫していることがよくて、整えてあげなくてはならない とかなんとか ウロ〜
春秋繁露、抜粋掲載の五章のうち四章まで読んでて、ここまでほとんど春秋に載ってる王たちの良いところ・悪いところを事例としてピックアップして紹介してきてるので、こう…しくじり先生感がある…
いやこれ本当にすごいなーって思う紀元前100年ごろまでのしくじりの価値観、結構そのまま理解できるんだから…「他国にお香典をせびった王、どうかしてるぜ」と書かれてたし、それは確かにそうね
しかし同じ名前の王様がガツンガツンに出てきて本当にわからない 桓公だけで衛と斉の二人以上いるし…エピソードでなんとなく判別着き始めてきたけど、時系列がある資料集がほしい…
春秋は歴史書なのだけど、王の名誉のために表現を詭(あざむ)くときがあって、本当かなー?と思うけど本当なんだろう…たとえば、天子が横暴な晋の文公に無理やり招かれた→文公自ら訪わずに招ぶなど横暴がすぎる→天子はその近くに狩りに行っただけです(記録)みたいな…
参考書探してみたけど秦が絡む末期が多くて どっちかというと戦国初期〜中期の話を知りたいんだよな
寝る前に資料集2冊ほどポチしました そこそこお高かったけど、有識者が薦める本にハズレはないので…春秋時代の資料というより、春秋左氏伝の解説本だけども
読了…ッッ五章まじむずすぎる 出来事を並べてるっぽいんだけどその出来事がわからん 解説本に期待〜完〜
浅学なので有名な獲麟の話、春秋の最後のエピソードだったのは最近知ったのだけど
狩りでUMA(麒麟)を捕まえた人たちが皆んな「うわっ…キモ…」って逃げた話、なんかこう…リアルで好き
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/獲麟
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のんびり読んでる 二章「玉杯」の論理展開が面白いな〜
古代では親が亡くなったら三年間喪に服さなくてはならず、その間の婚姻はダメ。だけど、文公はそれを破ったから「春秋(=大いなる歴史書)」に悪く書かれている。
→実際に破ったのは婚礼そのものではなくて、儀礼の段取り(結納の日付)
→孔子は「礼」が大事と言っていた。それに、かつての周は質より文(=気持ちより物)を重んじたから衰退した。文公の喪中の儀礼の段取りには軽薄な気持ちが表れている。
→さて、喪に服す礼や気持ちは大事だけれど、王が死んだら新王(子)はすぐに即位しなくてはならない。
→父王が斃れて喪中で忍びないながらも、子が王として即位しなければならないのは天への礼節ゆえである。
→ つまり「春秋」において、人は君主に従わせ、君主は天に従わせるのが大義であるといえる。