(引用)
しからば天はなぜ君主を命じたか。…董仲舒によると、人の性そのものは善でもなく悪でもない。善とも悪ともなりうる可能性を併せもつ「天質の樸」である。…「王は天意をうけて民の性を成すを以て任となす者」であるという。
王様が一番エラーイ!ではなくて、天の委託を受けて民を導く(から、皆従いなさいよ)中間管理職って感じねー
のんびり読んでる 二章「玉杯」の論理展開が面白いな〜
古代では親が亡くなったら三年間喪に服さなくてはならず、その間の婚姻はダメ。だけど、文公はそれを破ったから「春秋(=大いなる歴史書)」に悪く書かれている。
→実際に破ったのは婚礼そのものではなくて、儀礼の段取り(結納の日付)
→孔子は「礼」が大事と言っていた。それに、かつての周は質より文(=気持ちより物)を重んじたから衰退した。文公の喪中の儀礼の段取りには軽薄な気持ちが表れている。
→さて、喪に服す礼や気持ちは大事だけれど、王が死んだら新王(子)はすぐに即位しなくてはならない。
→父王が斃れて喪中で忍びないながらも、子が王として即位しなければならないのは天への礼節ゆえである。
→ つまり「春秋」において、人は君主に従わせ、君主は天に従わせるのが大義であるといえる。
浅学なので有名な獲麟の話、春秋の最後のエピソードだったのは最近知ったのだけど
狩りでUMA(麒麟)を捕まえた人たちが皆んな「うわっ…キモ…」って逃げた話、なんかこう…リアルで好き
(引用)
君主権は天の観念によって…その主体性と絶対性を否認された。一見強大な君主権は一定の枠内に封じこめられたことになる。しかし…現実に起こりうる君主の横暴や専断を制止するには、より実際的な、より効果的な方法をまたねばならない。
このために用意されたのが災異説である。
もし君主が天の意志に反する行為を犯すと、天は災をくだして警告する。…それでもなお悔い改めないと、天はついにその国を滅ぼすにいたるという。