今から149年前の今日は、大日本帝国の皇軍が初めて侵略の意図を隠しその地に軍靴で踏み入った日だ。日帝が欧米から学んだのは軍事技術ばかりではなく、弱気を挫く思い上がった帝国主義精神だった。
図は彫工秀勝による「江華島事件」の錦絵。見ての通り日の丸が侵略のシンボルとして翻った日でもある。

地平社「地平」10月号の後藤秀典氏による「ルポ・司法崩壊」も第4回だ。「六一七判決」(2022年6月)は司法の劣化を招く重大な問題であると、学者や弁護士、そして市民が今も声を上げている。
「原子力ムラ」という言葉があるが、それに司法も飲み込まれているのか。調べると気になることがあったので画像にしてみた。

猿山のボスは誰になろうとどうでもいい。問題は猿山のボスを日本のボスにしてしまう有権者がいることだ。ボスを使って自分たちに都合のいい日本にさせるためにグローバルな勢力は、莫大な資金でメディアを動かし、ボスは「私たち」を豊かにするために働いてくれると毎日庶民に刷り込む。「私たち」に庶民は入っていないことに気づかない愚かな有権者が投票すると言うわけだ。

私はこの花田達朗氏による「ジャーナリズムの三原則」は依光隆明氏の論説(「世界」2022年8月号)で知ったが、花田氏は「地平」2024年8月号でジャーナリズムについて論じ、「内部的メディアの自由」について書かれている。そこで日本新聞協会の編集権声明(1948年3月)は「新聞労働運動を抑圧するためにGHQの指導のもとに導入されたもの」だと知った。つまり「内部的メディアの自由」を否定する根拠として、今も「記者クラブ」の存在として受け継がれているという。
 占領政策の残滓を今もありがたがって守る国に、真のジャーナリズムが育つのは極めて困難な状況にあるようだ。
 私のような年寄りでも「地平」は勉強になる。

平和憲法を獲得した日本だが、GHQの指令で日本の再軍備が始まった。これはアメリカの軍産複合体が力を持ち始める頃であり、当初、その潜在的な力にはアメリカ大統領さえ危機感を持っていた。1961年、アイゼンハワー大統領は退任の演説で「軍産複合体の影響力が、我々の自由や民主主義を決して危険にさらすことのないようにしなければならない。」と警鐘を鳴らしていた。しかし欧米の軍産複合体は世界中の政権に巧みに刺さり込み、国防のためには強力な軍事力を持つべきだという「防衛神話」をさまざまな工作で布教し勢力を拡大している。自民党政権・自衛隊もその信仰を受け入れ、莫大な税金が国民の暮らしにではなく、「防衛神話」というまさにカルトに注ぎ込む国になってしまっている。
明日7月1日は自衛隊発足70年目だが、平和憲法の70回忌にしてはならない。日本国憲法の平和主義を蘇らせることを誓う日であって欲しい。


エジプトの複雑さは東地中海のガス田の存在も大きいのでは。イスラエルのEEZに含まれるガス田は、パレスチナが消失すればそのEEZも自国のものとなり、カイロに送付し液化した天然ガスをヨーロッパに輸出することで利益が転がり込んでくると言う見立ても、あり得ると思うのですが・・・。

2017年9月14日の「サンデージャポン」で堀江氏が出演し、山尾恭生氏は(自社ライブドアの)「コマース事業部門の役員だった」と話していた記事があります。

自虐の呪縛からの幼稚な自己解放の手段が旭日旗を振り回し行われるデモだ。中には旭日旗だけでは足りずにハーケンクロイツまで持ち出して行進する節操の無さも。
 日本の黒歴史を「無知の破壊力」で打ち消そうとする愚かな暴力性に戸惑う。

いま「無知の破壊力」と書いたが、これは俗に言えば「バカの破壊力」だ。その破壊力を持った者が総理大臣になるなど、憲法も法律もメディアも当然我々も想定していなかったから、戸惑い混乱し愚かな対応も散見した。

 しかし、それがいなくなってもまだ悪影響は続いている。冷静に考えたら北朝鮮が日本めがけてミサイルを発射するはずはないし、落下物の危険を言うなら米軍機が上空を飛ぶたびにアラートを鳴らさなくてはならない。オスプレイなら尚更だ。
 政権が「バカの破壊力」の余韻で国民に恐怖心を植え付けるためにやっているだけだと普通は考えるけどね。

 真顔でこれを発信した者(組織)、真に受けて避難した民衆、彼らの中にまだ奴は生きていると言える。

宇露戦争が長引く中で、イスラエルのガザ壊滅作戦という目の眩むような愚行の中で、ネットを見てると愚かな日本人(ネトウヨか?)がくだらない書き込みをしているのが目に刺さる。
でも、まずここを共通の理解として出発しないと、会話の全てが不毛に帰する。わかってもらえないかなぁ・・・

昨日の会見に関わらず、東京新聞望月記者の質問は以前から言葉が多すぎてもっとまとめて話した方がいいと思っていたが、1社1問「更問い禁止」など日本だけのような「ルール」があるので、彼女もジャーナリストとして必死になっているのだろうと思っている。それでも聞きづらいのは事実だが。
ただし、そこを批判して質問の本質を有耶無耶にするのは質問される側に資するトーンポリシングという誤魔化しなので気をつけたい。

幼い少年たちを餌食にして強大な権力と莫大な資産を手に入れた「鬼畜の所業」という世界的にも注目される記者会見で、聞かれる側が勝手に質問のルールを作り発言者指名権を持ち、少しきついことを言われたら「子供たち」をだしにして自分たちも頑張っているので記者は配慮してと言えば、ジャニーズで食べてきた芸能記者達だろうか、拍手が湧き、二人は頑張ってる、可哀想だ、という被害者感まで作り上げる気持ち悪さ。
 新しい会社名を2018年にジャニーズが立ち上げた事業「Johnny's Smile Up!Project」から引っ張ってくる狡猾さの気持ち悪さ。
 昨日の会見には本来の責任者も、「鬼畜の所業」をジャニー以外で最も知りながらメディアに絶大な権力を誇示していた白波瀬傑副社長も出席させないという見事なまでの行き届いた危機管理の気持ち悪さ。
 ネットを見るとこういう気持ち悪さを全く感じ取れずに「ルール違反」は悪い、二人は頑張っているというジャニーズ側のシナリオに簡単に飲み込まれてしまう日本人のあまりの多さに、日本社会がこういう事件を許容する「何か」を内包しているのではないかと思い至り、さらに気持ち悪さを感じた。

ゲーリングが独仏休戦協定調印後リトアニアのカナウス日本領事館を電撃訪問し、ユダヤ人に対する人道的なビザ発給の熱い想いに感動したと杉原千畝を称えるなどあり得ない話だが、それほど恥ずべき行為だと思う。
稲田は子ども食堂がなぜ存在しているのか理解していないのか。だとしたら政治家として終わっているし、理解してもなお訪問したのなら人としても終わっているのではないか。

三宅芳夫氏、なかなかうまいことを言うものだ。
中国語だと「四人幇」か。幇間に通じるからこちらの方がピッタリか。体制の幇間学者ね。しかし三浦氏は学者とは言えないか。

岩波「世界」9月号が昨日届いた。特集の日韓関係の論説の前に「台湾有事」に関する3つの論説に目を通した。いずれも専門的な視点からの深い透察による分析は勉強になったが、私が一番関心のある日本との関わりについて、日本国憲法に触れる分析がほとんどなかったのはとても物足りなかった。


2018年度から厚労省は生活保護受給者に対してエアコン購入費の支給を認めるように改善されました。ただし、2018年度(4月1日)以降生活保護が認められた世帯のようですが。

自民党とムーニーズ(カルト統一教会)は別組織だがズブズブなんだとわかってきたら、ここにきて自民党よりさらにムーニーズ寄りなのが維新だと代表自ら表明したようだ。松井一郎が勝共連合笹川の世話になっていたから多くの人は知っていたけどね。

今朝、東京に住む孫にこの本(漫画版)を送ったところだったが、著者の吉野源三郎氏が創刊当時の「世界」の編集長だったとは知らなかった。
「世界」が最近守りに入っているという噂も聞こえてくるが、初心を忘れず良質な雑誌であり続けてほしい。

岩波「世界」8月号が届いた。特集は「安倍政治の決算」、彼の一周忌を迎えての企画だろう。後藤謙次・牧原出両氏による対談では、特に第2次政権以降の安倍政治の特徴を分析しているが、ウンベルト・エーコの「永遠のファシズム」を読んだ人ならそれが「原ファシズム」の特徴だと分かるのではないか。
彼らもそれを十分知っていたはずだ。ならば安倍政治のファシズム性についてもっとはっきりと語るべきではなかったか。
私人昭恵は昨年7月の葬儀で安倍が蒔いた政治の「種は芽吹く」と語ったが、それはファシズムの種であったことを、芽吹かせてはならない種であったことを、もっとはっきりと伝えるべきだった。

1930年代の日本国民が戦争に熱狂していた時代を振り返って古在はこう語ったが、2030年代を迎えるにあたり、現代を生きる我々も「愛国的行為」を繰り返さなければならないようだ。
日本人の思想的怠惰に絶望して背を向けては孫たちに顔向けできない。

三宅芳夫氏と大内裕和氏の議論を読みたくてコーチャンフォーで「現代思想」4月号を購入。最後の1冊だった。そしてミスドで休憩。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。