エジプトとイラスエルの国交樹立が何故「パレスティナを見捨てた」ことになるのか?
元来エジプトをはじめとするアラブ諸国は1948年にパススティナに建国されたイスラエルを認めていなかった。
しかし1973年までの四度の中東戦争の内、エジプト側が戦略的に勝利した、と言えるのは第二次中東戦争の際のみ。
とりわけ20世紀最後の「電撃戦Blitzkrieg」とされる第三次中東戦争ではナセルのエジプトは米国の支援を受けたイスラエルに大敗。
後を継いだサダトは米国の仲外によってイスラエルと単独和平。シナイ半島返還と引き換えに、パレスティナをイスラエルに「引き渡す」決断をする。
ここから「アラブの大義」の象徴はPLOのアラファトに移る。
エジプトはと言えば、サダトが暗殺された後、やはり軍部代表の米国に従属した状態でムバラクが30年軍事独裁政権を続け、アラブの春で失脚した後は、また軍のクーデタ―でシシが大統領に。
これでは、新自由主義を引き起こす格差と貧困にセイフティ・ネットを提供するムスリム同胞団が勢力を拡大するのは当然である。
ちなみにアラブ民族主義は元来レバノンのキリスト教徒が主導したもので、政教分離を前提としていた。実際エジプト人口の10%はキリスト教徒(コプト教)である。