「2003年熱波@パリと生存権」
今日は(も)暑かった。身体がほてってきので、夏風邪による発熱か、と思ったら、気温が37度超えていたのだった。
体感的には2003年のフランスの夏の「熱波 Canicul」と同様の脱水症状が起こりやすい。
あの時のパリでは、まだ一般家庭ではクーラーをつけておらず、また「熱波」が来たからといって、「市場」で買えるような状態でもなかった。
私は今は東大の先生をしている宇野重規さんからアパルトマンを受け継ぎ在仏中。扇風機1台だけだったが、部屋を広かったので、太陽の動きに合わせて、影に移動して読書してしのいだ。
あの頃まだパリにはスターバックスは1店舗もなく、マックは数店舗あったので、そこのエアコンに避暑にいった若者も多かった。
問題は建物の最上階(多くは屋根裏部屋)に住む高齢者で、あの夏、「熱波」が原因で5千人以上亡くなったと記憶している。
しかし、日本の生活保護世帯には、まだエアコンを認めていないと聞いているが、日本が「亜熱帯」に移行した今、憲法25条の「生存権」の保証のためにはエアコンはもはや必須だろう。
そのための財源は、43兆円計上している軍事費か法人税から出せばよい。