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以前別の報道で目にした、ジャニー喜多川は幼少期に(おそらくは)性虐待を受けており、本人はそのことを「親戚のおじさんと愛しあった」と語っていたことを喜多川の被害者は額面通りに受け取っているらしい様子を見て、なんとも言えない気持ちになった。
メリー喜多川のほうは、弟が性虐待を繰り返すのを「自分自身がそういう目に遭ったからだ。弟は病気なんだ」という旨の発言をしていたところからして、原因と結果を認識していたのではと思わせる。

先日のジャニー喜多川、メリー喜多川を取り上げたドキュメンタリーに出演していた元テレビ東京社員のブログ。椎間板ヘルニアの影響で大股開きで座らざるを得ないそうなのだが、事前に映像を確認するべきだったとSNSでの反応と合わせて傷心であるらしい。にしてもNHKのディレクターの弁もなかなかだ。
35produce.com/【活動報告】昨日放送のnhkスペ

続けてのエントリでなされた論考にあるように、(旧)ジャニーズ社の人間の言動や最後のテロップは視聴者のガス抜きにしかならないのでは、とはわたしも感じた。
35produce.com/【番組考察】nhkスペシャル『ジ

村林が日本代表に!?(気絶)
代理での招集で本決まりではないようだが……。昔、銀次が選出されたとき「確かに銀ちゃんは我がチームにとって欠かせない頼もしい存在ではある。あるけれども国際大会に出るほどかとか言われると」と思ったものだが、村林は銀地よりかさらに一枚くらい落ちるような。
sponichi.co.jp/baseball/news/2

投票という行為を通じて「死刑囚ではなくなった」と認識させる、社会生活へ復帰するための第一歩である……というひで子さんの弁。いつもながら「前へ進む、より良くする」熱意に頭が下がる。
newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs

「虎に翼」について言い忘れていたこと。マイノリティをわれわれマジョリティに対する「教材」として扱ってないか?と感じる瞬間がたまにあった。
そうしないために、たとえばヒャンスクや轟をレギュラーに据えてかれらの物語をじっくり描く必要があるわけで。
教材のように描写していないか、と感じるのは「虎に翼」という作品単体の問題というより、日本のエンターテイメントがマイノリティをひたすら無視してきた弊害ゆえでもあろう。

今年の目玉の即戦力ショートを獲得できたのはいいとして、村林が追いやられてしまう! 村林来シーズンはとにかく打ってくれ……。

沙織さんが生まれた時点でサガが15、アイオロスが14ということは二人はひとつ違いなんだなーと単純に認識していたが、沙織さんの誕生日が九月一日でおそらくそれからまもなく事件が起きただろうしアイオロスは誕生日前だったから14歳表記ということなんだろうか?
とすると、主人公5人組の年齢(一輝15歳、氷河と紫龍14歳、星矢と瞬13歳)も実は同い年だったり逆にひとつ違いだったりして。

小山が退団とのこと。まあ、引退後即コーチでだいぶ長いことやってたからなあ。
昨シーズンのチーム投手成績がかなり悪かったので、ひょっとして責任を取ってクビなんじゃないか……と思っていた。ので、コーチ続投は実を言うと意外だったのだが、本人の申し出により退団ということはお休みか、よそから声がかかったか。
rakuteneagles.jp/news/detail/2

思い出した。桂場の顔についていた桜の花びらを寅子が取るくだりをもって、本作における桂場は「人と人との関わりを持って考えを変え、保守団体の設立をしない道に進んだ隠喩」という読みを見かけた。桂場と彼のモデルの一つである石田和外は大幅に異なる人物として描写されており、さらに桂場に保守的な一面があるかいなかはまったく言及されていない以上、そうした隠喩だとするのは希望的観測としかいえないのではないか。
また、仮に作り手がそうした意図でもって描いたのなら、批判すべき対象を登場させず「ドラマは現実よりも良い状況になった」と述べていることになる。手法としてはかなりだめだろう。もしやるなら、桂場が保守団体を設立しようとし、しかし寅子との関わりをきっかけに判断を変える、とはっきり描かなくては。

「虎に翼」。最終週のあたりでへばっていたせいもあり、内容があまり印象に残っていない。とりあえずこれだけはと思っていた点を書いておこう。
序盤の毒饅頭事件法廷劇で、「女性医師が起こしたチフス饅頭事件を題材に、学長たちは『女給の起こした毒饅頭事件』として学生たちに渡した。ナレーションは、『私たちはこういうふうに都合よく使われることがある』と語る」くだりがあった。この場面を見たとき、わたしはこのドラマを好意的な感想でもって語るのは難しいと判断せざるを得なかった。史実を題材にしつつ、テーマに基づき脚色を(しかもかなり大きく)施す本作は、「実際の事物、人物を都合よく利用する」性質をどうしても有するからだ。そして画面からは、脚色と利用を等号で結ばないための工夫や努力を見出すことは最後までできなかった。
フィクション、エンターテイメントとしての出来はよかったので、その点を好意的に感じはするけれども、批評性についてはかなり疑問の残る作品だったと思う。

アニメでアイオリアが幼少期の星矢を励ます際、微笑もうとして一瞬苦笑が入り混じるようななんともいえない表情を浮かべるのが、かつて自身が兄にそうしてもらったように笑いかけようとして、しかし兄の真似はすまい(してはならない)という自制心がはたらき、それでも目の前の少年を優先して微笑む、みたいな心の動きがあったのでは。と、そんな想像。

そういえばこの件、わたしが設定の手順を間違えていただけであらためてちゃんとやり直したら使えるようになった。

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魔女の救済編45話。
・早い早い早い早い!いやーわかってるけど本当に早回しなんだなー。
・今回は開いてまずぶっ倒れ、ひとつスクロールしてまたぶっ倒れ、そのまま読み進めることができずにしばらく家の中を右往左往してからスマートフォンの前に戻ってきた。
・モブとしてのご登場っぽいんですけどぉ!?……早回しじゃなかったらどうだったのかな。でもなんか今回のは原作読者へのサービスっぽい気がするな。
・そういえば作画の担当が変わったと聞きましたが、以前の方ならどのようなお顔立ちであったのかと思いを馳せるのでございます。実のところちょっとまだ直視できてないんですけど可愛らしい感じがいたしませんこと?

家族が録画していた「おじゃる丸」と「光る君へ」のコラボ回を見ているのだが、ききょうが「みんなで面白い草紙を作りましょう」という流れの中で「まひろ様を呼んだらもっと面白くなりますわ!」てなことを言っており、「ウワー!!!」ってなった。自分自身でもこんなダメージ入ったのが意外だ。

往時印象的だった対決。異様な迫力だったシャカ戦、敵の改心というドラマ性あふれるシュラ戦、悲しい師弟対決のカミュ戦。
紫龍、シュラにしても暗黒ドラゴンにしても戦った相手の考えを変えさせたり、敵をして「お前ほどの男が」と言わしめたりするのでなんかすごいな。

よくよく考えたら、一輝は十万億土の彼方に飛ばされても身体が粉々になっても帰って来るのだからその点をして太陽であるとすればよいのか。

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再発行したSIMカードが届いたが、豈図らんや、通信会社のほうで障害が発生しておりまだつながらない。

なにもアイオリアは一切負の感情を持たなかったとかいうことはなく、腐ったり諦めたりしたこともあったろうけれども、それでもなお大変な努力を重ねてああいう境地に至ったのではと思われ、そういう点が沈んでもまた再び昇る太陽を思わせるよなあとかそういうアレ。
そういえばやはり獅子座であるらしい一輝はあんまり太陽のイメージが喚起されない。燃える炎といっても真っ暗闇の中で黒い炎が燃え盛っているような感じがある。
QT: fedibird.com/@kisadalog/113306
[参照]

kisadalog  
急にアイオリアをどう鑑賞すればいいのかが掴めたのでこのところ延々と咀嚼している。いまの目で見るとアイオリアはとにかく立派な人物だ。というかもう、できすぎ。許せないこと、納得できないことがやまほどあるだろうに、腐らず誇り高く生きている。努力は兄の名に恥じぬため、なおかつ、その逆に兄の名を自分自身...

どこからどう見ても悪党のデスマスクが聖闘士になれた、黄金聖衣がそういう人間を選んだのはさして深い意味はないのだろうが、たかが人の身では神の尺度をはかることは難しいのである、みたいなことを考えた。

アルデバランとシュラを対照的なのだと見てみると、前者は「角を折れば通してやるという星矢との約束を守り宮を通過させた」一方で、後者は「お前を必ず道連れにするという紫龍の約束を守らせず、紫龍の命を助けた」みたいな妄言が発生するわけですね(何?)。
QT: fedibird.com/@kisadalog/113316
[参照]

kisadalog  
聖闘士星矢の登場人物は多種多彩でありながら、視点を変えると駆動する軸がほぼ同じの全員似たようなものに見える。ユニークだったのは冥闘士のカロンくらいか。黄金聖闘士の皆さんは濃淡こそあれ「豪胆な武人」に見え、わけてもアルデバランとシュラはその濃度が高い。が、前者は陽に、後者は陰だと感じる。なんでか...
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