シーレの名前を聞くと思い出すのは、大学の1,2年で第2外国語クラスの先生だった坂崎乙郎の事で、授業を始める前に美術や映画その他について必ず短い雑談があり、この先生は面白いなあと思っていた。田舎の高校出たてで、無知な自分は、坂崎さんがどんな人か全然知らなかったが、当時出ていた河出文庫に彼の『絵とは何か』が入り、偉い人なんだなあと思ってその本をはじめ、何冊かを読んだ。
その頃、坂崎さんは文芸誌にエゴン・シーレについての評論を連載していて、雑談の中に、よくその名前が登場し、執筆の苦労などを語っていたも覚えている。連載が終わり、本としてまとまったのはとりあえず、第2外国語の単位を取り終わった後だったが、それからしばらくして新聞に訃報が載り、死因は心臓麻痺と書かれていた。しかし、時折、お酒を一緒に飲んでくれていた教養ゼミの先生に聞くと、自殺だったという。やはり授業で名前がよく出ていた
親しかったらしい画家、鴨居玲がやはり自殺した後のことだった。坂崎さんの思い出とともに、自分にとって、鴨居玲とシーレが特別に愛着のある画家になった。
"最近、漫画を書くために、絵が下手なのにペンタブレットを買ってしまった。絵が下手でも問題ないのである。AIがいい感じにしてくれるから。要はそう言うことではないか。"
コンピュータは難しすぎる|shi3z|note https://note.com/shi3zblog/n/n015d2f2cc0e0
ウクライナの隣に位置するルーマニアの動物愛護レスキュー団体のROLDA。現在、ウクライナで路頭に迷っているペットや動物たちを積極的にレスキューしているらしい。もう少し団体についてチェックして、出来れば寄付したい。残念ながらこういう情報は拡散力の高いFBとかTwitterのようなSNSから入ってくるのよね… 日本語サイトはないようだけど興味のある方は是非。もっと他にこういう団体があるよ、と情報をお持ちの方は是非シェアしてください。#Fedibird #寄付 #レスキュー
EMERGENCY: UKRAINIAN ANIMALS NEED IMMEDIATE HELP
ROLDA HQ is positioned to help. ROLDA is based in Galati, Romania - less than 30 minutes drive from the Ukraine border.
特定の運動に関するハッシュタグを目的外で使わないでほしいというお願いがたびたびマストドンでは投稿されます。
リンクはオーストラリアの第一住民の声を議会に届ける運動をする際に守ってほしいガイドラインの紹介です。
意見の表明にはCWを使い、#議会に届け #ウルル声明 のような(和訳しています)特定のハッシュタグを使ってほしい。そして第一住民でない人たちは、民族名のハッシュタグを使わないでほしいとのこと。それらのタグは民族のコミュニケーションに使っているのでノイズを混ぜたくないのだそうです。
民族運動が身近にないわたしたちには理解しにくいお願いですが、黒人コミュニティやLGBT+、トランスジェンダーでも同じような依頼はたびたび目にします。私は尊重していこうかなと思っています。
ちなみに、似た話として「Fediblock」のハッシュタグを安易に使うなというものがあります。Fediblockは差別活動家やストーカーからユーザーを守るための重要なハッシュタグなのでノイズを混ぜないでほしいのだそうです。
AIにプログラムを書かせるのがあたりまえの時代になった場合
・上流に行けば行くほどAIにやらせるのは難しくなるので、人間にはこれまで以上に上流の技術が必要になる。しかもAIにやらせるための上流工程という新しい仕事。
・AIが書いたプログラムが正しいかどうか、AIが行ったテストが正しいかどうかを判断する技術と、それが間違っていた場合に修正する技術が必要になる。
・プログラミング(コードを書く)を新規に勉強するモチベーションが下がるので、コードを書ける人の需要は高まる。
・どういう仕組みかわからないけど「なぜか動いている」システムが増えるので、リスク管理にも何らかのブレイクスルーが必要になる。
・当たり前だけどAIを作る仕事が増える。
「渡された仕様書通りにコーディングする」ような仕事は減っていくだろうけど、それ以外の仕事はむしろ増えるかもしれないね。
「社会から最も恩恵を受けているものたちは、利得の対価を購うべきだ」
名言爆誕。
富裕層がより高率の税を支払わなければならない理由はここに尽きる。
原文はこちら。
"Those who benefit the most from society should pay for that advantage."
1%の富裕層がコロナ禍で手にした富、残る99%のほぼ2倍 - CNN国際ニュース
https://www.cnn.co.jp/business/35198649.html?ref=rss
私が注目したのは、どの登場人物も言語表現がとても稚拙なことであった。これはまさに、今の日本に私がいろいろな場面で感じていることで、自分をうまく他者に説明する言葉と表現手段を実の多くの人が持たずにいる、その状況をよく描いている、とわたしは思いながら最後まで見た。逆に、人がどうにかしてその表現困難な状況から表現する何かを、周りの人間はそのまま受け止めることができない。
言葉が死に絶えた社会なのである。そのような状況で、たとえば代議制が死に絶えるのは当たり前のことであろう。代議士たる政治家の多くさえもが言葉を失っており、それはたとえば統一教会言語に容易に自分の言葉を仮託さえしてしまう軽薄さなのだ。
ナマハゲ、という習俗が一つのキーになっている映画だが、お面を被ってさえ、動物のように唸るしかない、まさにそのようなことなのだとわたしはつくづく思う。
結婚はいつしてもいいし、もちろんしなくてもいい。結婚しても子供を産まなくてもいい。養子で迎えてもいい。婚姻状態でなくても子供をひとりで育てられる社会がいい。異性間でなくても子供を産む、また育てる支援があるべき。ていうか誰もが結婚できる制度にしろ。(私は結婚制度やめようよって思ってるけど、それは差別を撤廃して権利を保障して、国が殴り続けた人たちに謝ってからだろと思ってる)
教育を受けさせられるくらいの金銭的余裕がある状態で結婚して、結婚した状態で子供を産んで、結婚した状態のまま育てる、以外の枠にいる人たちは、今現在確実に社会から何らかの圧を受けていると思う。そして枠に当てはまる人たちも、全くもって優遇なんざされていない。全員がつらいのに分断は頻繁に煽られる。こんな地獄で「少子化」の原因はこっちにあるという。ふざけないで。
で、結果、巡り巡ってその人の主体性を奪うことに繋がってるように思う。
で、自分自身もそういうことに加担してる面は確実にあるわけで、、
性犯罪とかセクハラとかはもちろん論外だけども、そもそも、人の身体を勝手に特定のものさしでまなざすこと自体が失礼なことだ(そういうことは心の中でコソッとやってて下さい)、というところの理解がちゃんと進まないとダメなんだと思う。
「私の体は私のものだ」っていうテーゼには、「私の体を勝手に規定しないで下さい(それは人権侵害です)」っていう意味が含まれてるんだと思う。
この方向で考えていくと、性的マイノリティ(←あえてザックリ括っちゃったけど)の人たちが直面してる問題とも自然に繋がる気がするんだよな。
最近考えてること。
女性たちが、「私の体は私のものだ」って声をあげないといけないのは、そもそも、自分の体なのに自分のものじゃない扱われかたをされてきてるからなんだよな。このへん、多くの男たちは自分の体が自分のものなのは当たり前だと思ってるから厄介だ。話が通じない。
国家によって身体や性や生殖が管理されることに抗うという文脈と、社会通念によって身体の取扱いかたの規範が決められちゃう(そしてそれは内面化する)ことに抗うという文脈があるんだと思うけど、それとはテイストの少し違う(関連はしてるけど)もう一つの文脈があるんじゃないかと思っていて、
日々の生活ひとつひとつの中で、否が応でも「女」として「まなざされ続けるる」こと。これがでかいんじゃないかと。
ただ生きてる、そこに存在してるというだけで、本人の意志や指向に関係なく勝手に一方的に「女」としてまなざされる。これってめちゃくちゃ暴力的なことだよね。他人からどう見られるかっていうのはその人のアイデンティティに関わることだと思うけど、それが勝手に「女」というカテゴリーに入れられちゃうという、この理不尽。
(ああ500文字でも足りん💦)
モーテン・H・クリスチャンセン[著]/ニック・チェイター[著]/塩原 通緒[訳]『言語はこうして生まれる』(新潮社 、2022)むっちゃくちゃ面白かった!!「人間には素晴らしいジェスチャーゲーム能力がある。即ち、即興で繰り出される柔軟な身ぶりや音声の相互理解を積極的に利用して意思疎通を図る能力だ」という仮説を軸に「言語」を考察する。その論は心理言語学や認知言語学、行動科学や認知科学の知見を皮切りに、神経科学、遺伝学、人類学、動物行動学、コンピューターサイエンスと横断していく。
《ヒトはいつでも新しい話し方、新しい考え方による世界観を学ぶことができる。これはどの新しい領域を学ぶときでも同様だ》
チョムスキーやピンカー、サピア=ウォーフの先を見せてくれる、実に知的興趣が尽きない本でした。日本語訳も非常にこなれています。
読書が捗らない本好き。フリーランスと無職の狭間。オカメインコとセキセイインコのお世話係。好きなもの:本、web小説、生成AI
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