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集まるクィアパーティ楽しかったです

「武力で作れる平和はない」――イスラエル出身、ダニー・ネフセタイさんインタビュー
d4p.world/news/23615/

これはシンプルかつ重要なことですが、性差別はシスヘテロ男性以外の全ての人が受けていますからね

パレスチナ・イスラエル対立における一般市民への基本的人道支援の確保を求めます
chng.it/W4bKvHk8

「地方」と性的マイノリティ 東北6県のインタビューから 

一口に東北地方といってもそこには様々な取り組みがあり、「東京と比べて地方は遅れている」で簡単に片付けてはいけないということがよく分かる一冊だった。

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「地方」と性的マイノリティ 東北6県のインタビューから 

東京や大阪などの都市圏と比べて語られることの少ない東北地方でのLGBTQ+に関する活動に焦点を当てた一冊。

当事者として顔を出すこと対して、「地方」というより「地元」ということに抵抗がある、家族に迷惑がかかるのを恐れているという声が多い点に関しては正直東北も首都圏や京阪神も変わらないんじゃないかと思った。

震災での当事者の困りごとでマスコミが期待しているようなトイレ問題や同性カップルの受け入れ拒否云々の前にそもそも当事者だと言えないという問題があるという指摘は重要だし、もしかしたら都市圏でも起こりうるのではないかと感じた。

個人的に東北では(シス)ゲイ中心の活動が少ないという点は意外だった。理由として(シス)男性は比較的経済面などから東京へアクセスしやすく地元で活動する必要がないことが挙げられ、男尊女卑を感じずにはいられなかった。

実際の活動では、地域の住民との共通性をアピールして軋轢が生じないように溶け込もうとしている団体もあれば、反対に積極的にアピールして政治的な主張も行う団体もあり、それぞれのやり方があると思った。(無論、どちらが正しいという話ではない)

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検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? 

「ナチスは良いことをした」という「意見」が物事を多面的に捉えたものでなくただただナチスのやってきた罪を覆い隠そうとする有害な「意見」であることが改めてわかった

そもそもその「良いこと」がどういう背景で行われたのか、それがナチスのオリジナルなのか、その「良いこと」は実際にどれくらいの恩恵を持ち出したのかが本書では論じられているが、その諸々をすっ飛ばして雑に「ナチスは良いこともした」ということが今まで研究を重ねてきた研究者たちへの冒涜と言っても過言ではないだろう

ナチスだけではないが、こういった専門家や研究者たちが長年積み重ねた研究の一部だけを掻い摘んで素人がSNS等で「実はこういう一面もあった」とわかった気になって投稿することの危険性をもっと考えなければならないと思った

よだかれんさんのブログ
重要なことが書いてあるのでシェアします
yoda-karen.com/blog/4886/

バービー 

トランス的描写やリーン・イン・フェミニズムやホワイトフェミニズムとの親和性を指摘していたリンク載せます

トランス的描写
mikinayuta.hatenablog.com/entr

リーン・イン・フェミニズムやホワイトフェミニズムとの親和性
sites.google.com/view/nj51/mov

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バービー 

一方で、モヤモヤした部分もいくつかあった。

まず、バービーランドにおいてアランやミッジといったバービーでもケンでもない存在に対しては、最後まで軽んじられていると感じた。

さらに言うとアランは「男らしさについていけない男性の象徴」として描かれてはいるものの、途中でケンたちを止めるシーンがだいぶ「男らし」かったし、ミッジはパンフレットも見ると意図的に腫れ物的な存在にされているけれどもそのようにする意味が理解できなかった。

他にも、サーシャがバービーを嫌いな理由自体は結構本質的で向き合うべき問題なんだけど、その中のうち環境破壊や資本主義への批判といった、一見するとジェンダーとはつながりが薄そうな部分に関しては最後までウヤムヤにされていると感じた。

特に、バービーランド自体のあり方がリーン・イン・フェミニズム的で非常にモヤモヤした。

それでも、シネコンレベルの邦画でここまでジェンダーに踏み込んだ作品は観たことがないので、ジェンダーについてもっと知ってもらうために世の男性には観てもらうべきだと思った。

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バービー 

色々思うところはあるけれど日本の男性陣は観るべき映画なのは確か。

女性に向けられる性的な眼差しや、社会における女性の抑圧、有害な男らしさについての描写がかなりわかりやすかった。

他にも、バービーランドは女性(バービー)中心の社会で「女の子」にとって理想郷的な描かれ方をしつつ、バービーたちがルッキズムやエイジズムを内面化しているのはあらゆる面で皮肉が効いてるなと感じた。もちろん、ただ単に皮肉ってるだけじゃなく最後それらを克服しようとしているのが良かった。(最後の定番バービーの選択はこの意味も含まれていると感じた)

さらに他の人がバービーのあり方かトランス的だと考察していて興味深かった。(正直私は気づかなかった笑)「わかる人にはわかる」という形で差し込んでいくのはシス女性とトランス女性の双方に対してナチュラルに寄り添っていて「やるな」と思ってしまった笑。

慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 

最後に関してはガワは大人しめで中身思いっきり喧嘩腰のほうが個人的に「ざまあみろ」ってなるからという単なるワガママも含まれてるんだけどね笑

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慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 

著者の二人が創作物や実際の事例も交えながら、二人がLGBTQ+やフェミニズム、ジェンダーなどを取り巻く社会に現在抱えているモヤモヤや理想を丁寧に言語化して語りあっている一冊だった。

会話の中で、森山氏は問題に対して学術的な観点(であってるかな?)で話しているのに対して、能町氏は自身の心情を思いのまま話しているという印象を受けた。(どちらがいいとか言いたいわけではなく、どちらも重要であり、軽視してはいけない点)

ただ、一点文句をつけるとすれば、装丁や帯が若干過激かつマジョリティに対して喧嘩腰では?と思ってしまった。界隈の人ならそれくらいでいいだろと思うだろうし、実際私自身も中身が喧嘩腰である分には別にいい(実際チョイチョイ喧嘩腰なとこはあったし)んだけど、私としてはこの本自体が能町みね子氏というネームバリューのある方(この言い方も本当は良くないけど)を起用しているのもあって、内容的にもこれまで全然興味のなかったマジョリティ側にクィアのことを知ってもらえるきっかけになりうる本だと思ったので少し勿体ないなあ…と思ってしまった。

埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡 

トランスジェンダーである著者二人が性別移行を経験して男と女の社会的に置かれている立場や状況の違いの言語化が秀逸だった。

個人的には、的確かつどこか俯瞰的に見ている感じでの言語化はこの二人が単にトランスジェンダーだというだけではなく、五月氏は現在女性として生きてはいるものの実際にはノンバイナリーであること、周司氏は現在男性として生きているけれど明確な性同一性は持たないことや、二人とも性別二元論や異性愛者至上主義、モノガミー至上主義により苦しい思いをして、それらを小馬鹿にしていることからきたように思えた。

マストドンにいるゲイと繋がりたい

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