今回の裏金問題について整理しました
多くの人に「政治と検察」の持ちつ持たれつの関係を知ってもらいたい
検察が政治家に飼いならされていては
統一教会のように政治家が国民から税金を搾り取って豪遊する構造は変わりません
引き続き昼食
#fediverseピザ自炊部
今回は強力粉と薄力粉の割合を3:1。バターをオリーブオイルに変え、水を1割ほどまして生地を作った。前回よりもさっくり系に仕上がり、子どもの食べも良かった。
これ、僕たちの時代を完全に狙い撃ちしているなあ。エレキットの6BM8真空管ステレオパワーアンプ [ TU-870R ]を使っているけど、欲しくなってしまった。
https://av.watch.impress.co.jp/docs/topic/special/1550601.html
今日、参議院会館で、「スラップ訴訟と言論の自由、そして民主主義」と題する記者会見を開きました。
研究者、ジャーナリスト、それに望外なことに参議院議員である宮本岳志さんが参加してくれ、活発な討論の場になったと思います。
宮本議員はかつて金融ローン会社武富士が週刊金曜日に対して行った1億数千万以上の賠償請求事件に関して、国会質問にたった経験があり、そのことから今日の会見に興味をお持ちになった、ということでした。ちなみにこの際の武富士側の弁護士が、現在の大阪維新の吉村市長です(勿論、武富士の要求は棄却)。
いやはや、20年たっても構図はあまり変わっていないのか・・・
というよりもジャーナリストの方たちのお話を聞くと、この手法は現在さらに多用されており、組織ジャーナリズムは「訴訟」になりそうな記事を自主規制、フリーの人は訴訟のリスク・負担を恐れてこれまた「自粛」という流れもあるように感じました。
「言論の自由」、少なくともこれがなければ民主主義はなりたちません。治安維持法でなくても、大富豪と権力者の企画を批判すること「スラップ訴訟」の圧力で「自主規制」されるようでは、日本の民主主義体制は風前の灯と云えましょう。
尚、今日の動画は近々、公開できると思います。
米国大学での自己検閲について。パレスチナ人へ連帯或いはイスラエル政府への批判を意識して黙ってるってことです。私も大学では、同じ考えの人同士でしかこの話はしません。アラブ系の留学生らには、ビザを取り上げられるかもしれないから、米国人の前では発言に気をつけるように言っています。
元記事はChronicle of Higher Education といういわば大学業界紙ですが、記事が取り上げていたサーベイ結果はこちら
https://abuaardvark.substack.com/p/gaza-and-academic-self-censorship
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パソコンやスマホ、タブレットを前にしても手書きでメモをとらなければ頭の中で整理がしづらいというのは、私がデジタルネイティブ世代ではないかデジタルネイティブ世代でないにしても時代や技術の進歩についていけていないからなのか、それともデジタルネイティブ世代でもやはり物理的にメモをとるということには一定のメリットというかその良さがあるもので、アナログのメモには何らかの普遍性のようなものが備わっているものなのか、どっちなんだろう。まあ、デジタルペーパーであれば、アナログである必要はないと思うのだけど、私個人としては。
昨夜、半ば眠りながらつらつらと以下のようなことを考えていた。
1)SNSは「メディア」か。メディアの必要条件はなにか?
↓
・一次情報か否か
・一次情報である場合に、伝え手に客観性が担保されているか
・情報に間違いがあった場合に修正が可能か
2)SNSは「平等」を実現手段になるか?
↓
・1)の定義からすると、おそらく「自由状態」ではそうはならない
・しかし、「管理」もまた平等を実現することはできない
*結局「自然」というものを徹底的多層的に考察していく必要がある。
年末年始は子どもがいるので、あまり根を詰めた読書はできないなあと気軽に手にした『ガリレオ・ガリレイの生涯他二篇』(ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ、田中一郎訳、岩波文庫)を読み始めた。
いろいろ引っかかったことが多いのだけれど、ガリレオの自然観と近代人の自然観の本質的な違いが決定的だなあと。それはアリストテレスが近代人に正しく理解されない理由とも繋がっているように思えてならない。
ご飯を作ったり山に登ったり、ときたま本を読む。月1回程度、直接のやり取りがない方のFFリストを見直します。