「対象が誰でも、いかなる場合でも暴力は許されない」のだから、救急車や病院や学校を破壊し、子どもを殺戮することなんて論外、当然今すぐやめさせなければならないはずなのに、パレスチナの話になると「でもハマスが」とかぐちゃぐちゃ言い出すやつがいるの意味がわかんないよな。
そもそも私は「戦闘員」と「民間人」を明確に線引きできるのかどうかも疑わしく思ってるし、「法に則った、国際法違反でない戦争」なんてあるのかよとも思ってるけど、それはそれとして国連の関連機関とかまで攻撃して死者を出してるのはもう何をどうやっても擁護できないはずなのに、誰もイスラエル政府を止められないのどうかしすぎてるよ。
それでトランプ前大統領が襲撃されたら途端に「いかなる場合でも暴力は許されない」とか急に言われてもね…としらけた気持ちにはなりますよ。流れ弾で死傷者が出たとも報道されていて、あってはならないことだとは強く思うが。
前々々職の実用版元で書店営業をやらされていたとき、定年後再雇用でベテランのSさんについて店舗を回っていた。とてもパワフルな女性で、書道の師範であること、書道の関係で今から何十年も前に中央アジアを旅して、砂漠でラクダに乗ったことなどを営業の合間に聞いた。
延長した5年を勤め上げてSさんが退職したあと、部長と同行の際に「Sさんとは何を話していたの」と訊かれて、ラクダに乗ったことなどです、と答えたら、部長は「初めて聞いた」と驚いた。最初は部下として、後には上司としてSさんと数十年いっしょに働いていたはずの部長こそ、これまで何を話していたのだろう、と思った。
前々職のITベンチャーでは監査法人の人と飲む機会があり、小柄で穏やかそうなその人は趣味は登山です、と自己紹介した。
どんな山に登ったのですか、と訊かれた彼は「アコンカグア」と答えた。まさか南米大陸最高峰の名前が出るとは思わず、私はたいへんびっくりしたし、詳しく話を聞きたかったのだが、弊社(当時)の社長の下ネタにかき消されてしまった。惜しかった、アコンカグアに登頂した話を聞きたかった、と今でも思う。
ショートヘアや刈り上げにすごく憧れがあるのだが、私自身の雰囲気のせいか美容院に行くとどうにもフェミニンな長めのボブに仕上げられがちで(私が「楽な髪型にしてほしい」とオーダーするせいももちろんある)、いやでも生きてるうちに一回ぐらい思いきったショートにしたいだろ…と思いたって「ノンバイナリー ヘアサロン」で検索かけてみたものの、あんまり出てこなかった…
いや21世紀の東京やぞ?あるやろノンバイナリー向けのサロンくらい!あれよ!!みたいな気持ち…LGBTフレンドリーなサロンは出てきた。
思えばめちゃめちゃヴィジュアル系バンドのオタクで振りきったカラーにしたい!!!!と思っていた大学生のころも、美容師さんに強く反対されて無難な色やスタイルにしかしてもらえなかった思い出…
簡易パーソナルカラー的な診断の結果などをみても「無難にしとけ」という感じではあった。いま洋服も地味カラーのファストファッションしか着てないしね…
自分がやりたい髪型や服装と、第三者に「これが似合う」と提示されるそれの乖離を感じると、私ってそんなに「無難でフェミニン」ですかね…?という落ち込みが発生してしまう。
いや「無難でフェミニン」がダメとかではないんだけど、私自身の自己イメージがあんまりそうじゃないので。
あと孤伏澤つたゐさんの小説も「Aスペクトラムの物語」を求めている人に届いてほしい…三人の女性のゆるやかな連帯を描いた『ゆけ、この広い広い大通りを』では登場人物のセクシュアリティを名指すことなく、しかし明確に読者を裏切らない、曖昧でない描きかたがされていて、稀に出会うことができる、「ここには私を傷つける言葉が一語もない」と感じる小説だった。
『浜辺の村でだれかと暮らせば』も恋愛ではないところで繋がっていく人々と、その営みがていねいに描かれていてとても好きだった。
https://fedibird.com/@tutai_k/112563784016366558 [参照]
このスレッドにつらつら書いたことをブログにも書きました。
https://hempandwillowinpain.blogspot.com/2024/06/a.html
文学フリマでブースにいらしたかたに「『ロータス』のような話にはなかなか出会えない」と言っていただいたことが何度かあって、「主人公が恋愛せず、独り身を貫く」物語の少なさを痛感したこともあった…Aスペクトラムの物語、出てきてはいるのだろうけどまだ多くはないんだよね…
手前味噌ではありますが、「アセクシュアル」も「アロマンティック」もまだまだ一般的でなく、性別二元論や異性愛至上主義から逃れることが今より更に難しかったころに書いた『ロータス』をはじめ、拙作もAスペクトラム表象を求めているかたに届いてほしいな~と思っています。
https://wordsinpain.base.shop/
ここはほんとうにめちゃくちゃ人によるので絶対に一般化できない、どこまでも「私の場合」でしかない話だけど、私は登場人物のセクシュアリティを詳らかにするよりはまだ「A-specでフィクトセクシュアル(たぶん)の人間が書いている」ということを押し出していくほうがずっと耐えられる、し、今後はそうしていこうかなとも思っている。
何もかも、黙っていると作者も登場人物もすべて「異性愛者」にされてしまう世界のせい…
「勘違いかも」と怯えたり萎縮したりせず、ちょっと親しげな男と女とみれば気軽に「恋愛関係」とみなしてカップリングする世の多くの人たちのように、それらしい関係を見つけ次第「これってアセク/アロマでは?!?!」と軽率にA-spec読みを開陳していけばいいのかも。
A-spec表象、間違いなく少ないんだけど「ズバリの語は出していなくてもA-spec表象なのに、そのように受け取ってもらえない」というのもあると思ってるので。
#AromanticVisibilityDay
#アロマンティック可視化の日
登場人物の「アセクシュアル/アロマンティック」「デミセクシュアル/デミロマンティック」などの属性、ズバリのワードで明示しないと伝わらないっぽいことがほんとうに悔しい。
わかるでしょ?の目配せだけだと「異性愛読み」にのみこまれるから明示してほしいという気持ちも、登場人物のセクシュアリティを明示しない(できない)作者の都合もどっちも理解できると思う。そのうえで私は自作の登場人物のセクシュアリティを常に開示する「義務」(とあえて書くよ)はないと思っているし、明示してくれと迫られたらすごくつらい気持ちになってしまう。
このひとこそは…!と期待していたキャラクターが結局は恋愛/性愛/結婚し、そのことに傷つき、傷ついた自分が「未熟」なんだ…と自分を責める、というのをこれまでずーっと繰り返してきて、今でも繰り返しているので、もう中途半端に期待させないでほしい、初めからはっきり示してほしい、これ以上「裏切られた」と思いたくない、という感情は私も持っているつもりなんだけど、ううむ…
いわゆる「商業作家」さん、出版社、書店などのブースが目立つようになったのは、それだけ文学フリマがメジャーな存在になったというのもあるでしょうが、商業の市場が閉塞しているからアマチュア主体の場にまで食い込んできているのだな、というのが個人的な印象です。
某文芸誌のブースを見て、あっ商業出版社の編集部が来てもコミティアみたいに「出張」的なことをしてくれるんじゃないんだ、新人賞の攻略本を売りつけられちゃうんだ、我々は「まだ見ぬ才能」ではなくて「ネギをしょったカモ」なんだなあ、そりゃ自費出版は版元にとってはおいしいビジネスだもんな、みたいなことも考えてしまった。
規模が拡大したことで一般参加者にとっては面白くなったのではないか、とも感じたし、私は基本的にはどんどん場が開かれていくことを望むほうです。そして「開かれる」と「資本化する」はイコールではない…
https://note.com/kj_nsk/n/n33c296f6bb13
ぼやぼやしているうちに月が変わってしまったけど、先日の #文学フリマ東京38 の振り返り、#文学フリマで買った本 の記録、今後のことなどを書きました。
今後のイベント参加予定は、とりあえず2024年12月1日の第39回文学フリマへの参加が確定しています。初の東京ビッグサイト開催!! 私にとっては二次創作のイベントで馴染みがある会場であり、とうとうビッグサイトで文フリか…という感慨が深いです。これは絶対に出たくて早めにエントリーしたので、ブースを確保済です。せっかくなのでいろいろ持っていきたいし、頑張りたい…!
それ以外にも、文学フリマ大阪に出たい……という気持ちが生まれているんですが、ちょっと家族の都合などもあり、ギリギリまで様子を見て行けそうだったら抽選にトライしようかな~などと思っております。イベント参加だけでなく、ここからいろいろお知らせできることもあるので、追いかけていただけるとうれしいです!
痛覚: 文学フリマ東京38 ありがとうございました
https://hempandwillowinpain.blogspot.com/2024/06/38.html?spref=tw&m=1
【お知らせ】
#文学フリマ東京38 に出店いたします!
【痛覚】E-24
🕙5/19(日) 12:00〜17:00開催
📍東京流通センター 第一展示場・第二展示場
📕イベント詳細→https://bunfree.net/event/tokyo38/
🎫チケット→https://bunfree.net/event/tokyo38/tokyo38_admission/
📚ウェブカタログ→https://c.bunfree.net/c/tokyo38/h1/E/24
さまざまなジェンダー/セクシュアリティのありようをあらわす言葉がまだ少なく、ロマンティック・ラブ・イデオロギーや性別二元論から逃れることが今より更に難しかった時代の物語『ロータス』新装2版ができました!
そのほか、笠木拓さんとの交換日記『日記に幕は下りません』、エッセイや掌編小説集などを持ってゆきます。
ブログに参加情報をまとめました。
https://hempandwillowinpain.blogspot.com/2024/05/38.html
ハマスがガザでの休戦案を受け入れたものの、合意には至っておらず、イスラエルはラファを侵攻しているというニュースが流れてくる。
停戦はもちろん即刻行われるべき。でもそれだけでは足りなくて、いまの空爆や攻撃がいったんおさまったあとにも『占領の囚人たち』で描かれているようなこと、パレスチナの人たちが政治犯として拘束されて非人間的な扱いを受けるようなことはあってはならない。イスラエルによる「占領」を完全に終わらせてほしい。
#StopGenocide
#handsOffRafah
#FreePalestine
#CeasefireNow
https://jp.reuters.com/world/security/5AU56YX3RBIWBATT2MWS6D3KCA-2024-05-06/
俳優さんたちが現地に飛んでワークショップを行っていたことや、ダーリーンの私的なトラウマにまつわる語りを削るか残すかという話し合いが行われたことなどを、はっきり知らせてくれていたのも誠実だったと思う。
観ていて苦しくなった観劇体験というところで私は『BENT』を思い出したんですが、あれはアウシュビッツの話で…もうほんとうに、ほんとうにやりきれない。
しかも『占領の囚人たち』は現在進行形のドキュメントで、上演された時点より現在ははるかに事態が悪くなっているわけで…
5月6日以降にオンライン上映の予定があるそうなので、気になっているかたには観ていただきたいなと思います(尋問や拷問、性暴力の描写があるのでご注意ください)。
具体的な情報が出てきたら私もシェアしますね。
『占領の囚人たち』上映会で上演の記録映像を観ることができた。大変つらい芝居だったけど、観てよかったです。
第一部の冒頭から、刑務所での暴力的な尋問を見せられて息が詰まる。劇中で再現される「囚人」たちへの拷問や非人間的な扱いは舞台上の虚構だとわかっていても見ていて苦しく、演じている俳優さんたちの負荷が心配になった。それでも実際に収監された経験のあるパレスチナ人俳優のカーメルさんは「優しすぎる」と言う。
上演されたのは2023年2月で、この舞台で描かれている囚人は主にヨルダン川西岸地区の人たちだという。つまり現在のガザはもっともっとひどい状況にあるということ。
第一部には男性しか登場しないが、第二部の『I, Dareen T. in Tokyo』では逮捕された詩人のダーリーンの過酷な状況とあわせて、イスラエル人劇作家のエイナットとダーリーンの交流が描かれる。この女どうしの連帯がほんとうに良かったし、このひどい現実を終わらせる希望への手がかりだな、と感じた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024033100229&g=int
しばらく前から体調あんまり良くないのかな…とうっすら心配していた家族がやはりあんまり良くなさそうなことが大学病院で判明し、5月になったというのに急に寒くなってぐったりしだした猫様は結膜炎と診断され、ともかく連休に入る前にいったん病院にかかれたことはよかったね…という感じで迎えたGW後半の初日、今度は私が右手をやけどしてしまった。
カップ麺を持ち運ぼうとして手が滑り、熱湯がバシャッとなったというしょうもないうっかりミスだったのだが、水ぶくれができたので祝日も診療している皮膚科に駆け込み、手にがっつり包帯を巻かれ抗生物質まで処方されて、すべてのやる気がゼロに…うう…。私は今のところ元気で、仕事も問題なくてよかった…と思っていたのはなんだったのか…
結局はそんなに重くなくて今は元気にしているけれど、別の家族も体を痛めてしばらく動けない時期があったし、なんていうか、自分も両親も健康に無頓着でいられる年齢ではなくなってきたことを痛感する。そんな感じでやや落ち着かない5月のはじまりです。
猫様は処方された目薬がよく効いてすっかり元気になりました。
#日記
旧ツイッターでトランス排除アカウントが「僕」という一人称を「キッッッッツ」などと侮蔑していてめちゃくちゃムカついた。最低すぎるし、ジェンダー規範にガチガチに縛られてるからできる発言だよね。トランスヘイターが言う「ジェンダー解体」なんて欺瞞なんだなということがよくわかる。
性別違和、ジェンダー/セクシュアルアイデンティティの揺らぎ、しっくりくる一人称や服装が規範から逸脱していること、などを「中二病」「"周囲と違う自分"への憧れ」「一時の思い込み」みたいに決めつけることはほんとうに有害で当事者を傷つけるので、適当にそういうことを言わないでほしいんですよ。
ソースはこういう苦しさを「非モテの勘違い」という自虐に押し込めて苦しんでいた十代の私。
『宝石の国』の公開部分をいっき読みしてしまった。なんかものすごいスケールの話だったんだな…でも最後にフォスがああいう形になれるとは思ってなくて、それはほんとうに美しい終わりだと思った。
「実はすべて物語の始めから特定のキャラクターが仕掛けていたこと」という展開が私はどうにも好きじゃなくて、それが判明した時点でけっこう冷めてしまっていたんだけど、そのキャラクターが退場してからはすごかったね…
100話ぐらいまでは読んでいたはずなんだけど、ただでさえ絵から何が起きているのかを読み解くのが苦手なのに『宝石の国』の絵の読解はほんとうに難しくて、ストーリーがよくわかっていなかった。またあたまから読み直して、ようやくなんとなくわかった…ような気がする…けっこう笑うとこがある漫画なんだなと思ったりした…
75話のエクメアとカンゴームは何度読んでも苦しいですね。初読のとき「フィクションでここまで地獄と思った結婚式を見た記憶があまりない…」と思ったんだけど、その感想は変わらないな…
カンゴームについてはキャラクターや物語そのものより「カンゴームが『姫』になったことにショックを受けている人たち残念でしたね」みたいな目線の感想が苦しい。性別がなく、性愛と遠い存在に心を寄せることを嘲笑されているように感じてしまって。
旧ツイッターのほうで、私の投稿をスクリーンショットで引用し、「検閲だ」と晒した投稿が1000以上RPされていたことに昨日気づきました。警戒しすぎかなとも思いつついったんメインアカウントを停止していますが、30日以内には戻します。グループDM使わないといけないし。お騒がせしてすみません…。
「しれっと返本することもできただろうし、私なら多分そうする」という部分が激しい反応を引き起こしたっぽく…「返本」とは限りある棚に並べる商品の選別であり、店舗運営のための書店の日常業務なのだ、ということが書店・出版業界の外ではあまり知られていない可能性に思い至らなかった私もよくなかったけど、それにしても「検閲」を誤解しすぎじゃないか…
むしろ正しい意味での公権力による「検閲」ではなく、現場の書店員という一個人による判断であることに抵抗感を覚えた人が多かったのでは、と思ったりした。「出版社の許可もないのに」みたいな言葉で憤慨している投稿もあったし。
公権力や組織の命令ではなく、何の権力もない一個人が、個人としての責任と判断に基づいて行動や抵抗をすることが気に入らない、という人が多い、ように少なくとも旧ツイッターにいると感じられる。怖いことだ。
書きたいことを書きます。ここでは主に日々あったこと、日々思ったり考えたりしたことをつらつら書くつもりです。美術館と劇場が好き。クエスチョニング(たぶんA-spec/フィクトセクシュアル)。