ここはほんとうにめちゃくちゃ人によるので絶対に一般化できない、どこまでも「私の場合」でしかない話だけど、私は登場人物のセクシュアリティを詳らかにするよりはまだ「A-specでフィクトセクシュアル(たぶん)の人間が書いている」ということを押し出していくほうがずっと耐えられる、し、今後はそうしていこうかなとも思っている。
何もかも、黙っていると作者も登場人物もすべて「異性愛者」にされてしまう世界のせい…
「勘違いかも」と怯えたり萎縮したりせず、ちょっと親しげな男と女とみれば気軽に「恋愛関係」とみなしてカップリングする世の多くの人たちのように、それらしい関係を見つけ次第「これってアセク/アロマでは?!?!」と軽率にA-spec読みを開陳していけばいいのかも。
A-spec表象、間違いなく少ないんだけど「ズバリの語は出していなくてもA-spec表象なのに、そのように受け取ってもらえない」というのもあると思ってるので。
#AromanticVisibilityDay
#アロマンティック可視化の日
あと孤伏澤つたゐさんの小説も「Aスペクトラムの物語」を求めている人に届いてほしい…三人の女性のゆるやかな連帯を描いた『ゆけ、この広い広い大通りを』では登場人物のセクシュアリティを名指すことなく、しかし明確に読者を裏切らない、曖昧でない描きかたがされていて、稀に出会うことができる、「ここには私を傷つける言葉が一語もない」と感じる小説だった。
『浜辺の村でだれかと暮らせば』も恋愛ではないところで繋がっていく人々と、その営みがていねいに描かれていてとても好きだった。
https://fedibird.com/@tutai_k/112563784016366558 [参照]
このスレッドにつらつら書いたことをブログにも書きました。
https://hempandwillowinpain.blogspot.com/2024/06/a.html
文学フリマでブースにいらしたかたに「『ロータス』のような話にはなかなか出会えない」と言っていただいたことが何度かあって、「主人公が恋愛せず、独り身を貫く」物語の少なさを痛感したこともあった…Aスペクトラムの物語、出てきてはいるのだろうけどまだ多くはないんだよね…
手前味噌ではありますが、「アセクシュアル」も「アロマンティック」もまだまだ一般的でなく、性別二元論や異性愛至上主義から逃れることが今より更に難しかったころに書いた『ロータス』をはじめ、拙作もAスペクトラム表象を求めているかたに届いてほしいな~と思っています。
https://wordsinpain.base.shop/