井谷聡子さんのインタビュー記事。プレゼント機能を使ったので、8月14日18:30まで全文読めます。
『人間の体は複雑で、生まれつきの性差だけで運動能力が決まるわけではない。生まれた地域や育った環境など、社会的な要因も影響する。IOCも21年に発表した枠組みの中で、トランスジェンダーや体の性の多様な発達を持つ選手が、不当に有利だという仮定はできないと明示している』
誹謗中傷を世界に拡散させた「政治的背景」とは 五輪女子ボクシング
https://digital.asahi.com/articles/ASS8F0GWLS8FUTIL008M.html?ptoken=01J55H5SS5W9MTSSV3AP3ZPS4G
https://www.asahi.com/articles/ASS8F0GWLS8FUTIL008M.html
今回の騒動で最重要記事だと思う。井谷さんはもちろん、インタビュアーの方も問題をよく理解された上でインタビューしているのが伝わってくる。
専門家でも何でもない、単に"一家言ある"だけのヘイターを連れてくるんじゃなく(ましてそれで雑誌まで作ってしまうんじゃなく)、こういうレベルの報道や論考がもっと必要。
ダメな唯物論を信奉していると簡単に堕ちる
板橋のレイシスト屑が荒川を越えやがって
そもそも佐藤悟志と仲良く並ぶとは末代までの恥
今日の東京新聞のこの記事。群馬だと朝刊の1面でした。
東京都が広報する婚活イベントで、軽度知的障害があることを主催者に事前に相談した方が、参加を断られたというものです。都が関連する事業ということもあり、記事の軸は障害者差別解消法に置かれていますが、この社会がそもそも「誰の・どんな」家族形成だけを規範的に想定してきたかという、生殖をめぐる差別と抑圧がむきだしになった事例でもあると思います。障害がある人は結婚したり生殖したりすべきではないし、「少子高齢化」対策として行政が予算を付けている「(官製)婚活」においても、障害者は排除されて当然だと思われている。そもそも「少子高齢化」自体が、社会保障制度と経済成長にとっての危機として問題化されている以上、そのような排除が起きること自体は何も不思議なことではないのですが。
ちなみに、この記事を書いたのは奥野斐記者です。LGBTQについての報道で、東京新聞が他紙に差をつけているのも、この奥野さんの力なのです。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/346782
靖国が「平和を祈る場所」と強弁する者の中に、「もうこれ以上祭神は増やしません」と起請文を書いたやつはいるのか?
@fukuyoken3daime うちの近所だけではなかったんですね!
「近所のスーパーの店のお米コーナーに欠品が目立つ」云々という観察をXに書いたら、「ネットでは買えますよ」という、Xあるある定型リプライをもらった記念
そして何より、政府による歴史言説への実質的な介入は、「歴史戦」なる名目ですでに行われており、それは歴史修正主義を権力が振り回している、きわめて危険なものです。近現代日本史では、通説を普通に発表するだけで、国家に攻撃され、それに便乗したネトウヨに叩かれるのが現状です。
プレゼント機能使いました↓
https://digital.asahi.com/articles/ASS863DG5S86ULLI00DM.html?ptoken=01J4VGVX6H8QQVFTBBDVW0AA1Al
"(保井啓志)ただ、知らないからこそ、両論併記で終わるとか、「イスラエル・パレスチナ問題ってすごく複雑だよね」「難しいよね」で話が終わることがあって。「難しいよね」っていうものの持つ政治性ですよね。
最近、(現代アラブ文学やパレスチナ問題に詳しい)岡真理さんはそれに反応して、「イスラエルとかパレスチナ問題って私は難しいとか複雑だと思っていない」と。物事の本質は、イスラエルによる植民地主義の問題で、そこをうまく描き出せていない。"
だから「ネット右派の反知性的態度とは、『複雑さを見る』知識人に対する反発」とかいう伊藤昌亮のような分析は完全に的はずれ。岡真理がネトウヨだってことになっちゃう。
https://sarutora.hatenablog.com/entry/2021/05/04/023003
率直に言って、この後半の記事で呉座さんが述べていることは、極めて歴史学にとって危険で、その存立を揺るがせかねないことです。「間違った歴史認識の修正は国主導で」と見出しにありますが、歴史認識を国家の権力で押し付けることは、学問の自由を損なうものです。大変問題といわざるを得ません。
「歴史的事実を正確に伝えるのであれば」といいますが、ごく単純な事実関係ならともかく、ある程度解釈に入るようなことを国家権力が「認定」すること、それを対外アピールに使うこと、それを歴史学者が片棒担ぐことは、学問の自由な発展に反するものでしかありません。大変問題です。
さらに言えば、もし仮に「間違い探し」活動を国家ぐるみで世界のコンテンツに対して行った場合、起こることは日本に関する認識の深化ではなく、「日本は面倒だからコンテンツ展開やめとこう」という、イメージの悪化とジャパン・パッシングでしかないでしょう。目的に対しても合理的でないのです。
私が考えるに、コンテンツで歴史を扱うのは、その制作者が自己の責任と認識で行えばよく、それに対して歴史学者も自由な立場で批判なり評価なりをする、まさしく言論の自由を行使することが大前提だと思います。だから私も自己の責任で #ところで艦これ厨は滅ぼされねばならない と発信しました。
ぶっちゃけていえば、日本では艦これはじめ歴史上の人物や事象を何でもかんでも美少女化している――弥助もすでに褐色美少女化の厄に遭っているようです――状況で、他国のコンテンツに四の五の言える資格がこの国にあるんかいな、と思います。みんな勝手にやれば宜しい。それが人種差別でない限り。
もちろん、コンテンツに歴史修正主義的な内容が入ってきたら、それは厳しく批判され撤回されねばなりません。場合によっては(欧州とかでは)権力の介入もありうるかもしれません。でもそれは「学問的に間違いだから」ではなく、「人権問題だから」です。そこははき違えてはなりません。
編集業。하야카와 타다노리 。『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版→ちくま文庫)『原発ユートピア日本』(合同出版)『「愛国」の技法』(青弓社)『憎悪の広告』(共著、合同出版)『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社→朝日新聞出版)あり。 真理が我らを自由にする&労働が我らを自由にする。