本来の目的は「加害や不正をなくす」ことであって、そのために必要なのは兵庫県知事の各種加害や選挙期間中の不正に対する批判、つまり本人の行為そのものへの批判をすればいいだけ。でもそれだとすぐに結果は出ないから、堪え性のないSNSユーザーはすぐに結果が出る(と感じられる)ものに飛びつく。それが嘲笑的な文言を入れた批判投稿だったり、叩きやすい存在が現れたときにそちらも巻き込んで言及することだったりする。
宮崎美子がなにをしようと、兵庫県知事本人の振る舞いを変えることはおそらくない。あったとしてもその可能性や影響力は微々たるものでしかない。しかし「自分の投稿がたくさん拡散されていいねされる」という結果は出るので、なにかを成し遂げた気にもなれる。そういう罠にはまっていることに気がついてほしい。
宮崎美子の発言を意図的に切り取ったタイトルがつけられた記事のタイトルだけ読んで失望してるリベラルインフルエンサーが多数見受けられ、これがTwitterという場の磁場に支配されてしまった典型だと思うなどしている。記事提供元がどういう媒体かをまず確認して、そのあと全文読んで、さらに自分が言及すべきかどうかの検討を慎重にして...etcというようなステップを無視して反射的にツイートする。アクセス数稼ぎで意図的に切り取ったタイトルつけてる媒体と、やってることの本質は変わらないのではないか。いいねとリツイートが欲しいだけ。
この規模感での出版はむしろいまこそ大切になると思う。結局、「速く・たくさん」売ることを目的とした/せざるを得ないやりかたでは、行き着く先はバズり=インプレッションになり、つまるところそれはひろゆきやら石丸やらイーロンやらになるほかないということでしかない。いくらリベラルだとか反差別だとかエシカルだとか中身を設定していても、そのためにとる手段=形式がバズることを必要としてしまうなら、その土俵=仕組みの中での勝者は常にインフルエンサーになってしまう。
これは政治や社会を動かすときにも同じで、速くたくさんの人に情報を届ける&それをもとに動いてもらうことを目的としているうちは、やはり勝者は常にひろゆきやらなんやらになってしまうのだと思う。
From: @gucchi_penguin
https://fedibird.com/@gucchi_penguin/113543557887692048 [参照]
ちなみに本屋lighthouse出版部は「商業出版では採算がとれないと判断されてしまうであろう規模感・内容」のものを出版するのが目的のひとつで、それがだいたい数百から千部くらいを数年かけて売り切ることができればいい、というイメージのものになっている(ただ、この規模感はおそらく学術出版も同じくらいではある)。この規模感で書き手と版元=私に、多くはないが少なくもない収入が入ればいい、つまり食っていくのに少し足しになればいい、というイメージでやっていて、それは自分なりの資本主義=商業出版への抵抗でもある。だから取次経由での納品はできないままにしているし、書店の利益率と書き手の印税率も可能な限り高くするようにもしている(前者は最大40%、後者は現状15%だけど目標は20%)。
文フリ東京行くべきブース紹介的なもの、結局のところそこで取り上げられるのは「すでに有名」な存在になりがちで、それじゃあただの資本主義≒商業出版なんですよね。もちろん私はお店をやってるから「すでに有名」側としてその恩恵を受けるわけだけども。
まじで売上すっからぴんだから自慢するしかねえ。英字のUDフォント探してたら「open dyslexia」というディスレクシアでも読みやすいフォントを見つけて採用したのが今日の工事のハイライト。ロゴの下側「Books(tore)〜」の部分に採用。Adobeにインストールしてやったぜ。どんどん使っていこう。
ウェブサイトの工事がうまくいったのをアピールしたせいか誰も店に来ねえ。みんなウェブサイト見てくれてやがるな?
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。