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宮崎美子の発言を意図的に切り取ったタイトルがつけられた記事のタイトルだけ読んで失望してるリベラルインフルエンサーが多数見受けられ、これがTwitterという場の磁場に支配されてしまった典型だと思うなどしている。記事提供元がどういう媒体かをまず確認して、そのあと全文読んで、さらに自分が言及すべきかどうかの検討を慎重にして...etcというようなステップを無視して反射的にツイートする。アクセス数稼ぎで意図的に切り取ったタイトルつけてる媒体と、やってることの本質は変わらないのではないか。いいねとリツイートが欲しいだけ。

これが「世論」とやらを形成するのに有用なSNSの場として認識され活用されているのだから、そりゃまっとうな政治と社会は遠のく一方だよ。政治と社会とそこに生きる存在すべてを己の承認欲求を満たすおもちゃにしてしまっている、その自覚がなさすぎる。

そもそも記事がTVでの発言をライターが書き起こしているものである時点で、厳密には一次資料ではないのだから、たとえ記事を全文読んでいたとしても宮崎本人の意図が適切に反映されているかどうかは確証は持てないわけで、安易に言及すべきものではない。でも「なんかしら言いたくなる」のがSNSの力で、それにどれだけ抗えるかがこれからの社会がどうなっていくかを左右すると思う。

本来の目的は「加害や不正をなくす」ことであって、そのために必要なのは兵庫県知事の各種加害や選挙期間中の不正に対する批判、つまり本人の行為そのものへの批判をすればいいだけ。でもそれだとすぐに結果は出ないから、堪え性のないSNSユーザーはすぐに結果が出る(と感じられる)ものに飛びつく。それが嘲笑的な文言を入れた批判投稿だったり、叩きやすい存在が現れたときにそちらも巻き込んで言及することだったりする。
宮崎美子がなにをしようと、兵庫県知事本人の振る舞いを変えることはおそらくない。あったとしてもその可能性や影響力は微々たるものでしかない。しかし「自分の投稿がたくさん拡散されていいねされる」という結果は出るので、なにかを成し遂げた気にもなれる。そういう罠にはまっていることに気がついてほしい。

ユーザーが己の承認欲求を満たすための投稿を繰り返すことで、2ちゃんねるという場は発展してきたのではないのか?そのへんのネット史は詳しくないからわからないけど、とにかくいまのSNSはそういう構造になってしまっていると思う。SNSから離れることがてきないのなら、その空気感に抗いながら使っていくほかない。

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