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R sekiguchi さんがブースト

おいおいおいおいおい

さすがに店員を呼んで抗議した。
するとたまたまその店員が棚の担当者だったのだが、「新刊を並べてるだけで政治的意図は全くない」と強弁して開き直った。「いや明らかに偏ってるでしょ。せめて両論併記にしなさいよ。このトランスヘイト本が平積みされているだけで傷つく人がいるよ」と言ってもTなる書店員はしらばっくれるばかり。本社にメールします。ちなみに有隣堂。

いろいろあって朝からくさくさしていたが、遠足行きっぽいバスの中から20人くらいの小学生がいっせいに手を振ってきたので、振り返したら大盛りあがりしてくれたので最高になった(他人に手を振って振り返してもらうゲームでもしてたのだろう)。おれは武道館ライブを成功させたアーティスト。

「まじない」と「のろい」はどっちも「呪い」なんですね。

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この呪文のいいところは、自分がつらみなときに唱えるとこれを見た者にも呪いの効果があらわれるというところです。

R sekiguchi さんがブースト

もちろん、「私たちはこの国を愛している」と言うことでしか紡げない思いや抵抗できない側面もあるはずで、全てをナショナリズムだと批判するつもりはないです。
それでも、人権運動において権利を取り戻す主体は市民であって国家ではないということ、国家や家など共同体への愛着を主軸にした(あるいは利用した)運動が歴史的に何に回収されてきたのかということに、私たちは運動の中で何度でも立ち返る必要があるとは思う。

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R sekiguchi さんがブースト

郷土愛もマクロなナショナリズムなのだけど、地元への愛着とか馴染みのある場所への好意みたいなものは私も持っているので、自分もナショナリズムを内面化していることを自覚しつつ、それでもナショナリズムに回収されないでいたい。
国家にせよ家にせよ、それらは人が集まったことで作られた共同体でしかないけど、その共同体に権力が付与されてしまっている以上、そうした共同体そのものへの支持や愛着は、国家ならナショナリズム、家なら家父長制というように、簡単に権威主義や全体主義に転んでしまうよね。

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R sekiguchi さんがブースト

国家を支持するとか国家を愛するとか、かなり怖い言葉なので、デモのシュプレヒコールで散見されるようになってきたことに危機感ある。
弾圧されている国や地域に連帯することや、その土地の自治権/独立/解放を支持すること、そこに暮らす人や動植物の権利を支持すること、その人々からの意見や声明を支持することと、「特定の国家そのものを支持したり愛したりすること」は、全く別の行為だと思っている。
国家とは最も支配的な権力を保持している排他的政治共同体なので、権力の塊かつ支配の象徴みたいな「国家そのもの」を支持したり愛したりしてしまうならば、そしてそれを参加者たちで共有するのであれば、その運動はナショナリズムまっしぐらなんじゃないのかと。
「We love 〇〇(任意の国名)!!」のようなシュプレヒコールは、(それが自国に向いていようと他国に向いていようと)かなり愛国運動の様相を呈しているので、「どうしてもこの運動にナショナリズムを持ち込みたい」という意図が無いのであれば行うべきじゃないし乗るべきでもないと思う。

トランスヘイト関連 

シーソーブックスの件、断片的な情報から推測でものを言うのはアレだけど、ポップ作成者と思われるアカウントの過去投稿を見ると、件の本がゲンロン運営のシラスで茂木健一郎に紹介されたから読んだ、というスタートのようで、かつそのあと書いた自分の書評もシラスで高評価だった、それが自信になってポップも、というような流れになっていることが予測できるんですよね。

ゲンロンは「中立なオレ冷静」アピールする傾向のある媒体で、茂木はセクシュアルマイノリティ全否定の日本保守党結成宣言の本に応援団のひとりとして寄稿しちゃってるし、みたいな背景を知っていれば、そこを入口にするのは危ないということがわかるのだけど......。入口の入り方、大事ですね。

今月の売上がふるわないからマリーンズも7連敗するのか、マリーンズが7連敗するから売上がふるわないのか。

荻窪の本屋Titleがウェブサイトで毎日更新してる「毎日のほん」でとりあげられるのは、出版業界的には非常に名誉なことなのだけど、いかんせん「毎日のほん」だから明日には別の本になっていて、いまさっき見つけた私がみんなに自慢できるのはあと1時間あまりで、それ以降は狼少年になってしまうのが、この「毎日のほん」の罠です。

twitter.com/title_books/status

この帯はあれですね、本来の帯ではなく現代新書フェアとか用に巻かれた臨時帯の類ですね。

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私は信仰している宗教を持たないと思ってこれまで生きてきているが、具体的に言語化できはしないが確かに存在するなんらかの信仰のようなものがあり、それゆえに死を選ぶことなく生きながらえているのかもしれない。別にそれが信仰であろうとなかろうと、宗教であろうとなかろうとどちらでもいいが、確かに存在しているらしい「それ」を否定されたら、糸は切れてしまうかもしれない。

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わかりやすい、あるいは自覚できているマイノリティ要素はないのだけど、子どもの頃から「この子は「ふつう」とは違う子なんだろうな」と母に思わせていた人間なので、ひとり砂漠を漂いつづける生になるのだろう。

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私が怒りを表明するのは、このまま放置していたら私以外の他者にも不利益が生じる問題、つまり社会問題や構造(システム)の不備に対してであって、自分だけが損して終わるような偶発的なミスに関しては、そのまま流してしまうことがほとんどだ。でも、後者はわざわざ報告しないので存在自体が感知されず、前者のみが表面化するため、「常に正義を求めて怒ってる、どんな些細なミスも許さない人」という認識になってしまう。そんなふうに感じ、うぐぅ......となってしまう者はどこかにいると思うので、同じだけど異なる「砂漠」を漂う存在がいることを知らしめるために、こうして言葉にしておこうと思う。

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今月は納品ミスも何度もあり、頼んだ本が来なくて頼んでない本が届くなどしている。わざわざ取り寄せをした本を無断キャンセルされてもいる(私生活が大変らしく、たぶん注文したこと自体忘れている)。でもそういう悪意のない/どうしようもないミスはだいたい指摘することなく「まあいいか」で自分の損を流してしまうのだけど、社会に害を及ぼす悪に関してはがんばって物申すようにしている。だから私は自分のことをとてもやさしい、あるいは弱気な、他人のミスを指摘する勇気もない人間だと思っているのだけど、世間的には「正しさばかりを求める堅苦しい面倒なやつ」だと思われているように感じていて、それがずっと苦しかったりする。実際の私は怒れない人間なのに、いつも怒っている人だと思われている。

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正しくあろうとするほど、つまり皆が幸福であることを目指すほど、ときに厳しさが必要になることもあるのだけど、その厳しさゆえに疎まれ見放されることになるのなら、そんな社会は崩壊してしまえばいいと思う。

なんか急にだめになってしまったね。

なお、このまま閉店の時間になりました∈(゚◎゚)∋

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