おいおいおいおいおい
さすがに店員を呼んで抗議した。
するとたまたまその店員が棚の担当者だったのだが、「新刊を並べてるだけで政治的意図は全くない」と強弁して開き直った。「いや明らかに偏ってるでしょ。せめて両論併記にしなさいよ。このトランスヘイト本が平積みされているだけで傷つく人がいるよ」と言ってもTなる書店員はしらばっくれるばかり。本社にメールします。ちなみに有隣堂。
この呪文のいいところは、自分がつらみなときに唱えるとこれを見た者にも呪いの効果があらわれるというところです。
国家を支持するとか国家を愛するとか、かなり怖い言葉なので、デモのシュプレヒコールで散見されるようになってきたことに危機感ある。
弾圧されている国や地域に連帯することや、その土地の自治権/独立/解放を支持すること、そこに暮らす人や動植物の権利を支持すること、その人々からの意見や声明を支持することと、「特定の国家そのものを支持したり愛したりすること」は、全く別の行為だと思っている。
国家とは最も支配的な権力を保持している排他的政治共同体なので、権力の塊かつ支配の象徴みたいな「国家そのもの」を支持したり愛したりしてしまうならば、そしてそれを参加者たちで共有するのであれば、その運動はナショナリズムまっしぐらなんじゃないのかと。
「We love 〇〇(任意の国名)!!」のようなシュプレヒコールは、(それが自国に向いていようと他国に向いていようと)かなり愛国運動の様相を呈しているので、「どうしてもこの運動にナショナリズムを持ち込みたい」という意図が無いのであれば行うべきじゃないし乗るべきでもないと思う。
トランスヘイト関連
シーソーブックスの件、断片的な情報から推測でものを言うのはアレだけど、ポップ作成者と思われるアカウントの過去投稿を見ると、件の本がゲンロン運営のシラスで茂木健一郎に紹介されたから読んだ、というスタートのようで、かつそのあと書いた自分の書評もシラスで高評価だった、それが自信になってポップも、というような流れになっていることが予測できるんですよね。
ゲンロンは「中立なオレ冷静」アピールする傾向のある媒体で、茂木はセクシュアルマイノリティ全否定の日本保守党結成宣言の本に応援団のひとりとして寄稿しちゃってるし、みたいな背景を知っていれば、そこを入口にするのは危ないということがわかるのだけど......。入口の入り方、大事ですね。
荻窪の本屋Titleがウェブサイトで毎日更新してる「毎日のほん」でとりあげられるのは、出版業界的には非常に名誉なことなのだけど、いかんせん「毎日のほん」だから明日には別の本になっていて、いまさっき見つけた私がみんなに自慢できるのはあと1時間あまりで、それ以降は狼少年になってしまうのが、この「毎日のほん」の罠です。
https://twitter.com/title_books/status/1783636699865833672?s=46&t=chyQfs6W2RfeREPFeTQ2mA
今月は納品ミスも何度もあり、頼んだ本が来なくて頼んでない本が届くなどしている。わざわざ取り寄せをした本を無断キャンセルされてもいる(私生活が大変らしく、たぶん注文したこと自体忘れている)。でもそういう悪意のない/どうしようもないミスはだいたい指摘することなく「まあいいか」で自分の損を流してしまうのだけど、社会に害を及ぼす悪に関してはがんばって物申すようにしている。だから私は自分のことをとてもやさしい、あるいは弱気な、他人のミスを指摘する勇気もない人間だと思っているのだけど、世間的には「正しさばかりを求める堅苦しい面倒なやつ」だと思われているように感じていて、それがずっと苦しかったりする。実際の私は怒れない人間なのに、いつも怒っている人だと思われている。
正しくあろうとするほど、つまり皆が幸福であることを目指すほど、ときに厳しさが必要になることもあるのだけど、その厳しさゆえに疎まれ見放されることになるのなら、そんな社会は崩壊してしまえばいいと思う。
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。