正しくあろうとするほど、つまり皆が幸福であることを目指すほど、ときに厳しさが必要になることもあるのだけど、その厳しさゆえに疎まれ見放されることになるのなら、そんな社会は崩壊してしまえばいいと思う。

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今月は納品ミスも何度もあり、頼んだ本が来なくて頼んでない本が届くなどしている。わざわざ取り寄せをした本を無断キャンセルされてもいる(私生活が大変らしく、たぶん注文したこと自体忘れている)。でもそういう悪意のない/どうしようもないミスはだいたい指摘することなく「まあいいか」で自分の損を流してしまうのだけど、社会に害を及ぼす悪に関してはがんばって物申すようにしている。だから私は自分のことをとてもやさしい、あるいは弱気な、他人のミスを指摘する勇気もない人間だと思っているのだけど、世間的には「正しさばかりを求める堅苦しい面倒なやつ」だと思われているように感じていて、それがずっと苦しかったりする。実際の私は怒れない人間なのに、いつも怒っている人だと思われている。

私が怒りを表明するのは、このまま放置していたら私以外の他者にも不利益が生じる問題、つまり社会問題や構造(システム)の不備に対してであって、自分だけが損して終わるような偶発的なミスに関しては、そのまま流してしまうことがほとんどだ。でも、後者はわざわざ報告しないので存在自体が感知されず、前者のみが表面化するため、「常に正義を求めて怒ってる、どんな些細なミスも許さない人」という認識になってしまう。そんなふうに感じ、うぐぅ......となってしまう者はどこかにいると思うので、同じだけど異なる「砂漠」を漂う存在がいることを知らしめるために、こうして言葉にしておこうと思う。

わかりやすい、あるいは自覚できているマイノリティ要素はないのだけど、子どもの頃から「この子は「ふつう」とは違う子なんだろうな」と母に思わせていた人間なので、ひとり砂漠を漂いつづける生になるのだろう。

私は信仰している宗教を持たないと思ってこれまで生きてきているが、具体的に言語化できはしないが確かに存在するなんらかの信仰のようなものがあり、それゆえに死を選ぶことなく生きながらえているのかもしれない。別にそれが信仰であろうとなかろうと、宗教であろうとなかろうとどちらでもいいが、確かに存在しているらしい「それ」を否定されたら、糸は切れてしまうかもしれない。

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