画伯 さんがブースト

 これTwitterで流れてきてかなり衝撃を受けました。
twitter.com/resistique/status/

 寄付を送金する際、ガザ在住かを確認するために音声を用いる場合がある…ということについてのステートメント。
 合言葉を言わせてるわけじゃないとか、ろうの場合は周りにサポートがある場合のみ行っているとか書いてあるのですが、聴覚を用いて他者の属性を弁別するという発想自体が特定の人たちに限りない恐怖を与えるし、問題提起した人もその暴力性を批判している。
 そもそもこの方法をとっても絶対にわかるわけではないので、非常時においてはある程度騙されることも込みで寄付するしかないと思う。100万単位で送るわけでもないし、悪意ある相手に渡っても決定的なことは多分起こらない。
 人間を見分けるという行為は恐ろしい。

これはわかるな〜私は友人と呼べる人はごく少ないし積極的に人付き合いはしないのだが駅とか街中で手を貸したりエレベーター待って〜て聞こえて開ボタン押して待ったおばさまと降りるまでおしゃべりしたりみたいなことは好きというかその時限りのこういう社会性が心地よい

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ボランティアについてのunpopular opinionなど 

いやーここには何回か書いてる件なんだけど、わたしいまボランティアめちゃくちゃやっており大好きなんだけど、それって「ボランティアでは人とのつながりが薄いから」好きなので、「ボランティアをやると人とつながれるから」好きなんではない…のでそのへんにみんなとの認識の違いを感じることある。

私はボランティア活動の、たくさんの人がやってきては去っていって長期的な関係を築かなくていいとこが好きで、私はそういう環境にいるとめっちゃ楽だし、そういう形で社会と関われるって素敵だな~と心から思ってるんですよ。

だから公のコミュニティというのは、そこにあんまり所属したくなかったり全然してなかったり人も含めてみんなのものじゃないかなって思う。だって積極的に所属したい人だけのグループだったらそれってただの友達グループなので。

人と関わりたいからじゃなくて、人と関わらなくていいからコミュニティを大事にしたいっていうこの感じをどうやって人にわかってもらったらいいのかわかんないなーって思っています。わかってもらう必要もないのかもしれないけど。

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生活保護バッシングが凄まじかった2012年から2年くらい経った時期。その間に「バッシングは間違い」的な記事なんかも出て(拙著の刊行もこの時期)、某紙の記者から「バッシング、収まったと思いますか」と聞かれて「2年前よりは」と答えたら記者に「僕はこれ、外国人バッシングにスライドしただけだという気がします」と言われたんだけど、果たしてその通りでしたね。
ちなみに生活保護全般へのバッシングはSNSでは減ったけど、世間からの当事者バッシングそのものは減ってないと思う。

「どちらも出す/一緒に並べる」ことがバランスを取るということではない。差別言説は反対意見ではないので同じ土俵に乗せてはならない。差別言説は一方的な暴力、害悪であるという点が差別に反対する人の中でもすっぽり抜けているのを見る頻度が上がってる気がする

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イギリスでトラスのメモワールがSFの棚に置かれてる画像が出回ってたがそれと同じ感じでこの有隣堂の売り方はいいのではと思ったが極右差別主義者の人たちの間でこの誤った言説が定着するのも問題だしな…しかし「両論併記」という言葉がうっすら適切であるかのような用法で出てくるのもなんかこう保守派の「議論/対話しましょう」キャンペーンの成果なのではと思ってしまう。「両論併記」とは発言者がおのれの立場表明を回避して批判すべき物事を曖昧にごまかす詭弁でしかないので

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本屋に並ばないのが一番といえばそうなんだけど、保守党の本の横、陰謀論の本に混ざって平積みされてるのは最高だな。本屋さんもどういう本か完全に理解してるじゃん。

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おいおいおいおいおい

さすがに店員を呼んで抗議した。
するとたまたまその店員が棚の担当者だったのだが、「新刊を並べてるだけで政治的意図は全くない」と強弁して開き直った。「いや明らかに偏ってるでしょ。せめて両論併記にしなさいよ。このトランスヘイト本が平積みされているだけで傷つく人がいるよ」と言ってもTなる書店員はしらばっくれるばかり。本社にメールします。ちなみに有隣堂。

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相対的に(かっこつき)弱者を置き去りにする政治を是としてきた自民党政権が育み続けてきた「ずるい」の感性によって、ほかでもない自民党自身が食い殺されようとしているのだとしたら(仮定)、それはやっぱり喜べない。この仮定が外れていてほしい。

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補選の結果自体はよかったけれど、有権者の投票行動をもっとも大きく変えるきっかけが「(自分たちは苦しいのに政治家は裏金を作っていて)ずるい」という感性なのだとしたら、それはそれで怖いなとやっぱり思っていまう。
この社会に暮らす、周縁化されがちな人たちのための福祉や、健康のための医療、あるいは障壁の解消のために要する予算に向けられつづける「ずるい」の感性と似たものを、わたしは自民党の裏金批判の風潮に感じ取ってしまう。

書きつつ考えてみたけど何も浮かばないなと思ったけどそういえばkpop界隈ではたとえばnctのファンの人が1日だけアイコンも変えてateezファンのふりをするなどがありますね。それは無害で仲間内ではちょっと楽しいのかもしれない

エイプリルフールを楽しんだ記憶はまったくないけど、ほんとによく考えてみても「楽しめる無害な嘘」というものは実在するだろうかと思ってしまうな。すごく難しいのではないか

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(このツリーに再投稿しておく)
クィアベイティングや他民族への蔑視など、差別を冗談でコーティングしてマジョリティが楽しむのは常日頃から行われていることなので何の目新しさもないが、今日は「風習だから」のお墨付きを得て社会全体でそれが特に強化される。エイプリルフールは日本で実質「差別やり放題デー」として楽しまれている。毎年嫌になる。

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「ミックス」というアイデンティティについて私の意見を一応表明しておきます。
日本の「ミックス」コミュニティには、両親の国籍や人種が異なるいわゆる"ハーフ"の人だけでなく、複数の国籍や人種・民族にルーツを持つ人や、あるいは両親共に"外国人"の人、日本に人種・民族的なルーツがないが日本の市民として暮らしている人、複数の文化的・言語的なルーツを持つ人などがすでに存在していることを私は実感していて(私自身がそうですし)、「ミックス」が決して血統主義的なアイデンティティではないと私は思っています。
実は昨年そうした多様な「ミックス」に関する論文を書いてまして、4月頃に出版される予定です(オンラインで読めるようになるのは6月頃だと思います)。
ヨーロッパと日本にルーツを持つ人、日中韓に民族的ルーツを持つ人、両親共に外国人(韓国人)の在日コリアンである人など、多様な「ミックス」当事者の語りから日本の人種概念の解体を目指し、日本における「ミックス」コミュニティの実践を探ろうとするものです。詳細はまた出版後に投稿するので、ご興味のある方はぜひご笑覧ください。
取り急ぎ

外野が勝手に経験を代弁・横取りするのはよくないことで、本人に怒れとかこうしろああしろとかと言いたいわけではない。差別の構造、人種差別のある現状頂点にいるヨーロッパ系の固定観念の話で

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ミッシェル・ヨーがインスタでちょっとごちゃごちゃとしてしまった(I confused you)けどあなたの親友ジェニファーと一緒にトロフィーを渡せてよかったという主旨のフォローを書いていたけどそこまで含めて西洋でのアジア系が受けている扱いという感じがする。そこで生活する者としてことを荒立てたくなくてそうではないとフォローまでしてしまう。誰しも自分が差別的扱いを受けたとは思いたくないのでそのような体験を別の解釈によって紛らわしたくなるのも理解できる。でもあれは紛れもなくやはり差別意識の表れでしょう。優先順位を下げていいとその場で検討し判断を下すということをするまでもなく「自然と」優先順位を下げられるのは誰なのかということ

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アフリカ系とくらべると数が少なく比較的おとなしく物言わぬアジア系に対しては、態度から何から差別的とみなされないよう気をつけなければならないという緊張感が持てずああいうことになるのだと思う。あれがほんものの無意識のレイシズム。というのは善意に解釈すればの話で、素で見下してる可能性はぜんぜんある。ああいう態度、平社員に対する会社役員、一般人に対するセレブリティ、学校の人気者、富裕層、とかでも見たことあるじゃん。白人には基本的に非白人すべてが自分たちと肩を並べる資格などない劣った格下に見えている

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昨日のアカデミー賞で起きた、白人受賞者がアジア人プレゼンターを無視した2つの事件(RDJがキー・ホイ・クァンを無視/エマ・ストーンがミシェル・ヨーを無視?)については、

①あれが差別の場合: まずなにより被害者がいるため大問題。式自体と主催もハラスメントや差別が起きた際に対応できる体制になっておらず問題。

②あれが差別でない場合: 本人たちがそれで良いと納得している演出でも、(本来なら称賛されるべき役職にも関わらず)アジア人が「添え物」にされている様を世界中に発信してしまったことが大問題。映画賞の演出としても失敗。

なので、あの場面について「差別じゃないですよ」という弁明が流れてくるだろうけど、どちらにせよあの場面が「差別表象」として働いたことは事実。悪意がなくても世界中に向けてアジア人に対する「差別表象」が発信されてしまった。
一晩経って火消し(先ほどミシェル・ヨーが「エマの親友と一緒にトロフィーを渡せて嬉しい」と投稿していた)が始まり、これから「差別じゃないと判明したのに怒るな/本人たちが納得してるのに怒るな」と批判者を黙らせる動きもあるだろうが、あの場面を観せられたAsians含むPOCは引き続きあの場面(授賞式)に抗議していいと思うし、抗議すべきだとも思う。

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画伯 さんがブースト

日本の外国人憎悪をナメない方がいい。それは個々人がどうこうというレベルの話ではない。
それはあなたたちが思うよりずっと、長期間にわたって、組織的に、具体的な政策の形で行われ続けてきたのだから。
個人の問題として外国人への意識を変える、とかいうレベルでは解決しないし、そういう議論はむしろ問題の本質を見誤せるという点で、ある種のスリップですらある。
少なくとも、まず必要なのは入管庁を入国管理を行う部門と入国後の外国人の権利保障を行う部門に分け、相互監視させることであり、それが「入管解体」の具体的意味。

画伯 さんがブースト


永住権の取り消しとは、生存権の剥奪。こんなこと許してはいけない。人権よりも「義務」が優先されることなんてあってはいけない。

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