先週、浅草を歩いた記録。昼からホッピー通りでお酒を飲んで、抹茶アイス食べて、ケーキ屋、カフェと渡り歩いて、一日の最後には懐かしい先輩にもお会いして盛りだくさんの一日だったのでした。 [添付: 8 枚の画像]
妻がスーパーで買ってきた乾燥デーツ(ナツメヤシ)が美味しい。黒糖入りのあんこみたいな味がする。繊維たっぷりだのなんだのと、健康にもいいとネットに書いてあります。
でもネットには一日3つが目安、それ以上食べると糖の取り過ぎだよって書いてあるネットに。
ネットからの解放を意図して本日は6つに留めておきましたが、これはドライフルーツ界において王者に君臨する風格がありますな!油断すると止まらなくなる感じです。
豆大福1個のほうがやばい感じはするけどなー。
デーツ最高です。
役に立つ、という言葉は、今ではほとんど呪いのように人を縛りもするが、力の根源にもなり得るなと思います。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496555043141
株式会社マジルミエ、ずっと読んでるんですが、第100回はよくできてます。
新卒就活生から始まり、ベンチャー経由で新社長を経験している主人公が第一話の回収でもって、役に立つ体験に直面する瞬間。ドラマの作りが良い。マジで人の成長の一つの形をうまく描くなあと思います。
振り返って第一話を読みましたが、就活生が、この職場には建前でない言葉が飛び交っている、と感じる会社はグッとくるだろうとも思いました。
指名手配の桐島聡氏にかかわる1975年のニュースのなかで、「家賃はどうでした?」の「家賃」を0型で発音していた。手元の古いアクセント辞典でも1型のみ。他の辞典にあたってみれば、0型も記載されているかもしれない。
ちなみにお手軽に50年前くらいの東京語アクセントを調べる場合、私は次のサイトを使います。
東京語アクセント資料
https://mmsrv.ninjal.ac.jp/tokyo_accent/
1910年代から60年代までの話者によるものです。なかでも、旧東京市内で生年が古い話者を見るとよいです。17000語くらいの調査です。ここには「家賃」は記載されず。残念。
大河ドラマ『光る君へ』が話題です。大河ドラマなど一切見ない私でも思わず録画しました(第一話のみ)。まあそれも授業のネタのためにという下心ありきなのですが、職業的に許されるでしょう(誰に?)。
どなたか存じませんが、考証サイトというには大げさかもしれませんが、よくできた検証です。
「大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム」
https://note.com/m0m0n01_m1k1/n/n90e3d0edd270
小道具『蒙求』の元ネタは長承本でしょうし、声点の移点状況が六声から四声というのもほぼほぼ指摘の通り。平安時代人もこの手の移点は、「やっちまってる」ケースが多いのも面白いところ。
録画を見るのが楽しみなんですが、主人公は音読してますかね。声調も実現させているか興味があります。
『史記』以下、注記類が室町時代風というのもそうですし、江戸期以降に成立した訓法というのもまあそう。ブログ主は訓点語学に通じた方でしょうか。
偶然にも、先週の授業で『蒙求』を扱ったわけですが、ドラマ見ておけばよかった!でも大河ドラマは幼少の頃より好きじゃないからな!食わず嫌いは良くないですね。
昨年の ちょうどこの時期 読んでいた
菅野カラン『かけ足が 波に乗りたる かもしれぬ』(読み切り)
https://comic-days.com/episode/3269754496647351375
文学が生きる力をくれるいい話です。2021年後期・第80回ちばてつや賞佳作だったとか。実は連載中の双子が詐欺師になって行く話、『オッドスピン』がとてもよい空気で。(https://comic-days.com/episode/4856001361283580080)
『オッドスピン』は黒田硫黄の『セクシーボイス&ロボ』を思い出した。悪くてかっこいいおばあちゃんつながりで。私の死んだ祖母(明治42年生まれ、101歳で没)が、タイタニックを見た後に「女は秘密を抱えて死んでいく」とつぶやいて、ふふっと笑ったことも思い出した。ああいうのは爺さんにはできない芸当ですね。
ヨシノコウイチ『キャラバン』めっちゃ沁みる読み切り作品だった。
『日本語アクセント入門』(https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/dict/ssd36531)
がずっと枕元に置いてある。出版されてすぐに読んで、折に触れて開いている。帯に「"日本語アクセント"のしくみと成り立ちを解き明かした」とある。本当にいい本だと思う。
私にとってこの本が良かったのが、アクセントを巡るトピックスを広い視野でまとめてくれていたこと。特に方言アクセントを全体として把握できたことだった。
自分が勉強してきたアクセント史研究は、どちらかというと文献資料の記号からアクセントを復元していくスタイルのものだった。最初に教わった指導教員は体系論はあまりお好きではなかったし、むしろ体系的なものの見方を、構造主義的なものの見方として相対的に捉えていたように、後になってから思った。彼女が大切にしていたのは文献を記した人間のアクセント把握、あるいはそれを文献に記していく営みそのものだった。(1/4)
脳の機質や構造的な観点の上に個人があり、その上に社会集団がある。そう考えるだけでもアクセントを捉えるまなざしには、3つの層がある。社会集団の法則に合わない—つまり体系論から説明がつかない個人のふるまいを、体系の崩れを起こすある種のアーリーアダプターとだけ捉えるのではなく、個人を個人として捉えるということもあってよいと私は思う。『日本語アクセント入門』は素晴らしい本だ。「しくみと成り立ち」をこれだけ分かりやすく示してくれた本はまだ他にない。しかしその帯を見ていると、別の感慨がじわじわと沸いてくる。
研究の世界にいられるのは少なく見積もってあと20年くらいか。人間の個別的な営みから社会集団を捉えるような言語観でアクセント史を自分なりに描くことはできるか。やってみたい仕事のひとつです。(4/4)
先述の兄弟子も定年が近くなったある時に、最初の指導教員が目指していたものこそが、自分たちが目指すべきスタンスだったのかもしれないと述懐するようになられた。私もいまそのような見方がじわじわと芽生えているのは、文学部に籍を置くようになってのことかもしれない。私は文学に代表される文系の学問とは何かと問われると、矛盾を抱えた人間の学問と答えている。もし、ことばの学問とは何かと問われれば、すなわち人間が世界をどう作っているかを明らかにする学問であると答えるだろう。社会学の言葉を借りれば、構築主義的な立場からことばを見ようとするのが、文学部で学ぶことばの学問なのだと思う。
体系論に少し窮屈な思いを抱くようになったのは、理系の粗雑な研究者が文系の学問を批判するときの稚拙な学問観に似た匂いに接する機会が増えたからだ。90年代から流行し始めた脳科学などと相まって、ことばを作り出す科学的な側面が見えてきたことは喜ばしい。しかしそれがことばの性質の全てではない。それが「本質」だということはあり得ない。体系が本質で、人間の営みが周縁ないし副次的な産物ということはないだろう。(3/4)
大学院生だった私にとって、それはあまりにミクロで個別的なコミットのしかたにしか思えず、「気づかない法則を明らかにする」といったダイナミズムに欠けた、面白みに欠ける方法であるように感じていた。次に指導をしてくださった兄弟子にあたる先生も同様の所感を持っていたようだった。だから『日本語アクセント入門』のようなスタンスの、言語「科学」的な「きれいな」世界観にはあこがれがあったし、やはり面白く読めた。
しかし、このような世界観がアクセント研究の全てではない。科学的な整合性だけで言語を切り分けることができないことは、例えばイチ、ニ、サン、シという漢語の数詞系列にイチ、ニ、サン、ヨンと和語の系列が交ざってしまう時に、人間がシ=死と捉える素朴な忌避感情が強く関わっていることなどからも知られる(1600年頃の文献にすでに忌避に関わる指摘がある)。ことばを抽象的な段階まで運んで、物的対象として整合的に捉える学問も素敵だ。でも人間と切り離さずに、規則では描けない私たちの矛盾だらけの生という側面から捉える学問にもまた意味があると思う。(2/4)
ゆる言語学ラジオさんから。「簡単」の名詞用法、とのこと。
https://twitter.com/yuru_mizuno/status/1742846550840320029
「このイラストでは簡単のために、父親と母親それぞれから3本ずつの染色分体を受けついでいる生物について考えます。」だそうです。私は今のところまったく使えない用法です。
理系の世界では時折使う用法のようで、リプライを見ていくとこれは「For simplicity」の訳とのことです。真偽は定かではありませんが、ありそうな話ではあると思いました。
文法借用とでも言いましょうか。明治期に英語の影響で「彼は」「彼女は」といった三人称主語が誕生した事例や、「それが私を怒らせた」みたいな無生物主語の使役文が誕生した事例に似ているのかもしれない。
こういう、ある時点までは自分が使えない新しい形式は、気づかないといつの間にか自分も使える形式になっていることがある。ここに、自分は確かに使えなかったということを記録に残しておこう。
昨晩、作ってきたパンをピザ窯でリベイクしましたが、表面のパリッと加減が素晴らしく、今朝は思い切って、ピザ窯を使ってゼロからパンを焼きました。材料は持ってきていなかったので現地調達でしたが、温度の高い環境でパンが焼けるということをどうしても試してみたかったのでした。
火が通りやすいふわっとしたパンにするということで、強力粉250+薄力粉50で、具は入れないシンプルな丸パンです。結果は思った以上の大成功。
ピザ窯だと温度管理が難しいということでした。なので、2分ごとに蓋を開けて様子を見ながら、向きを変え向きを変え焼きました。やはりかなりの高温で、熾火で350〜400度くらいかと想像します。焼成にかかる総時間は3分程度、油断すると表面がすぐ焦げます。最後は1分程度で向きを変えながら焼きました。
二次発酵はピザ窯の上にホイルを置いて、ボウルをかぶせて1時間程度。ちょうどよい膨れ方となりました。
これなら高加水のパンもうまく焼けそうな気がします。次はオーバーナイトの発酵で高加水にチャレンジしたいところ。
別途作ってあったビーフシチュー的なものを載せて。最高のお正月でした!
日本語学の研究者です。漢字音史、漢語アクセント史を文献ベースで狭くやってます。自己紹介的な論文に、「アニメ『ドラゴンボール』における「気」のアクセント─漢語アクセント形成史の断線から─」(日本語学2022年6月号)あり。データベース作ったり、自転車に乗ったり、珈琲を飲んだり、ジャム作ったりしています。https://researchmap.jp/read0135868