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先述の兄弟子も定年が近くなったある時に、最初の指導教員が目指していたものこそが、自分たちが目指すべきスタンスだったのかもしれないと述懐するようになられた。私もいまそのような見方がじわじわと芽生えているのは、文学部に籍を置くようになってのことかもしれない。私は文学に代表される文系の学問とは何かと問われると、矛盾を抱えた人間の学問と答えている。もし、ことばの学問とは何かと問われれば、すなわち人間が世界をどう作っているかを明らかにする学問であると答えるだろう。社会学の言葉を借りれば、構築主義的な立場からことばを見ようとするのが、文学部で学ぶことばの学問なのだと思う。

体系論に少し窮屈な思いを抱くようになったのは、理系の粗雑な研究者が文系の学問を批判するときの稚拙な学問観に似た匂いに接する機会が増えたからだ。90年代から流行し始めた脳科学などと相まって、ことばを作り出す科学的な側面が見えてきたことは喜ばしい。しかしそれがことばの性質の全てではない。それが「本質」だということはあり得ない。体系が本質で、人間の営みが周縁ないし副次的な産物ということはないだろう。(3/4)

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