大学院生だった私にとって、それはあまりにミクロで個別的なコミットのしかたにしか思えず、「気づかない法則を明らかにする」といったダイナミズムに欠けた、面白みに欠ける方法であるように感じていた。次に指導をしてくださった兄弟子にあたる先生も同様の所感を持っていたようだった。だから『日本語アクセント入門』のようなスタンスの、言語「科学」的な「きれいな」世界観にはあこがれがあったし、やはり面白く読めた。
しかし、このような世界観がアクセント研究の全てではない。科学的な整合性だけで言語を切り分けることができないことは、例えばイチ、ニ、サン、シという漢語の数詞系列にイチ、ニ、サン、ヨンと和語の系列が交ざってしまう時に、人間がシ=死と捉える素朴な忌避感情が強く関わっていることなどからも知られる(1600年頃の文献にすでに忌避に関わる指摘がある)。ことばを抽象的な段階まで運んで、物的対象として整合的に捉える学問も素敵だ。でも人間と切り離さずに、規則では描けない私たちの矛盾だらけの生という側面から捉える学問にもまた意味があると思う。(2/4)