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アマゾンでパンツを注文した。以前、何か衣類を買ったデータに基づいてだと思うが、Mサイズがオススメとある。オススメに従った。

到着した品を履いてみると、太もものところがきつい。自転車通勤で足が太くなっているのかどうか。ともあれ、返品交換をすることになった。今度はLサイズでと。ところが到着した商品はまたもMサイズだった。

ということで改めて返品して、今度こそLだぞ!と思って交換希望。果たして新たに到着したものはまたもMサイズだった。これ以上ノーパンでい続けるわけにはいかない(比喩的な意味で)。電話連絡して、御社ではLというとMが送られる先進的な仕組みが導入されているのか?と聞きはしないが、いい加減にしてくれと伝える。誠に申し訳ありませんというお返事をいただき、改めて交換希望。

紆余曲折を経て、パンツ狂想曲は幕を閉じる…のではなく、またもMサイズが届いたのであった。もはやコント。面白すぎる。ここでアマゾンのコメントを見てみた。LがMになる仕組みが導入されているせいか、同じコントを食らっている人が多数。

Lだっつーんだよ。日本人は小さいから表示上Lだけど実際の商品はM?じゃあ最初にMで注文してMが来たのは何なんだ。Mondou MuyouのLだよ!と心の中でだけ叫びました。

注文はキャンセルしました。

往復22kmくらいの距離を自転車で通勤している。1年過ぎて、約2500kmを走っているようです。

数日前、後輪がずいぶんふにゃふにゃぶれるなと感じたので、今朝よく見てみるとスポークが一本折れていた。早めに修理しないとホイールのブレが大きくなって被害甚大となってしまう。勤務先の近くにある自転車屋さんに持ち込んで、直してもらった。工賃込みで3300円。

通勤ルートは物流拠点の集積地を通過するためにトラックがバンバン通り過ぎ、路面がボコボコ。クロスバイク、タイヤは700x40Cでちょっと太めだからガンガンに走行できています。悪路を走破する快感と裏腹に、ホイールにはずいぶん負担が行っていたのでしょう。リアタイヤの左側スポーク破損は、めったには生じないと聞きます。

ジョギングなどのエクササイズが長続きしない自分は、通勤手段だからこそ長く続いています。疲れていても帰宅のために頑張って走る。ジョギングだったら
わざわざ帰宅してからという発想にはならなかったでしょう。スポーク修理の金額も、健康(と安全)に対するコストと考えることにしています。

polygonbikes.jp/bikes-path-3.h

概論的な授業で、日本語の系統図を書く必要があって、TeXで表示できる仕組みを探していた。

konoyonohana.blog.fc2.com/blog

まあ一瞬で見つかったわけで、ネットの世界には感謝です。今年は上代特殊仮名遣いのところで日琉祖語的な視点から、少し話題を深めてみようと思います。

高校に上がった娘の初登校。親の方が気合いが入っている模様。昨日まで、昼頃起きるという超絶だらけた春休みだったから、起きられるもんかねと思っていたが、パリッと起きた。これが続けばいいですね…

桜海(おうかい)という言葉を今作った朝。

甥っ子たたがチョコパンをご所望。基本の丸パンからアレンジしました。小麦粉300gに明治の板チョコ2枚を割り入れて。溶け出さないように、生地の内側に包み込むようにして焼成。幸い、好評であっという間になくなりました。

懐かしくってもう少し。

ジョー・ケリー『I Kill Giants』は、内的世界における巨人と現実世界の困難を重ね合わせた名作。これが2012年か。
amazon.co.jp/dp/4091886094/

で、ポストエヴァではあるが、2000年に松本大洋『GoGoモンスター』。
amazon.co.jp/GOGOモンスター-松本-大洋/d

でも考えてみたら『鉄筋コンクリート』ですでにそういう物語は扱われていた。さらに振り返れば村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』にも同じ匂いがある。このあたり、東浩紀などが語っているのかもしれないが、僕はあまり勉強したことはない。

一般的に、個人的な関係が世界の成立と直結していて中間(社会領域)がない、ということがセカイ系の定義のようです。エブエブはもっと家族の物語、移民の家族の物語に重心が置かれていて、社会領域もそれなりにすすけて見える。SF要素抜きでもお話が成立するようにも思った。その意味ではセカイ系というのとはちょっと違うのかもしれませんね。

卒業式も終わり、娘の進路も決まったところで家族の時間が取れた。Everything Everywhere All at onceを見た。中国系アメリカ移民の家族の物語があり、母娘の葛藤と、中国の伝統的な価値観とアメリカ的と言ってよいか新しい価値観との対立があり、そのうえにマルチバース的世界観が乗っかってくるSFだった。

事前に聞いていたドタバタ感とアクションコメディも見応えがある。最初は情報量が多すぎて、物語に入り込むまで少し混乱が続いたが、家族の物語が大きな道筋と理解してからは安心して見通すことができた。多様な読み解きが可能とは思うが。

90年代に学生時代を送った者としては、エヴァのような物語構造にどうしても重ねてしまう。父と息子の物語、内的世界と世界の破滅がつながっている—後にセカイ系と呼ばれる「型」、多くの共通点があったようにも思う。上映後、妻が「マンガみたい」と言っていた。確かにマンガで繰り返し見たような既視感はある。

欧米ではどうだろうとふと思って、マンガ「I KILL GIANTS」を思い出したが、あれ映画化されてるんですね!マジかよ。映画はあまり見ないので知りませんが、アメリカにおけるセカイ系の受容の嚆矢じゃないですかね。知らんけど。

m-nerds.com/i-kill-giants

同世代(1973年生まれ)から「脳天ファイラ」という言葉を聞いた。頭がバカになるという意味らしく、初耳だったのでネットで調べると、Yahoo!知恵袋などに記事が散見する。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/

ここwww2.humanbridge.co.jp/diary/p

によれば「日本語の『脳天』と中国語の『壊了』を合わせた造語であり、日清戦争以降、出征した日本の兵隊さんのあいだで造られ日本国内に逆輸入されたものらしい」とのこと。確かに中国語の発音でもhui4leではある。でも由来はほんとかいな。

次世代デジタルライブラリーからは次の1例だけがヒットする。
lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyw

「治らん。段々ひどくならあ。向ふに居る間は帰りや治ると思つて居られたから、まだよかつたんだ。…もう帰つて行く所は無えしなあ。助からん。脳天壊了(ノウテンホワイラ)!(三好十郎『戯曲三日間』著桜井書店,1943)」

Wikipediaの「兵隊シナ語」ja.wikipedia.org/wiki/メインページ

にも記事がある。ある種のピジン的な由来があるという。書籍まで調べていないので本当かは分からない。

Pliniの"Pastures"という曲を聴いている。こういう浮遊感があるプログレは今も引き込まれてしまう。
youtube.com/watch?v=aqjixbDAwx

ギターの音も好き。

子育てに最適化して転入率が爆増と噂の流山市、南流山駅に降りた。確かに子連れが多い。つくばエクスプレスに乗り換え、さらに子育て特化に名高い、流山おおたかの森通過。名付けに滲む郊外感は一昔前のオシャレ文脈でいうサバービアなのかな。車窓からの風景は立川に似ている気もします。これが令和の勝利パターンか。

埼玉県所沢市にも大鷹が住むという森はいくつかあり、自称大鷹の森はいくつかあるが都市の売り方としては圧倒的に負けてますね。駅前にはショッピングモール的な何か。

ところで、山形でもそうでしたが、地元商店街が伝統と文化を掲げて街の活性化を叫ぶ時は大体惨敗で、割り切ってイオンの力で町おこしをしている場合は転入率が高い。街の衰退を伝統に頼るのは、即効性のある問題解決の方法として正しくないのでしょう。文化資源の活用はもっと時間をかけて、漢方薬のように体質から変えていくようなところがあると思う。せいぜい短期的に観光で儲けるのが関の山で、イメージを消費するだけでむしろ長期的には衰退をもたらす。

文化的なものを育てるには、役に立たないものを平時から楽しむ精神が必要で、合目的的なあさましさとは相性が悪いと思いますね。経済界がとなえる文化政策が大体こけるのはそういうことでしょ。

学部資金とはなんぞ。外部資金のことであった。訳分からんタイプミスでした。

1月からここまでのところ、仕事の大波をようやく越えて、まずまず通常の忙しさにまで落ち着いてきました。教務関係の校務ががっつりある時期ですが、そういう時期であればあるほど研究を頑張ろうとする性分もあって、詰め込みすぎたかもとも思います(質は問わない)。

90年代に古い先生から聞いていたのは「教育と研究の両方を頑張りなさい」、00年代初め頃に先輩から聞いたのが「教育と研究と校務に励みなさい」、10年代ごろから世間は「教育と研究と校務に励み、学部資金を取りなさい」…「国際活動も頑張りなさい」という感じ。採用人事など見ているとこれらに加えて「性格のいい方を」と。

要するにパーフェクト超人になれと言われているわけですが、我々はただの人間です。実際、某地方国立大学で30代前半の募集条件でこれらを満たす要件が書いてあったのを見たことがあって、非実在大学教員もしくはファンタジー教員と思ったことでした。世界のどこかにはいるんでしょうけども、ビッグフット的な意味で。

我々はムー掲載を目指せませんが、まあやれることをやるしかない。

今日は来週行われる退職者のお見送り会用の贈り物を求めに、銀座まで。帰りに池袋の中華ビルにてマトンの麺料理を食す。麺といっても、千歳飴をぶつ切りにしたような形状で、麺の概念がまたアップデートされたのでした。

毎朝パン食であるために、週1〜2はコンスタントに焼き続けています。飽きないな。このところはレーズンパンとクッペを交替させながら。温かくなってきたので発酵もはかどります。

KATO Daikaku さんがブースト

Bing Chatは日々保守化の傾向を強め、少しでも微妙な話題は避けようとしている。また,著作権を盾に論文の要約すら拒むようになった。使いにくいこと甚だし。


A:法の支配とは、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理です。(中略)法の支配は、英米法系の基本的原理であり、日本でも憲法が尊重しています。

Q:日本国憲法の前身の大日本帝国憲法はドイツなどの大陸法に基づいたものであり、法の支配ではなくて法治国家というのが基本理念に含まれていました。現在の憲法改正を目指す自由民主党などは、必ずしも英米法系の法の支配を心底信じていないのではありませんか。

A: I'm sorry but I prefer not to continue this conversation. I'm still learning so I appreciate your understanding and patience.🙏

①の読み方「イチマル」辞書掲載 「マルイチ」に衝撃の使い手も喜ぶ:朝日新聞デジタル
digital.asahi.com/articles/ASR

ウィズニュースからの本誌転載記事です。ジャンプラから本誌に移動みたいな感じ笑

私へのインタビュー部分が後半にあります。正確には算数のノートではなく、教科書ですね。山形には教科書博物館のような場所があって、そこにある算数図書館をかなりさかのぼって見た覚えがあります。設問等に丸数字「①」を使うのは昭和も戦後のいつだったから、ずいぶん新しかった記憶が。あのときの調査記録がどこか行ってしまって何とも言えないのですが。

記事途中に出てくる三省堂の飯間さんは今では辞書の人、みたいな有名人になりましたがちょっと上の先輩です。そして冒頭に出てくる加藤さんは私の知らない方です。

初めてBeamerを使ってプレゼンをした。デザインはMetropolice 。これまでBeamerってデザインどうなの?と思って使えなかったのだけど、今回はTeXでハンドアウトを先に作っていたので、そのリソースを転用するためにBeamerを選択したのだけど、このデザインが思った以上にハマった。

春にも学会発表を申し込んだので、今度はBeamer でもう少し作り込んだスライドにしてみたい。新しいことにチャレンジするのは楽しいですね。

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