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それはそれとして文章を書いてお金貰えることほど嬉しいことってないので(本業も広義にはそうだけどノーカン。いやほんと嬉しいですよ)何か考えるか・・・

実を言えばインターネットに有料記事を公開してはいるのですが、一度も購入されたことがないし、購入されるとどういう経路でおれの財布にお金が入るのか全くわかっていないし、そもそも購入されたらどこに通知が来るのかもわからない。もしかするとビッグマニを逃しているのかもしれない。

とはいえ、何らかの形でもう少しまとまった文章を書いたほうがいいんじゃないかしら/当面必要のない取組みにかまける前に企画なりプロットなりやれることはあるのでは/MastodonやTwitterだけで十分やりすぎですよ/ブログは書いた方がいい(n=3)/色々と金銭収入が発生しても大丈夫なやつなんだろうか/コミティアで好きな作家に映画の感想を褒められたの嬉しかったね(ねー)などの気持ちがある。

昔フォロワーからメルマガとかやったらどうですか、と提案されたが、おれって怠惰で無能なので無理ス……と答えた記憶が蘇ってきました。もうちょっと答え方があったのではないかと思います。

米の味にぜんぜん興味がないため「店で最安のものを買う」以外の購買パターンを持っていないのでこういうことが起こる

ふだんと違う店に買い出しに行ったら米が高くて、「なるほど米が高騰しているな!」と思って買ってきたが、いつもの店に行ったらほとんど値段が変わっていなくて、単純にいつもより高級な銘柄を買っただけだった回

Wakka sak moshir (水のない国)、Ni sak moshir(木のない国)という言い回しもあるらしく、ようするに食べ物(鳥)や水、木々のない不毛の土地、ということなんでしょう。

cikap sak kotan (チカプサクコタン 鳥のいない国)で間違いなさそう cikap 鳥 sak ~を欠く なので。おそらく、ユーカラとかで「地獄」の形容としてよく使われる決まり文句なのだと思います。
QT: fedibird.com/@abe_dragonslay/1
[参照]

とりゅう  
アイヌ語(文化)における冥界の呼称に「鳥がいない国」があるというのを何かで見かけて、そんな詩的なことあっていいのか? と記憶していたんですが、検索しても見つけられないので夢だった可能性がある。詩的なのはおれ自身だったってこと?(ポジティブ)
とりゅう さんがブースト

BT 「鳥のいない国」という言い回しをなんか聞いたことがあるような気もしますが、わからないです。
リンク先の伝承では繰り返し「世界の果てにある鳥のいない国、木原のない国」という言い回しがあるので、この概念の解釈のバリエーションでしょうか?
ainugo.nam.go.jp/siror/diction

アイヌ語(文化)における冥界の呼称に「鳥がいない国」があるというのを何かで見かけて、そんな詩的なことあっていいのか? と記憶していたんですが、検索しても見つけられないので夢だった可能性がある。詩的なのはおれ自身だったってこと?(ポジティブ)

『ケントゥリア』のアンヴァルさん、この騎士が強い!2024年でぶっちぎりなのでは

10万字を超える“完結済みの”小説って1作しか書いたことないですけど、それも、書くうちに当初の予定には全くなかった要素が生えてきて、しかしながら、公募の選評ではその要素こそが最も安定して高評価されていましたからね。小説は生きているので勝手に増えるし勝手に減る。

とりゅう さんがブースト

さきほどの話を受けて、今の時点での原稿について整理してみました。

はてなブログに投稿しました
240817 小説を書くときの「助走」について - 箱庭療法記 yobitz.hatenablog.com/entry/20

逆に消えかけているものを強めることでよくなる場合も多分ぜんぜんあるので(受賞作における「沈黙」要素とか)、「結果的に消えることがある」以上のものではないとは思います(消せばよくなるとか、よくなったら消えるものだとか、消さなければ悪くなるとか、そういう話ではない)

これはMastodon限定コンテンツとしますが、今回の新作でいえば、元々のアイデアが「ファッションSF」というテーマから着想されていたり(SFマガジンとは無関係)、ワーキングタイトルが「衣類婚姻譚」だったり、そういうことがあるわけですな。

SFラブコメを書いているフォロワー氏が改稿を重ねるにつれ、これってラブコメだけで成立するのでは、となっていたのが興味深くて、構想を煮詰めていった結果、出来上がりの成果物からは当初のアイデアが消失している、ということはしばしばあって、加工助剤とかキャリーオーバー(食品添加物にそういうものがある)みたいだな、と思います。もっと即物的な例でいえば、書き終えてから/書き進んでからやっぱり要らなかったな、となる冒頭部分などは、作者が作品を理解する助走のために存在していた(読者にとっては不要な)文章だったりするわけですよね。あとは、初稿になく、第二稿で書かれ、第三稿からは削除されるシーンとか。それらは完成品には存在しないが、では不要だったのかというと、全くそうでもなかったりする。そういうのが無数にある。あった。

おれもやけにムチムチに作画された上で浜辺に横たわるか

焼塩檸檬専用EDにおけるやけにムチムチな焼塩檸檬さん(特にラストの浴槽での目覚めシーン)なんか見覚えあるな〜と思ったら、シン・エヴァのやけにムチムチな式波・アスカ・ラングレーさんだな。なんなんだよ。

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