背景のホワイトボードの文字を消すのを怠っていたら結婚匂わせみたいになって面白かったのでそのままにしておきました。(友人の式です)

bioに恥じない生き方をするぞ、と思い、ずっと停滞していたメギド11章を進めています。脳がバキバキになってきました。

恥ずかしい話ですが、おれってプロローグの良し悪しをそこそこ(体感的に)理解できていたらしい! と思って安心しました。

端的に感銘を受けたところだと、プロローグと第一章でダブル・フック構造(この概念をそもそも初めて知った)をとるのであれば、フックとなる問いは異なるものにすべき、とかでしょうか。快刀乱麻やね。

『読者を没入させる世界観の作り方』読みはじめですが、よさそうです。タイトルほど舞台設定のみに焦点を当てた話ではなく、当たり前といえばそうですが、どうやって舞台設定を伝えるか、の話をしている。第一章での「ダメなプロローグ」(=不要なプロローグ)や「よいプロローグ」(=必要なプロローグ)の例示とか、明快ですし、非常に心当たりがあってうなずきました。(心当たりが自作ではないのが幸いです)たとえば、よくある、「神話とか世界の仕組みを冒頭に書くな」という規範、おれはかなり雑だなーと思っていますが、本著ではそれをもっと詳細に分解してくれたりしています。

当座の〆切が見えなくなるとすぐに、「おれってどうすればいいですか!?」になってしまうので、いまのところ形になりそうな/したい小説のアイデアを羅列してみましたが、8割長編じゃねーか!(机を叩く)になってしまった。それも全部、資料をかなり読み込む必要があるタイプの……

『SF作家はこう考える』の大森さんの寄稿でも直木賞か芥川賞か本屋大賞を獲れば勝てるって書いてあったしな。

やはり獲るしかないか、直木賞を……

SFマガジンで長谷先生の新作中篇のタイトルを見てクソでけー声出ちゃたな

改稿に血迷って本を読んだりしたけど、あたしはやっぱり、巧いけど決定的な場面において傍観者の立ち位置をとる小説よりも、能動的に物語にかかわっていき、話の中で人間が変化したり成長しちゃったりするような小説が読みたいし書きたいわよ! と思いました。どこまでいっても脳がエンターテイメントの文法でできている!

あとたった1箇所を書き上げるだけに週末二日を消費……と思っていたがよく見たら4箇所あった。

来週の文フリに備えて名刺の角でも研いでおくか

凄い勢いであらゆるものに申し込み、あらゆるスケジュールを立てたので、気絶しました

メモが大変なので打ち合わせは全部録音してもらっているんですが、ほかの方たちはどうしているんでしょう。

所有しているものだと『「感情」から書く脚本術』がいちばん「要素」のリストが多い本だった気がするので(いちばんぶ厚いし)、プロットないしシーンの組み立てをある程度進めたところで『ストラクチャー』で点検して過不足を洗い出し、『「感情」から~』を辞書的に参照してアイデアを拾ってくるようなメソッドが作れるのかも、と思いました。ある種、自分で自分の作品のスクリプトドクターをやるようなイメージ。

ご恵贈いただいたよしざきさん、たいへんありがとうございました。

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某所でも話がありましたが、なんかもうnoteとかそういうので「創作指南本を精読する」ってタイトルで連載記事でも書きたくなってきましたね。考えてみれば文舵の合評会も似たようなものですし。

こう考えてみると、第一部の三幕構成もそういうものだし、えっもしかして全部そういうこと?! という遅まきながらの理解が訪れました。見事な構成だ……。
個人的には、以前読んだ同著者の『アウトラインから書く小説再入門 なぜ自由に書いたら行き詰まるのか?』(こちらのほうも「やることが多い……!」となった)よりも腑に落ちた気がしますが、いま読み返してみれば理解度が違うかもしれないです。あと『キャラクターからつくる~』もそのうち読もうと思います。おわり。

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ただ、正直言って途中までは、「シーン」を構成する6要素があり、それぞれにいくつかのパターンがあり、気をつけるところがあり……となると、結構しんどくなってきて、「向いてないかも……」と思っていました。
それが22章の「シーン構成のバリエーション」まで至ると、一気に展望が開けました。22章で語られるのは、これらのブロック、特にシークエル部分は極端に短かったり、省略したり、あるいは順番を入れ替えたりしてもよく、それによって要素(ブロック)が完全に揃った「シーン」とは異なる効果が狙える、ということでした。自由度が増す分さらに考えることが多くなりはするのですが、重要なのは、「要素を揃える」ことではなく、「(全要素の揃った完全な)「シーン」との距離を測る」ことなのではないか、という気づきがありました。
なので、いまの自分のスタンスは、「シーン」の要素は本著タイトルにおける「型」であり、それと比較することで、ぼんやりと思い浮かんでいる「シーン」を点検する、あるいは「シーン」が思いつかないときの取っかかりにする、という使い方をすべき、というものです。その意味ではタイトルの“「型」にはめれば”というのとはちょっと違いますね。

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