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国立映画アーカイブの『逝ける映画人を偲んで 2021-2022』で短編集2を見た。

生態系-29-密度3(DCP)
監督 小池照男

上映前に光の点滅に関するアナウンス。以前トニー・コンラッドの『フリッカー』を狭い部屋で見たことあったけどあれほどはキツくなかった。
かっちょいいタイトルからわかる通りガッツリ実験映画で、テレビの砂嵐画面に金属音、ドローン音、雅楽っぽい音などがまとわりついているようのような映像。それが徐々に形を変え音を変えって感じで変化していき時折赤や青一色の画面が認識できるかできないかくらいの短さで挟まったり、何かの写真を砂嵐風に加工したような映像が流れる。それが35分間続く。
タイトルから察すると地球に存在するすべての命や魂をビスタサイズの画面に押し込めてそれを絶え間なく運動させているような、そんな印象だった。人の顔のようなものや映画の字幕っぽいものも見えた気がしたけど、少し目を薄めるだけでも見えるものが変わってくるので自分の見たものに自信が持てない。しかしそれも含めての混沌表現なのかもしれない。

色々ちょうど良くて飲んでたGREEN DAKARAがサントリーだった……。あれくらい薄めで量多い代替品ないかな。ポカリ・アクエリは口の中がベタついちゃうのであんまり好きじゃない。

監督なりに環境問題に思うところあって産廃食べて生きる人を出したんだとは思う。汚染水垂れ流す連中に見せたい。ただどうしてもギャグ的にしか捉えられない演出もあって「ブレックファスター・チェア」がどう見ても食事を邪魔してるようにしか見えないとか色々笑ってしまった。
しかし良いと思ったところもあって、それはナディア・リッツとタナヤ・ビーティーによる女性◯◯◯二人組が生まれていたこと。ネタバレになるので伏せるけどあの二人で一本作ってもいいんじゃないかと思うくらい良かった。絶妙な温度感だったと思う。

音楽で言うとハワード・ショアの劇伴は良かったけど何度も同じ曲が流れると眠くなる。耳男が踊るシーンの曲も厳つくて良かった。

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クライムズ・オブ・ザ・フューチャー

ここまでやられると別に理解できなかったこちら側も悪くなくない?ってなる。作品内の倫理観が意味不明過ぎて子どもの死体解体ショーは見に来るくせに内臓にタトゥーしてあったら「なんてことだ!」みたいなリアクションしててどういう基準?ってなる。どこかのシーンでハエが飛ぶ音を入れてたのはお茶目な『ザ・フライ』匂わせなんだろうか。「ほら一貫してるでしょ?」ってみたいな感じでやられてもなあ……。
またボディホラー方面のビジュアルとバイオレンス方面のヴィゴ・モーテンセンがついに邂逅したのは面白いけどレア・セドゥ、クリステン・スチュワートとの年齢差がキショい。男性→女性への客体化をひっくり返していると言えるかもしれないけどクリステン・スチュワートが迫るシーンは男性の願望を肥大化させただけとも言えると思う。ヌードになるのも明らかに女性が多いし。年齢差がなければミラーリングになると思うんだけど性別だけ入れ替えてもあんまり機能してない気がする。あとクローネンバーグの描く未来に東アジア系はいない。

鏡・窓と水を使った演出はシンプルに美しいなと思うし2回ある歌唱シーンは良い意味で鳥肌が立った。頭がジンジンした。詩がバトンタッチされていく流れも鮮やか。
あと音にすごく気を使ってる監督だなと思った。ただの足音でもよく聞くとリズムを刻んでたり金属的な音やガラスの割れる音のハイがちょうど良かった。ユーロスペースの音響のおかげでもあるか。パンフでもSEをストックしていった経緯とか語ってたしペーア・ラーベンの音楽も面白かった。

体力が無くて他の作品とハシゴできなかったのが惜しいけどぜひ他の映画館でも特集上映やってほしいし配信でも見たいしBlu-rayも欲しい。プンクテさん、よろしくお願いします!

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ちなみにこの作品における「女性」には異性装の人も含まれていた。綱渡りのシーンにいる人はトランス女性として描かれていたような気もする。小人症の人の演出は案内人的な立ち位置だったり赤いカーテンからの登場、この世の人ではなさそうな金属的な足音など、かなりデヴィッド・リンチを意識してしまうものだった。リンチは飛び道具的な使い方をしてしまってる印象があるけどオッティンガーはどうなんだろう。『フリーク・オルランド』ではたくさん小人症の役者が出演してるらしいけど。
また数々の超現実的な演出も好み。冒頭から「ベルリン〜 現実〜 現実〜」みたいな謎アナウンスに始まりありとあらゆる「こぼし方」を見せてくれてそのサービス精神に笑ってしまう。ヨーデルを歌ってる人がいる家に入っちゃうシーンや火に車で突っ込むシーン、「バキューン!」という音と共におじいさん?が倒れ込むシーンは爆笑。やってること自体というより次のシーンに行く時の間が面白い。目のアップとクローズアップを挟むシークエンスとそれを逆にやるシークエンスで挟まれた部分は公園でぼーーーっとしてたら思いついた妄想だったりするのかな?

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アル中女の肖像
ウルリケ・オッティンガー

かなり楽しかった。自分は一切お酒飲まないけどプロテストの手段としての飲酒というのは面白い。

基本的には飲み歩く「裕福な絶世の美女」とおそらくは路上生活をしているであろう「貧乏なみすぼらしい女性」の2人組に、統計や学問、良識などの化身として3人組の女性がほぼ常に居合わせる(ついていくのではなく居合わせる、というニュアンス)という構成。「現場」にいる前者と「会議室」にいる後者は基本的には解離してしまっているかのように表現されるけど中盤の「ダンスに誘う」というアクションでその垣根は取っ払われるべきなのではないかと仄めかされる。後者のセリフとしてミソジニーが蔓延する社会を直接批判する手法は変な比喩とか使われるより即効性を優先してるような気がして好き。今も昔も皮肉だのメタファーだの言ってる場合じゃないからな。

また17歳のトビーが男娼として働かざるを得ないという現状に対しての批判的な目線は少し足りなかったと思う。当然セックスワークや男性同士の性行為が問題なのではなく、ティーンが生活費のためにそれをやってるっていう状態を演出するうえで必要な配慮があったのではないか、という感じ。ブリーに気づかれずにお金を作るために客を取るシーンがあったけどあれはスッと流されていいシーンなんだろうか。

こういう点以外にも、子を認知してない親への批判が足りないことや血が繋がっているとわかった途端に家族になることの気持ち悪さ、白人ブレイズのヒッピー泥棒にヴィーガンの設定を与えているなどモヤる点がいくつかあった。トビーの生みの母が自死してしまっていることはもっと掘り下げないといけなかったと思う。彼女にも想像を絶するような苦しみがあったはず。しかしその後のブリーに大きな苦しみや辛い経験があったのも想像に難くないので悩ましい部分ではある。

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トランスアメリカ

性別適合手術を控えたトランス女性に息子がいるとわかって……っていうロードムービー。トランス女性を演じているのはシス女性のフェリシティ・ハフマン。このキャスティングは今見るならはっきりと「良くない」んだけどシス男性が「女装」してトランス女性を演じてきたという恥ずかしい歴史を考えればシス女性がトランス女性を演じたことはマシではある、という意見もわからなくはない。キャストで言うと『ジェイコブス・ラダー』のエリザベス・ペーニャが出てきてちょっとアガった。グラハム・グリーンの役も渋くて良い。

映画全体を通して、トランスジェンダーがぶつかる問題を可能な限りリアルに描こうという気概は感じる。トランスセクシャルとトランスヴェスタイトの違いとかも織り込んであったりして2005年の映画にしてはかなり良い方なのかもしれない。しかしどうしても息子にトランス女性だと「バレる」シーンやこどもに「男なの?女なの?」と聞かれるシーンをギャグっぽくしてるところなどもう少しなんとかなったのではっていう演出があるのも事実。トビーがアウティングしまくるのが本当にキツい……。中盤で当事者であろう半役者的な人たちがまとめて出演しているけど「ちゃんと当事者も出演させてますよー」っていう言い訳めいたシークエンスに感じてしまった。

イノセンツ

まずネコへの暴力描写だけど今まで見てきた映画で1番エグいと感じるレベルだった。あのシーンで途中退席する人もいた。正直あそこまでやる意味があるのか疑問なシーンだったし観客を引かせるのが目的くらいにしか思ってないなら他のアイデアを考えて欲しかった。

どうしても全体的に子ども同士の残酷な戦いをみせることが目的化していてそれによって何を伝えたいのかがわからなかった。家庭環境の違いによる人格形成の問題とかをテーマにしたいならあの設定にしないだろうし自閉症で喋ることができない人が超能力で喋ることができるようになる、という展開も無邪気にやっていいことなのか疑問。もっと慎重に扱うべき表現だと思ったけど。
ただ映像の質感とか音楽の使い方とかはとても良かった。編集は中盤に「この能力はもうさっき見せたのと同じようなもんだから改めて見せなくてもいいのでは?」みたいなところがあったけどそれくらいで基本良い。エンドロールも一捻りあっていいんじゃないでしょうか。

自分が基本的に子どもという存在を使って色々な要素にバフをかけるようなシナリオに心が乗り切れないのもあってなかなかしんどかった。見ている時の一瞬一瞬の「怖い」とか「嫌だな」っていう気持ちが作り手によって操作されてるような感覚になる。

ミンナのウタ

弁当を汚く食い散らかす、ゴミを自分で処分しない、女性で年下だと名前で呼ぶ、同じ階にいるというだけで誘ってると勘違いする(冗談だとしてもカス)とマキタスポーツがクソジジイフルコースだったのでよしよし八つ裂きになるんだろうなと思っていたら最後まで襲われもしないのが一番怖かった。ただでさえムカつくやつなのに演技巧者でもなんでもない無の演技してて倍ムカつく。なぜか邦画界では重宝されてる感じがあるけどオッサンがオッサンとしてそこにいるだけ。BSだかなんだかのカセットの番組ともかかってるのかもしれないけどどうでもいい。

それは置いといたとしても何がしたいのか・言いたいのか終始わからずジャンプスケアに頼ったお粗末な脚本でめちゃくちゃシラけた。そもそも最初から編集が変。メンバー紹介みたいなやつ挟むのタイトル後でいい。
一番酷いのが種明かしの部分。あんな変なコードの引っかかり方してたら「よしわかった!」つってオーエスオーエス引っ張らないだろ。期せずして娘の自死を手伝ってしまったっていうシチュエーションを作りたかったんだろうけどいくらなんでも無茶苦茶過ぎる。ここだけで-100点。あの場面の前にドアが吹っ飛んでるシーン挟んじゃってるのも意味わかんないし。全体的に何をどの順番で見せるかが全部ズレてた。

野火

塚本晋也監督の戦争映画。3年前は冒頭10分くらいで挫折したけど今回はちゃんと向き合った。

戦争映画は史実や個人の経験に基づいて徹底的にリアルを追求し、不快・恐怖で埋め尽くされてないといけないと思う。カッコいい場面とか面白い撮影とか素敵な音楽とか一切必要ない。自分にとってこの映画は撮影が荒くて見づらいし編集もぶっきらぼうだしセリフも聞き取りにくいしグレーディングもデジタル臭くて好みじゃないところがある。だがそれでいい。

ほどよい辛さで全然大丈夫だったのにお腹は受けつけてない感がある……😑

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ビリヤニなかなか食べられないので見た目が似てた惣菜のカレービーフンをスーパーで買ったらなんかすごい美味しくて満足してしまった。

かといってブログってほどの分量でもないから、560字ってほんとにちょうどいい。

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フィルマークスの感想をベタ貼りするならマストドンの方が圧倒的に楽だな。140字だと一個のツイート内で完結してないと変だからどこで段落分けるかとか余計な推敲が発生するしツリーも長くなって全部を見てもらえなくなる。

いつにもましてやる気出ない。日光浴びてないからだろうか。

大島渚の『青春残酷物語』再生したらホテル連れ込みおじさんから女性を助けてくれた若者がその女性と仲良くなったと思ったら、無理やりキスしようとして拒まれて女性を海に落として「性の解放を教えてやるよ」などとほざいたので再生終了。

この後なんかあるのかもしれないけどもういいや。減点方式で0点になるのが早過ぎる。

ただ『アンダー・ザ・シルバーレイク』でも描かれていたようなモラトリアムにあるアーティストの卵たちの描き方とこの題材を混ぜる時のバランスがちょっと良くなかったかもしれない。セーラ(サラ)が彼らを見下しているというかむしろ逆に感じた。「無理に頑張っちゃって」みたいな。だからこそ「身体を売った」という行為に対して同情が一切なく誹りのネタにしかなっていない。この設定が「蹴落としあう女たち」的なステレオタイプになってしまっている部分もあるので何らかのチューニングが欲しかった。
また後半の意味のないヌーディティも気になる。この題材を撮るならそういうところにも配慮すべき。こういうので一気に信用ならなくなるからな……。

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Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。