セーラ 少女のめざめ/セーラ 少女覚醒

タイトルの出し方とフォントで良い予感。『ヴァチカンのエクソシスト』が記憶に新しいアレックス・エッソー(この時はアレクサンドラ・エッソー表記)が主演。ゴアはなかなかでただグロいわけでもなく「どこを傷つけるのか」にもちょっと気を配っている感じ。中盤までは若干音楽うるさかったけど後半では抑えてあって良かった。おでこツン→オーディション会場やダンベルを持つ→すでにベッドの上で跨っているなど編集も光っていた。原題のStarry Eyesはあのギラギラと光って睨みつけてくるような照明と羨望の眼差しを向けられるような華やかな世界の両方をそう表現したのかな。

エンドクレジットのKick Starter(たしかクラファンサイト)、Edited by Final Cut Pro X、More visit なんちゃらStarryEyes.comとかの表記から結構ガッツリインディペンデント映画なんだと思うけど、にしてはかなり完成度高いし作り込みもすごいと思う。
好意的に見るなら2014年公開の映画でネオン・デーモン、SHE SAID、アシスタントとかより先にこの題材で映画作ってるという点は評価できる。ハリウッドに巣食う女性搾取のメカニズムを悪魔信仰になぞらえ、そこに取り込まれていく一人の女性の身体的・精神的苦痛をゾンビ化として描くという手法は大変理に適っている。ハリウッドという巨大な傘の下でポロポロと落ちてくる食べ残しを漁るように女性を搾取しているあのフーターズの偽物みたいな店の店長。ああいう存在が開き直ってさもセーフティーネットであるかのように振る舞う様は恐ろしい。主人公の性格が悪いとする感想がかなりあるみたいだけど同じ映画を見てるとは思えない。役を取っただのジョークだのと軽口叩いてるあの女性の方のことを言うならまだわかるけど。

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ただ『アンダー・ザ・シルバーレイク』でも描かれていたようなモラトリアムにあるアーティストの卵たちの描き方とこの題材を混ぜる時のバランスがちょっと良くなかったかもしれない。セーラ(サラ)が彼らを見下しているというかむしろ逆に感じた。「無理に頑張っちゃって」みたいな。だからこそ「身体を売った」という行為に対して同情が一切なく誹りのネタにしかなっていない。この設定が「蹴落としあう女たち」的なステレオタイプになってしまっている部分もあるので何らかのチューニングが欲しかった。
また後半の意味のないヌーディティも気になる。この題材を撮るならそういうところにも配慮すべき。こういうので一気に信用ならなくなるからな……。

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