アル中女の肖像
ウルリケ・オッティンガー

かなり楽しかった。自分は一切お酒飲まないけどプロテストの手段としての飲酒というのは面白い。

基本的には飲み歩く「裕福な絶世の美女」とおそらくは路上生活をしているであろう「貧乏なみすぼらしい女性」の2人組に、統計や学問、良識などの化身として3人組の女性がほぼ常に居合わせる(ついていくのではなく居合わせる、というニュアンス)という構成。「現場」にいる前者と「会議室」にいる後者は基本的には解離してしまっているかのように表現されるけど中盤の「ダンスに誘う」というアクションでその垣根は取っ払われるべきなのではないかと仄めかされる。後者のセリフとしてミソジニーが蔓延する社会を直接批判する手法は変な比喩とか使われるより即効性を優先してるような気がして好き。今も昔も皮肉だのメタファーだの言ってる場合じゃないからな。

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ちなみにこの作品における「女性」には異性装の人も含まれていた。綱渡りのシーンにいる人はトランス女性として描かれていたような気もする。小人症の人の演出は案内人的な立ち位置だったり赤いカーテンからの登場、この世の人ではなさそうな金属的な足音など、かなりデヴィッド・リンチを意識してしまうものだった。リンチは飛び道具的な使い方をしてしまってる印象があるけどオッティンガーはどうなんだろう。『フリーク・オルランド』ではたくさん小人症の役者が出演してるらしいけど。
また数々の超現実的な演出も好み。冒頭から「ベルリン〜 現実〜 現実〜」みたいな謎アナウンスに始まりありとあらゆる「こぼし方」を見せてくれてそのサービス精神に笑ってしまう。ヨーデルを歌ってる人がいる家に入っちゃうシーンや火に車で突っ込むシーン、「バキューン!」という音と共におじいさん?が倒れ込むシーンは爆笑。やってること自体というより次のシーンに行く時の間が面白い。目のアップとクローズアップを挟むシークエンスとそれを逆にやるシークエンスで挟まれた部分は公園でぼーーーっとしてたら思いついた妄想だったりするのかな?

鏡・窓と水を使った演出はシンプルに美しいなと思うし2回ある歌唱シーンは良い意味で鳥肌が立った。頭がジンジンした。詩がバトンタッチされていく流れも鮮やか。
あと音にすごく気を使ってる監督だなと思った。ただの足音でもよく聞くとリズムを刻んでたり金属的な音やガラスの割れる音のハイがちょうど良かった。ユーロスペースの音響のおかげでもあるか。パンフでもSEをストックしていった経緯とか語ってたしペーア・ラーベンの音楽も面白かった。

体力が無くて他の作品とハシゴできなかったのが惜しいけどぜひ他の映画館でも特集上映やってほしいし配信でも見たいしBlu-rayも欲しい。プンクテさん、よろしくお願いします!

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