(ガレージなどありませんので)やっと、外でアナログな機械いじりができそうな朝の温度になってきました。
6月末に、田んぼでエンジンがかからなくなり、あげくにスターターコイルがカマってしまって、修理してあげなくてはと気にかかりつつ…
夏の間、あまりの暑さにそのままにしていた、ミニティラー(「ピコ」と言います。)の修理をしてあげました。
稼働している時間より、修理してる時間が長いくらいの、中古で買った長い付き合いの子です。
トラブルで修理のたびに、またかーって感じですが、4サイクル空冷単気筒キャブレターのアナログなエンジンなので、キャブ(ガソリン)かプラグ(火花)さえ押さえれば、なんとかなってきました。
効率性から言ったら、お話になりませんけど、苦労の結果エンジンがかかったときの(自己満足の)達成感は… クセになります。ハイ。
イングランド戦は、録画で観た。
後半20分をきるくらいまでは、ゲームプラン通りの「一発喰ってやる。」戦いができていたのに、アンラッキーな7点で、シナリオが狂ったのが残念でしたね。
直後に続いた、プランどおりに戻すチャンスだった、松島選手らの持ち味を発揮したプレーも、ディフェンスラインを抜く前に、最後はノックオンで万事窮したという。
技術的なことや戦術的なことも、まるではわかってないドシロウトの私がテレビでみての印象です。
ガチのW杯の試合で、前々回は南アフリカを喰い、前回はアイルランドとスコットランドを喰い、今日の試合でもイングランドを喰う気まんまんだったことが、伝わってきたように、観てて思いました。
凄い
ベトナム人技能実習生に関して、以前から書き溜めていたものをブログに上げてみました
江戸時代からの一軒宿の温泉で、熊本地震で壊滅的な被害を受け、泉源も埋まってしまった、阿蘇垂玉温泉に来ています。
四年以上の歳月をかけて、旅館は断念されたものの、日帰りの温泉施設として再開されました。
近くの、湯治湯の歴史を持つ地獄温泉も、別の経営者ですが、規模を縮小しながらも再開されました。
歴史はあるけど、マスの観光客をターゲットにしにくい立地のなか、資金の調達など、経営者の方々のご苦労がしのばれます。
ふくよかな硫黄のかおりが流れる、いいお湯です。
今日一日
「生(なま)きる、生(なま)きる。」
昨日の新聞のコラムに、今日(16日)は、関東大震災後の混乱時に妻と7歳の甥とともに殺害された大杉栄の100回目の命日とあった。
浪人中の寮で、姫路からきていた寮生から「大杉栄ってしっとう?」と問われて、恥ずかしながらはじめてその名前を知った若かりし頃を思い出した。
その後評伝を読んで、主人公の大杉のまわりの、いわゆる名も無き人物群像に、こんな人たちがいたんだと、驚き惹かれた。
キリストと呼ばれた久板卯之助、ズボ久こと和田久太郎、裁判官をしてその無垢さに感嘆の言葉を残させた古田大次郎。
心優しい故に、必然としてその道を選んでいったのだと思う。
私とはまったく違う、純粋で真っ直ぐな心根だ。
最近は、大杉よりも伊藤野枝のほうが取り上げられることが多いようだ。
今日はその野枝の100回目の命日でもある。
ストや労組を称える記事はどれも「労働者」と雇用身分を一括りにして書いているが…結局、非正規雇用は守られるのか?
ほかの雇用身分を守るために「ヒセイキロウドウシャハソウイウモノ」「ハケンシャインハソウイウモノ」とは絶対にしないでほしい。
もし、今回のストで非正規雇用が守られたならロールモデルとしてぜひ取り上げて欲しい。
「組合」のイメージ、変わりますよ。
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賃上げ要求はするが、裏では「労使のなれ合い」が横行...「組合」のイメージを変えた、そごう西武ストの戦略性 https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2023/09/post-250.php #ニューズウィーク日本版
8月の下旬以降は、朝、悲しい気持ちの日が多い。
今朝もそうで、今日は低調な一日になった。
お昼につけたテレビで「I am Sum.」をやってた。つい最後までみてしまった。
ビートルズが、センスいいセリフやバックに流れるリカバー曲で取り入れられてて、弁護士役のミシェル・ファイファーが素敵だった。
とてもハートフルなお話。
主人公のサムは知的障害で7歳の娘を育てている。
行政(裁判所?)からこの先、娘の養育は難しいと判断されて、父と娘は一旦引き離されるが、かかわる人たちの助けと、父娘の情愛のちからでもとの生活を取り戻す。
まわりは皆、行政もサムの味方の人たちも里親さんも、知的障害者のサムを尊重していて、子供であるサムの娘をきちんと保護しようとしてる。
軋轢は、その方法において生じていて、露骨な差別は描かれていない。
そんな映画の中の世界。
現実にはそんなリベラルな人ばかりの世界はないはず。
でも、サムやその娘が露骨で理不尽な扱いにさらされる描き方がされてたら、つらくて最後まで見てなかったような気がする。
よい余韻を残してくれる映画だった。
同時に(自分は)心地よいところだけを消費しちゃってるんだなあとの思い。
朝が悲しい気持ちになるのと関係してるのかも。
#Earthquake (#地震) M4.5 strikes 356 km S of #Tateyama (#Japan) 17 min ago. More info: http://m.emsc.eu/?id=1552574
先週、強風で骨の根本の接合部がバラバラになってしまった、
連れ合いさんお気に入りの、
折り畳み椅子にワンタッチで装着できる折り畳み日傘。
悪戦苦闘の末、針金で根本を接合部に収めなおして修理できた。
だとおもう(自画自賛)。
修繕事でいつも思うのだけれど、こうすれば無理なくできるってわかるときは、すでにありとあらゆる試行錯誤のあげく、無駄な傷やダメージを加えたあげくに修理を終えたあとか、修理不能にしてしまったあと。
わが歩んできた半生もまた、かくの如し。
だけど、今日の日傘はうまくできた。
週末の非日常から帰って、今日からまた平穏な半径〇〇Kmの日常。
昨日の新聞を読んでたら、コラムにこの国の実質的な税負担率が5割をこえているとあった。
もうすでに高福祉高負担の北欧並みなんだ。北欧だと、多分、大学まで公教育は無償だと思うけど、でもこの国は国立でも大学の授業料は一昔前の私立大並み。
コンビニの利用者に占める20代の割合が小さくなっていて、それは価格が安いスーパーでのまとめ買いで生活防衛してるからだろうとの指摘も書かれていた。
自分は、教育費と住環境以外は、ひと世代前のライフスタイルをあえて選んで、ダウンサイジングした生活をしている。便利だけど割高なコンビニより生活者としてスーパーで買い物するのは、合理的な選択だねって言ってあげたい。
けれど、生活は質素でも、教育は望むひとが等しく受けることができる社会であってほしい。
北欧並みの高負担のお金はどこに消えているんだろう。
今日のお昼ごろの、福岡市筥崎宮の参道。
明日から放生会とのことで、たくさんの出店や屋台が準備していた。お化け屋敷まであって、さすがメジャーどころは違うなと感心してしまった。
明日の夕方ごろにこれたら、日本の夏の夕涼みの情緒を満喫できたんだろうな。残念。
今日と明日は、福岡で士業をなさってる方が、京都在住のお坊さんを招いて、年2回ほどご自分の事務所で開催してくださっている「ゼミ形式の勉強会」に参加しに来ています。
縁があって参加しはじめてからもう10年以上経ちます。
学生時代のゼミの先生に対するように、本物のお坊さんにテーマをめぐって質問し、逆に質問を投げかけられ、他の参加者の見解を聞き、自分の見解を発言するのは、ホント知的な刺激があります。
自分に対する気づきも沢山あって、仏教は今の哲学や心理学、さらには量子力学のような物理学、脳科学まで、十分に包含して議論できるすごいものだなあって思います。
「存在とは?」
「存在とは関係性である。」!?…
どうですか。
本日の句会、投句5句中4句は採ってくださる方があった。
採ってもらうのが目標じゃないけど、とってもらえるとやっぱり嬉しい。
4句中一番点がもらえたのはこの句でした。
時もまた
過ぎてゆくなり
風知草
風は動かないで止まってるときがあるけど、時はこの世界にある間は、見えないままに途絶えることなく過ぎていってしまいます。
母屋の道向かいのミニ果樹園に樹齢30年ほどの栗の木が一本あります。
例によって大きくなりすぎないように枝を刈り込むだけで、何の手入れもしてないのに、毎年実をつけてくれます。(当然売り物になるようなレベルではありませんけど。)
連れ合いさんが、拾ってきてイガイガから剥いて、洗って選別して、茹でて晩御飯に出してくれました。
食べるとおいしいし、自前のものを食べれる喜びもあるけど、手間ひまかけて食卓に出してくれた連れ合いさんに申し訳なく、ちと後ろめたい。
と思いながら、ぱくぱく食べてしまいました。ごっっあんでした。
泥縄でつくった明日の句会用の俳句を、連れ合いさんに見せたら、中学生レベルと一笑に付されてしまった。
このニャンさんのように不貞腐れて寝てしまいたいにゃん。
このニャンともう一匹、のらさんたちだけどおとなりのおばあちゃんが餌あげてて、うちの敷地も彼?ら我が物顔の自宅化してる。
今の時期だと砂利がひんやりして気持ちいいのか、朝や日中は陽の当たらない場所を見つけて2匹仲良く冷やし砂利浴してる。
追い払うことはしないけど、そばに行ったら「にゃん」て声かけるようにしてる。
彼?らは恐れる様子もなく、まったく当方を無視して寝そべっている。
こちらは、日中はまだ真夏(アメダスで34.5℃)だけど、夕方やっと「夕涼み」という言葉が似合う、そよとした風が来ています。
子供のころの夏休みの夕方は、こんな感じだったような。もう新学期はじまってるけど。
あさってが月に一回の図書館での句会で、5句つくっていかなければなりません。けど、例のごとくまだ一句もできてません。
「夕涼み」で一句、昨日の「くじら雲」で一句つくるとして、それ以上は、俳句の種が浮かばない。
うーん。困った…
のでとりあえず、 。
お昼は連れ合いさんの提案で、高速道路のコンクリート橋が河原をまたいで人工の常設タープになっている河川敷の公園で、お弁当を食べた。
コットに寝っ転がって空見上げてて、南東の空は秋の雲、西北の空は夏の雲、面白いねって、講釈してると、連れ合いさんが「あっ、くじら雲。」って指差した。
そうかなあって見てるうち、私にもくじら雲に見えてきた。
今日は私が当番で、2時間もかけて土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」まんまの、具沢山お味噌汁とご飯とだけの晩御飯をつくった。
それから昨日のバスケW杯最終戦の録画を二人で最後まで一緒にみた。
今生の
今が幸せ
衣被(きぬかつぎ)
こんな一日は、鈴木真砂女さんの衣かつぎの句がしみじみと浮かんでくる。
衣かつぎは里芋を煮た食物のことで秋の季語です。
バスケ日本代表おめでとう。
彼ほどの選手がもうシュート確率が尋常じゃないところまで落ちるほど、全試合を通じて献身的にプレーしつづけた、渡辺選手でした。
試合後のインタビュー。
こらえても、言葉に代わってこみ上げてくるものが、今回の代表チームとこの大会における、彼の存在のすべてを語っていたように思います。
裕太、よかったね。
明日が申し込み期限の(コロナ以降はじめて再開される)サイクルイベントにスポーツエントリーで手続きしたところです。
地域の自転車店が事務局になって立ち上げられて、地元の方々の協力と尽力で高い評価を得て、回を重ねて行政や自転車議連の政治家さんのバックアップも得られるまでに育ってきたのに、コロナで3年間開催できず、やっと再開される今回は開催方式が大幅に簡素化されているようです。
地域に灯った火をたやさないように、とにかく再開することを目指して骨を折ってこられただろう、自転車店の経営者のお顔が浮かびます。(80歳を超えた笑顔が素敵なおじいちゃんです。)
以前とは様変わりの雰囲気になるのかもしれず、2つの病気を抱えるようになった自分のコンディションにも自信はありませんが、ここはとにかく
「意気に感じて」
申し込みです。
🚴 🚵♂️ 🚴 🚵♀️ 🚴♀️ 🚵♀️ 🚴♂️
自分主権
地域主権
わたしの自由と同じように、私でない人の自由も尊重すること。そんな自分やそんな世界が理想です。
好きなこと(5Bと1A)
バイク
バイシクル
バスケットボール
ブック
ブッディズム
アグリカルチャー
もうサラリーマンはしなくてよくなって、九州の人口10万人程の小都市で、ちっちゃな田んぼともっとちっちゃな麦畑で自然栽培を試行錯誤しながら恋女房とおだやかに暮らしています。
よろしくお願いします。