「縦型の外婚制で権威主義的共同体家族システムにおける権力は、個人の外部に存在するのではなく人々の頭のなかに存在するのである。ひとびとはその教育システムによって服従に慣らされている。そして外婚制メカニズムが社会全体との接触を強制している。外婚制システムのなかにはひとつの構造化作用が存在している…遠心的な力が個人を家族の外へ押し出し、社会全体が相互に作用することができるメカニズムを生み出しているのである。
アノミー家族は全く違うものを生み出すことになる。核家族型で一定した規則に拘束されず、教育のやり方が厳格ではないために、構成員たちに規律の原理を習慣づけることがない。したがって社会の裏面で機能するこの構造化作用を生み出すこともない。求心的な派生力に任されたまま外婚的な拘束が働かないために、各個人が出身集団に舞い戻ることになる」262頁
「村落のレベルで行なわれたいくつかの調査によれば、王侯たちの内婚モデルに類似した現象が常に大衆層のなかにも確認できることが示されている。エルマンやランケのようなもっとも信頼できるエジプト学者は、農民と職人からなる古代エジプトでは兄弟と姉妹の結婚はありふれたことであった、と考えている。カンボジアの或る農村で実施された研究では、王侯の家族で許されている異父(母)兄弟と異父(母)姉妹の結婚は、より慎ましい階層である底辺の水稲耕作者たちにも同じく受け入れられていたことが示されている。インカの問題も比較的新しい民族学的な資料に当たれば解決することができる。『南米インディオのハンドブック』によると、現在のアイマラ族(インカ帝国の民族学的構成要素のひとつ)では性の違う双子が頻繁にもしくは一貫して結婚している。この<教科書>の論文の著者は、住民数千人の地区にそのような夫婦を3組確認している」257頁
「この亜大陸における言語、儀式、慣習の驚くべき多様性にもかかわらず、ひとつの人類学的な形式がインド全体に共通している。それは核となる家族構造が共同体家族であり、男性集団を外婚制が貫いていることである。2つのヴァリアントがインドの空間を二分しながら、この外婚制共同体家族という一貫した形式を補っているのである。
北部では、外婚制は父系、母系の両方に及び、結婚の禁止は母方の家族にも適用される。
南部では、外婚制は部分的であり、母方の親族とのイトコ婚を奨励するシステムと組み合わされている。この非対称的な内婚制のモデルが断ち切られると、インド南部の家族は単純な外婚制共同体家族に変容することになる。…このようなシステムの解体が共産主義の強力な浸透を極めて順調に推し進めたのだ」245-6頁
「血縁結婚の内分けの変化…都市化プロセスが親族システムに<母系的な偏向>を引き起こしている。内婚制モデルが維持されながらも、変容が起こり、都市層での妻と母の重要性の増大を示すようになる。イスラムの地においてさえ、近代化のプロセスは、女性の権力の増大を引き起こしているのである。そこからイスラム教徒でありイラン人である男性たちの不安が生まれたのである。彼らがホメイニとともにすすめた闘いは、幾分はシャーに対抗するものであったが、しかし多くはチャドール(女性のスカーフ)のため、つまりはシャーが薦めた女性解放に反対するものであった」227頁
一種のバックラッシュか…今のイラン情勢を見るに含蓄深い分析だなあ
「イブン・ハルドゥーンは血族と国家を区別しない。イブン=ハルドゥーンは政治権力の強さは、一定の時代に4世紀以上は続くことがないある血族の活力に基づいていると考えている。彼にとっては、血縁の概念は衰退という概念を含んでいる。『ひとつの家族の威光は4世代で絶える』、息子は『父に値しない』。ここに政治的なイスラムの歴史を作り出す王朝の繁栄と衰退が由来する。
国家の弱さはイスラム世界を政治的な分裂へと導く。イスラム世界は、ローマ、中国あるいはロシアのような帝国として存在することができなかった。…兄弟の連帯という観念は、世界の他のどの文化よりも統一への熱望と分裂の能力を併せもっているイスラム文化の根本的な矛盾を理解させてくれる。
…イデオロギーのレベルではなく家族のレベルでは、内婚制的な閉鎖性を生み出し、イスラム社会が個人からなる共同体ではなく、家族が並立することで成り立っているという様相を醸し出す。イスラム教徒共同体(ウンマ umma)の構造がそれであり、家族ではなく個人の集合である国民というヨーロッパ的な観念と対立する」220頁
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/