「沢山美果子は、命や身体という切り口から近世の実態にアプローチし、『いのちをつなぐ』ためのさまざまな方策の存在を明らかにした。たとえば幼い子どもを残して母が死亡した場合、もしくは乳が出ない場合、『もらい乳』という方策で赤子の延命が図られた…また、養育できない事情がある場合には『捨て子』という選択肢があったという…『捨て子』は赤子を亡きものにするための行為ではなく、生かすための方策であった…どこに『捨て』ればより良く生きられるのか、ある種の知恵が共有されていたのである。拾う側も慈善行為として養育するだけではなかった。『捨て子』を必要とする人もおり、多くは強く求められて養われていた。ある意味で『捨て子』は育てられない子どもを求める人に届ける仕組みだったのである。
 夫馬進(1990)によると、中国の明清期には捨て子を拾う動きが活発化したという。皇帝が進める育嬰堂(養護施設)から地方の行政が担うもの、有志がお金を出し合い運営するものなど、さまざまなものが全国に広がった。『流される』赤子(特に女児)を救うことで、『果報』を得たいという慈善行為として始められ、清末には保嬰会に膨大な資金とエネルギーが投入されたという」17頁
沢田美果子『江戸の乳と子ども』吉川
夫馬進「清末の保嬰会」『シリーズ世界史への問い5』岩波

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「戸田[貞三]は、100年前の第1回国勢調査の資料から[グエン・フー]ミンらと同じギャップに気づき、1930年代という早い時期にそのマジックを解いていた。すなわち、直系家族社会であると思われている日本であるが、1920年の静態統計をみる限り核家族が多いこと、そして、それが当時の死亡率や出生率、結婚年齢といった人口学的制約によるものであり、直系家族が可能である場合には7割以上がそれを実現していたことを示し、私たちの家族イメージと実態とのギャップを埋めた」14頁

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「ケアとリンクさせた際に、ベトナムにおける親との同居はその形態も、機能も、日本の直系家族とはまったく違う。一時点の世帯構成をみると、ベトナム家族も日本の伝統的パターンと同じ直系家族世帯であるが、すべての男子がローテーションで親と暮らすため、時系列でライフコースを観察するとまったく違う状況が現れる。父系社会であるベトナムや中国は、儒教倫理にもとづく長男優先と思われるかもしれないが、実は男子均分相続を旨とする社会であり、『父系社会=儒教社会』と単純化することはできない。
 ベトナムの人々は自分たちの家族を大家族と考えているが、センサスをみれば夫婦家族が大勢を占める」13頁

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「落合はアジアの多様な結婚を『家父長的結婚(patriarchal marriage)』と『しなやかな結婚(flexible marriage)』という2つの理念型から説明する。片方の極に中国やインドといった父系親族組織をもつ社会に典型的な『家父長的結婚』を、もう1つの極にタイのような双系的親族組織をもつ社会に典型的な『しなやかな結婚』を付置し、アジア各地の特徴はこの2つの理念型の間に位置づけられるという」6-7頁

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「戦後の変化は『見合い結婚から恋愛結婚』へ」といわれてきたが、恋愛結婚の実態は『職縁結婚』であり、『職縁結婚』の衰退が現在の未婚化をもたらした…そして見合い結婚や職縁結婚の衰退は、未婚化のみならず若者の異性関係からの撤退につながった…
 …明治後半から大正生まれのおよそ5500人の聞き取り資料を検討した服部誠は、戦前の結婚は恋愛によって結ばれた事例が多く、明治以前の旧い時代には恋愛結婚がむしろ一般的であり、しかも、当時の自分で選ぶ結婚には離婚・再婚という再チャレンジの機会が保障されていたという。ところが、『家』社会が広がり、離婚が否定的なものに変質した結果、いったん結婚すると相手がどうであれ『たえる嫁』であらねばならなくなり、どうせたえるのなら少しでも良い家に、ということから、親が選択に口を出す新しい結婚、見合いが広がったと説明する。女性の上昇婚の始まりである」2-3頁
↑ 服部 誠(2017)「近代日本の出会いと結婚——恋愛から見合へ」、平井晶子・床谷文雄・山田昌弘編『出会いと結婚』日本経済評論社、235-46頁

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平井晶子「序論 アジアの結婚とケア——伝統と新しい展開の現在地」、1-28頁

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平井晶子・落合恵美子・森本一彦編(2022)『結婚とケア(リーディングス アジアの家族と親密圏 第2巻)』有斐閣

(承前)「既婚の兄弟の房はルーツが同じということで家族が融合するように、父系継承が存在することで『家族』のメンバーシップを定める根本的なルールが維持される…したがって同じ姓をもつ親族集団、(父系親族集団)のネットワークに関係するあらゆる親族関係が、『家族』という概念には含まれうる」415頁

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「〈『家(Chia)』と家族〉…
 中国語で『家庭(Chia-T’ing)』と訳される家族という概念は、実際には外国から輸入されたものだといわれてきた…これまでのところ適切な英訳がなかった家こそが、『家族』の真の本質である。家族研究者はまた、1947年に費孝通が提案したように、家の定義には伸縮性があるという点に合意している。家は、もっとも近しい夫婦家族単位(conjugal unit)のメンバーのみに主観的に限定されることもあれば、同じ父系親族集団に属するメンバーや、出身地が同じ人、同じ政治的利害関係にある人にまで拡大されることもある。王崧興は、家という概念はその定義が柔軟であるのみならず、家庭(domestic unit)と『家族(ジャズー、family)』という概念では性質が異なることを示した。王によれば、これら相互に関連する2つの概念の根本的な違いの根底には、中国の家族制度に埋め込まれた構造的な特性があるという。つまり家庭は家族分裂の産物であり、社会組織の不可欠な基本単位として、その重要な役割において本質的に排他的な性格をもつが、『家族』は、家族融合の自然な発展過程から生じた概念的な単位であり、本質的に弾力的で非固定的である」414-5頁→

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伊慶春(Yi Chin-Chun)・呂玉瑕(Lu Yu-Hsia)(1999) “Who Are My Family Members? Lineage and Marital Status in the Taiwanese Family,” American Journal of Chinese Studies 6, pp.248-78.
=Sandrovych Tymur・山本耕平・平井晶子・陳玲訳「家族とは誰のことか——台湾家族における系譜関係と婚姻状況」、412-31頁

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「モデルとしての夫婦制家族は、修正直系家族よりは近居拡大家族になじみやすく、これをつくって第二次的保険機構にしようとする。それにしても、近居拡大家族の構成単位は保険機能の脆弱な核家族であるから、第二次的保険機構に多くの手段的役割を期待できない。フォーマルなケア組織とクライエントをつなぐケア役割ならびに表出的役割ぐらいが、近居拡大家族にも担いうるものであろう。したがって、市場サービスに加えて社会保障サービスの発達が前提となるのである」405-6頁

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「アメリカにおける都市家族の研究は、核家族を取り巻く親族関係網kin family networkの存在を実証的につきとめてパーソンズ説[孤立的核家族論]を批判するとともに、第一次集団が官僚制組織と機能的に相補関係にあることを理論的に解明することによって、親族関係網の意義を確定した。…
 親族関係網をE. リトウォクは修正拡大家族modified extended familyと呼んで古典的拡大家族と区別した。古典的拡大家族とは、父親の家長的権力のもとに密接な生活関連をもつ複数の近親核家族の近居集団である。これに対して修正拡大家族とは、ほぼ対等の関係で接触を保つ複数の近居・遠居近親核家族群である。この知見を日本に移して翻案すればどうなるか。まず古典的拡大家族に嗣子同居の属性を加えてこれを家というなら、修正拡大家族の日本型には2種類あるといわなければならない。第1は、1人の既婚子と同居しながらも生活に世代分離のある修正拡大家族であり、第2は、どの子とも同居せずただ近居して比較的密接な生活関連をもつ近居拡大家族である」405頁

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「<モデルとしての夫婦制家族>
 夫婦制家族は夫婦1代きりの家族であって、次代への継承の観念を欠く現代の都市核家族にこのモデルを見出すことができる。就業形態は被用者としての就労であることから、家族は消費を共同する世帯にとどまり、もはや1個の事業体をなさない。それでもなお第一次的な保険機構であるが、成人の成員が少ないため、かつての直系制家族のように広範な保険機能を果たすことができない。…
 それでは、直系制家族が家連合の互助と強力に守られることによって保険機構としてほぼ全きを得たように、夫婦制家族にも家連合に類するものがあり、それによって脆弱な保険機能が補完されているのであろうか。——答えはさしあたり否に近い」404頁

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「モデルとしての直系制家族は、親と1組の子夫婦との世代的に更新される同居に支えられた世帯であるとともに、稼働成員を基幹要員として経営し世代的に継承される家業をもつ、1個の事業体であった。…
 モデルとしての直系制家族は、家と呼ばれる。家が事業体として、とくに保険機構として完結しないときに備えて、親族や同じ集落の家々と互助共同の組織をもった。それが親族的もしくは地域的家連合と呼ばれるものであって、具体的には同族、シンルイ、組や講、オヤブンコブンなどの名称で知られている。
 家は世帯であり事業体であり、また保険機構であったから、生活共同体と呼ばれる。共同体を維持するために、家長および家の慣行が成員の行動を制約することになった。また、家連合が集中する一定の地域は、家をめぐる第二次的保険機構としてしばしば共同体と呼ばれ、その存続に必要な規則や生活慣行が住民の行動を秩序づけた」404頁

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「家族構成の面では、戦後核家族化が進行し、終戦直後の62%から最近の76%まで核家族率が上昇した。今後は子ども数急減のためこの比率の上昇にブレーキがかかり、直系家族の低下が弛むことが予想されている。しかし、今日の直系家族は、家制度における直系と異なり、単一の家族をなすというよりは、親の核家族と子の核家族の世代的結合である。家制度においては親子関係が家族生活の中軸をなし、これによって親と子2つの核家族は1つに融合して直系制家族をなしたが、現代の家族、とくに若い家族は夫婦関係に中軸があり、そのため直系家族をなした場合でも、しばしば2つの核家族の同居を契機とする結合、すなわち夫婦制家族になっている。そこでは、家の系譜を継承するという観念は崩壊に瀕しているといえよう」396頁

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森岡清美(2005)「家族の変化と先祖祭祀」、『発展する家族社会学——継承・摂取・創造』有斐閣

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