「わたしの議論はヨーロッパ全体を対象としている。いかなる辺境の村でも、家族は遅かれ早かれ感情で結ばれた家族への長い道のりをたどることになる。近代化がもたらす夫婦生活の変化は本質的にどこでもかわらないからである。男女関係にみられる実利的態度から情緒的態度へのうつりかわりや、核家族の周囲の共同体からの離脱もまた、どこでも起こった現象である。…合衆国でもそれほど劇的ではなかったにせよ——新世界は『最初から近代社会として誕生した』ものである——同じ傾向が多少は認められるだろう。感情の高揚や共同体と家族の絆の切断は、たとえ時代的なずれや地方による差異があるとしても、ヨーロッパ社会では普遍的な現象であったといえよう」14-5頁

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(承前)「この感情の高揚が家族と周囲の共同体との関係における変化の原因なのか、あるいは結果なのかは重要な問題の1つであるが、本書では答えられていない。『近代化』の強烈な衝撃によって、伝統的家族の安住の地であった共同体の構造が破壊されたのか、あるいは広範囲におよぶ社会変化が、まず家族員のそれぞれの心性に影響をおよぼし、その結果家族が互いに手をとりあい、部外者の出入りを家族の団欒をみだす迷惑なものとして制限するようになったのか。仲間集団の信義を放棄したのが先なのか、あるいはまず家族の情緒的な結びつきを重んじるようになったのが先か。こうした問題は、にわとりが先かたまごが先かという問題と同じく、答えることは困難である」6頁

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(承前)「その後、これらの優先順位が逆転する。外界に対する絆は弱められ、家族を互いに結びつける絆が強められる。そして外部からの侵入に対して家族の団欒を守るために、プライヴァシーという盾がもうけられる。この家族愛のシェルターの中で、近代核家族が誕生するのである。このようにして、さまざまな家族関係において感情が重要な役割を果たしはじめる。情愛と愛慕、愛と一体感が、旧来の物質的、『実利的』な考えにかわって、家族の行為の規範となった。夫と妻や子どもは、自分が果たすべき役割や、自分のなしうる行為によってではなく、むしろあるがままの姿で評価されるようになったのである。それが『感情』の本質である」4-5頁→

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(承前)「<家族と周囲の共同体との間の境界線> 古き悪しき時代には、家族をつつむ殻にはたくさんの穴があいており、外部から人びとが自由に出入りして家族内の事柄を観察し、監視した。その穴を通して家族の者が逆に外部に出ていくこともあった。というのも、人びとは、家族よりもむしろ、さまざまな仲間集団に対して情緒的に相通じるものを感じたからである。いいかえると、伝統社会の家族は情緒的に結びついた単位というよりも、まず生産および再生産の単位であった。それは財産や地位を代々子孫に伝える機構であった。リネージこそが重要であり、家族が食事をともにすることは重要なことではなかった」5頁→

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「わたしの考えでは、伝統的家族が近代家族へと変化したのは次の3つの分野での感情の高まりのせいであった。
 <男女関係> ロマンティック・ラヴが、かつて男女を結びつけていた実利的な考えにとってかわる。結婚の相手を選ぶにあたって、個人の幸福や自己陶冶が財産やリネージに優先するようになるのである。
 <母子関係> 母親と子どもの間には説明のつかない愛情——生物学上の絆の産物——があるとしても、母親の理性的な価値順位において幼児が占める順位に変化があった。伝統社会においては、母親は幼児の幸福よりもます、すさまじい生存競争にかかわって多くのことを考えなければならなかった。他方、近代社会では、子どもはもっとも重要なものとなり、母性愛によって子どもの幸福が何ごとにもまして大切に考えられるようになったのである」5頁→

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「事実というものはたいてい、ビスマルクでも、ルーズベルトでも、アレキサンダー大王でも、『内』にこそあるのだ。われわれは、かれらの物語の概略やなぜ戦争を宣戦布告したかについてはかなり正確に知っている。しかしわれわれは愛情生活という壮大な、空白の物語の前葉についてはほとんど知らないのである」xii.

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「『悲惨』派の解釈に対する主要な批判点は、子どもを明らかに冷淡に扱ったかなりの人びとは悲惨な状態にはなかったことである。…マーチャント・バンカーのすぐ下の階級の人びとはすべて貧困にうちひしがれていたとするのは、ばかげたほど単純化された階級観である。とりわわけ、肉屋やパン屋そして〈自作農〉は、派手な結婚式や持参金、在郷軍の制服をまかなうくらいの金はためこんでいた。しかし、これらの村の中産階級の人びとは労働者同様、生きている子どもに母乳を与えようとしなかったし、子どもが死んでも悲しむことはなかったのである」ix-x.

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「1900年以前の幼児死亡の原因について研究をすすめていけばいくほど、多くの幼児が天然痘やしょうこう熱で死んだだけでなく、不適当な食事やとてもひどい世話のやり方のためにも死んだことがわかってきた。すなわち、(母乳ではなく)小麦粉と水のまぜたものを与えたり、(経験豊富な産婆が注意深く分娩させるのではなく)野蛮きわまりない方法で分娩したり、(あたたかい産衣につつんで、幼児をやさしくあやすのではなく)幼児を包帯でかたく巻きつけたまま、何時間もほうっておいたり等々。われわれが扱っている社会は、妊婦が陣痛のはじまる直前まで野良仕事をし、母乳をやるのはほんのときどきで、早く離乳をさせ、そして幼児の命にはほとんど価値がおかれていない社会なのである」ix.

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Shorter, Edward. (1975→1977) The Making of the Modern Family, Basic Books.
=1987 田中俊宏・岩橋誠一・見崎恵子・作道 潤訳『近代家族の形成』昭和堂

「エスピンーアンデルセンは、『初期の段階では、現代福祉国家はいずれも<家族主義>を前提としていた』と言う…『家族主義』とは『家族がその成員の福祉に対して最大の責任をもつ』ことを前提とした福祉レジームである。…われわれの言葉でし、『20世紀体制』において社会政策は男性稼ぎ主が職を失ったときの所得保障に特化し、それ以外の家族成員の福祉(well-being)は家族に任せていたと、エスピンーアンデルセンは述べている」329-30頁

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「人口高齢化と言うと、暗い印象をもたれるが、これは『近代化』の不可欠の要素である第1次人口転換の帰結であり、むしろめでたいことだと言うべきだろう。…長寿という夢を人類はついに実現したのである。人口転換が不可逆の変化であるなら、高齢社会や超高齢社会はこれからの人類社会の普通の姿である。思えば『近代』とは経済成長と人口増加の時代を経て成長が鈍化し定常社会に至るまでの全プロセスからなるのかもしれない」328頁

このプロセスを語るには、ケインズ主義や何やわけわからん「フォーディズム」よりも、「ルイスの転換点」が必須でしょう

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「人口学的側面に着目すれば、第1次と第2次の人口転換の間に成立したのが『20世紀体制』であると言うことができる。…第1次人口転換は近代家族が大衆化して『20世紀近代家族』となるための必要条件であったが、第2次人口転換はその条件を掘り崩した」326頁

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「『近代家族』とは、公共圏から分離された親密圏において、『男性稼ぎ主ー女性主婦』型の性別分業をした父母が少人数(2、3人)の子どもを育てる情緒的つながりの強い家族である。当たり前の家族のように思われるかもしれないが、社会のすべての人が同型的な近代家族を作るためには、結婚しない/できない人はほとんどおらず、皆が子どもをもたねばならない。また死別や離別もほとんどなく夫婦は高齢期まで添い遂げることが想定される。20世紀初めに欧米先進諸国において人口転換が終了し、死亡率と出生率が低下したことが『20世紀近代家族』成立のための条件であったが、それだけでは十分でない。ケインズ政策とフォード型労使和解システムに支えられた安定した完全雇用と、男性稼ぎ主の退職後の生活を保障する年金制度など、経済と国家の条件整備も必要であった。他方、家族は男性労働者と次代の労働者である子どものケア——マルクス主義の用語では『労働力の再生産』——を行って、彼らを公共圏へと送り出す機能を担った。家族と経済と国家が三位一体となった体制が作られた」325頁

「フォーディズム」って、経済学ではもう誰も真面目に論じてはいないと思うけどなあ😅

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「人口学的条件をコントロールしてもなお、子の結婚時に子と同居した親の割合は高度経済成長期を通じて一貫して低下していたことがわかった…しかしその一方で、若いコーホートほど途中同居が多いので、結婚後15年目くらいになるとどのコーホートでも親との同居率は30%ほどに収束するという…一見すると、一時同居型に変容したものの、直系家族制規範は弱まっていないということかと見える。
 …廣嶋清志によると、家制度が健在だった戦後まもない時期には、親から見た子どもとの同居率はなんと100%を超えていた。子どもがいなければ養子を取って同居するので、実子のいる高齢者を分母にした場合、100%を超えるのである…江戸時代にも同様に養子を取ることにより、子どもとの同居率を高めていたことを筆者も明らかにした…そうしていない現状は、やはり直系家族制規範の衰弱を示している。
 近代家族の性質を列挙するときに、筆者は『核家族』という項目に括弧をつけたりはずしたりして、判断の揺れを指摘されることもあった。しかし複雑な世帯構造の家族伝統をもつ地域における核家族化仮説の当否は、いまだ開かれた問いなのである」292頁

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(承前)「これに対し日本では、近代化以前も男女とも皆婚だったと言われてきたが、近年の研究で覆された…少なくとも西南日本では、近代化により生涯独身者の割合が縮小した。また、キリスト教による離婚の禁止も儒教による再婚の抑制も無かったため、離婚と再婚がきわめて多かった…明治以降1940年頃まで離婚率は傾向的に低下し、死亡率低下と重なって、日本の結婚の安定性は飛躍的に高まった。さらに、近代以前には地域差が大きく、早婚で適齢期があり結婚後に奉公に出る東北地方、晩婚で適齢期が弱く結婚前に奉公に出る濃尾地方、晩婚で適齢期のある西九州地方など、さまざまなパターンがあった…こうした国内的地域差の縮小もまた近代を特徴づける現象であった…
 アジアには、近代以前から離婚や再婚を嫌った韓国や中国のような社会と、離婚・再婚や婚前性交渉が自由だった東南アジアとの両極がある。日本の近代以前のライフコースは、結婚を中心に見る限り、明らかに東アジアより東南アジア的だった…
 このような近代以前のライフコースは、社会によって、また同じ社会の中でも地域や生業、階層、家族の事情や個人の運不運などによって多様であった。それが安定して画一的なパターンに標準化されていくのが近代であった」282頁

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「近代以前のヨーロッパは晩婚(平均初婚年齢は男女とも24歳以上)なうえ、生涯独身者も多い(15%以上)社会だった。結婚したら親と別居する新居制をとっていたため、奉公人として働いて結婚費用を貯めるまでは結婚できなかったのである。これを『ヨーロッパ型婚姻パターン(European marriage pattern)』と言う(Hajnal 1965)。ところが近代的職業の創出によって、20世紀初頭に皆婚化と早婚化が起こった。さらに、死亡率の低下が結婚の絆の安定化をもたらした。その結果、20世紀前半に結婚した夫婦は、史上もっとも安定した結婚生活を享受した」282頁→

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「筆者はさらに、『19世紀近代家族』と『20世紀近代家族』という類型の区別を行った。これはヨーロッパにおける成立時期による命名なので、むしろ『ブルジョワ近代家族』と『大衆近代家族』と呼びかえたほうがいいかもしれない。前者はブルジョワ階級にのみ成立した近代家族であり、社会の他の階級の人々は他のタイプの家族を営んでいるのを前提としている。ブルジョワ近代家族には下層出身の家事使用人がいる。後者は近代家族が大衆化した時代の近代家族であり、ほとんどすべての社会成員が近代家族に暮らしているのを前提としている。家事使用人は原則としておらず、主婦が自ら家事労働を行う…
 社会の全域に等質の家族が存在するようになり、家族が社会の基本的単位となったのは、『大衆近代家族』の時代のことである。その意味で20世紀はまさに『家族の世紀』であった。現代の日常語や社会科学における家族概念も、みな20世紀の『大衆資本主義』を投影している。世界的文脈に置き直してみると、戦後日本家族とは日本で成立した『大衆近代家族』であった」276頁

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「家族論の分野では、1980年代に『パラダイム転換』が起きた。それは一言で言えば、第2次世界大戦後の日本の家族を『家から核家族へ』という一方向的変化として見る枠組みから、ある時代に固有の1つのシステムととらえる枠組みへの転換であった。性役割や家族のあり方など、変わらないと思われがちな私生活にも歴史があるという主張をこめて、筆者は戦後日本の家族を『家族の戦後体制』ないしは『家族の55年体制』と見ることを提案した。そして『家族の戦後体制』は1955年から75年まで続き、それ以降は変容を始めたと考えた」275頁

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