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「ローラン・サガールは、私の家族システムの類型の地図が、偶然できた配置などではなく、類型の起源とその論理についての何か単純で明解なものを表している、ということを私に気付かせてくれたのだ。『辺境地域の保存特性』という言語学的な原則が、東ヨーロッパからベトナムに至り、またモンゴルからアラブ世界に及ぶ——内婚制であれ外婚制であれ——『ひと続き』になっている共同体型地帯の存在を説明してくれるのである。さらには、この共同体型地帯の両端に存在するドイツや日本の直系型の地域、またその辺境地域に、イギリスやフィリピンの核家族型が存在するという配置を説明してくれるのである。このような配置は、ひとつの同質システムのなかに或る時点で生起した新しい形式が、その中心的な地域を基点にして広がり始めたあと、別の時点ではまだそれがそのシステムの辺境地域には到達していないという状態を想起するものである、というのだ。…共同体家族の諸類型は、そのほとんどのケースが父親と結婚した息子たちを集団の組織の中核に据える父権制の構造物である。したがって共同体型の伝播は、父権原理と男性優位の伝播をも意味しているのである」26頁→

(承前)「このような解釈は、父権制の段階に先行する母権制の存在についての強力で、ときには逸脱した考察である『母権制』のなかで、1861年にバッハオーフェンによって開かれた古典的な人類学上の論争につながるものである。私が、ローラン・サガールとともに行なったこの分析は、他の多くの研究がすでに示唆しているように、かなり古いある時代に、女性に与えられていた高い地位(しかしバッハオーフェンが考えていたような支配的な地位ではない)が低下するという経験をしたという仮説の信憑性を確認するものとなっている。このような解釈は、個人主義的な核家族と近代とを結びつける古典的な社会学諸理論に馴染んでいる人々には驚愕すべき認識に至りつくことになる。中心部における変化として発生した共同体型家族の伝播という仮説は、核家族の諸類型を、反対に、原初的なものとして定義するにいたるのである。
 共同体型家族システムの起源に関するこの『伝播理論』による仮説は、哲学的には極めて私の好むところのものである。なぜならば、それは家族の類型によって分断されている<人類の一体性を回復するもの>だからである」26-7頁

「[ル=プレにおいては]父親と息子たちとの関係が自由あるいは自由の否定を定義するのである。そして兄弟たちの関係が平等あるいは不平等の理念を定義するのである。
 <自由>。仮に子供が結婚後も親たちとともに生活を続け、拡張された家族集団のなかで縦の繋がりを形成しているとすれば、その子は家族関係の権威主義的なモデルのひとつに適応しているのである。逆に、仮に子供が思春期を終えたところで結婚というかたちで独立した家族を築くために元の家を出るとしたら、彼は、個人の独立を重んじる自由主義的なモデルを実行していることになる。
 <平等>。相続は2つのやり方で行なわれ得る。仮に親の財産が分割されるようであれば、その相続は兄弟間の平等な関係を示している。だがもし相続のシステムが財産の分割不可能性を前提にし、ひとりを残してその他が相続から排除されるとしたら、その相続は不平等理念を受け入れていることになる。
…家族システムは次のような4つのタイプであり得るのだ。
——自由主義で不平等主義(タイプ1)。
——自由主義で平等主義(タイプ2)。
——権威主義で不平等主義(タイプ3)。
——権威主義で平等主義(タイプ4)。
 ところが、ル=プレの類型学ではタイプ234だけが採用されているのである」42-3頁

「イングランドで観察されたこの家族モデル[タイプ1]をどう処理していいのか分からなかったル=プレは、それを直系家族——権威主義で不平等主義——の退化した類型と見なした。彼は当時の時代思想にきわめて適合した進化論的性格を自分のモデルに導入したのだが、それがかえって先駆的な彼の構造主義の力と独自性を弱めるものとなった。
 しかし自由主義の2つのタイプ、ル=プレの慣例に従えば『不安定』家族の2つのモデル、もしくは現代の社会学の用語では<核家族型>とされる2つの異なる家族類型が存在することは、演繹と観察によって明らかにすることができる」44-5頁

「フランス革命の原理を悪魔的なものと認識するとともに、その原理を否定する異なる家族構造の存在に気が付いたフレデリック・ル=プレではあったが、政治が社会を創るのでありその逆ではないとする革命哲学の大いなる幻想にやがて屈するのである。彼は改革者たちの意識的な行動が家族構造を変えることができると考えた。彼は民法が遺産を解体し、父の権力を根底からくつがえし、共同体家族と権威主義家族(彼の用語では家長制家族と直系家族)を破壊すると批判した。彼は遺産を分割しない反平等主義的原理の再建を提案した。家族の研究に一生を捧げたこの人物は、家族制度の堅固さを信じなかった。彼は家族が本質的に可塑的なものと考えており、もっとも重要な基礎となる社会学的現象とは認識していなかったのである。
 ル=プレは家族関係上の概念と政治的イデオロギーや宗教的イデオロギーの概念の間に反映的な関係があることを感じていた。しかし暗黙のうちに彼はイデオロギーを現実の現象と見なし、家族をその忠実だが脆いイメージと考えていた」48頁

「忘れられた兄弟
 精神分析的な議論の大きな弱点は、ただひとつの不変的な家族構造しか存在しないという前提に立っているため、唯一の家族構造が一体どのようにして人間の想像力からこれほど異なる特徴をもつ様々なイデオロギーを生み出すことができるのかを説明できないという点にある。…
 フロイトとその継承者たちは、縦の関係——父と息子、父と娘、母と娘——と同じ程度に無意識の領野を定義する兄(弟)たちと姉(妹)たちの関係を特に無視する道を選んだ。なぜだろうか。これは単純に、精神分析の思想が誕生した人類学的な場所であるドイツの家族システムが、兄弟姉妹の連帯という理念に敵対的だったからである。…平等と兄弟の相互扶助の理想が支配的である他の地域—— ロシア、中国、そして殊にイスラムの地——では、対抗性を持つ精神システムを捉えることができずにフロイトの思想は上滑りするのである」49頁

「家族の自動再生産
 イデオロギー・システムとは別に、人類学的システムは自動的に継続する。家族とは定義上、人と価値を再生産するメカニズムである。それぞれの世代は親たちと子供たち、兄と弟、兄(弟)と姉(妹)、姉と妹、夫と妻といった基本的な人間関係を定義する親たちの諸価値を、無意識のうちに深く内在化するのである。この再生産メカニズムま強みは、意識的てな言葉によるいかなる公理化も必要としないという点にある。このメカニズムは自動的にはたらき、論理以前のところで機能するのである。…
 実際には、家族の坩堝のなかで基礎となる価値が形づくられているために、それぞれの世代は思春期がやってくると社会空間のなかで支配的なイデオロギーを強制されたり教育されたりしなくとも再び発明することができるのである。そんな時そのイデオロギーは、当人たちの目には正当であるばかりか、なによりも自然なものと映るのである。
…平等は…経済的観念ではなく、ジャガイモの量と同様に感情領域にも適用可能な直観的な数学的観念なのだ」50-1頁

「トックヴィルの誤謬
…民主化をこの2つの要素——<大衆化>と<個人主義的平等主義>——に分解してみると、前者だけが普遍的なものであることに気づくことができる」53頁

「ル=プレのモデルを元に定義することができる4つの家族類型[絶対核家族、平等主義家族、権威主義家族、共同体家族]のいずれかがヨーロッパの各列強の支配的な類型であり、この大陸の各大国が類型的な可能性のいずれかを体現してきたことは人類学上の偶然によるのである」54頁

「イデオロギーの領野は、どこでも家族システムを知的な形式に転写したものであり、基礎的な人間関係を統御している根本的な価値——例えば、自由、平等、そしてその反対物——を社会的レベルに転換したものである。各家族タイプには、ひとつのイデオロギーだけが対応している。
…定義された家族形態のそれぞれには、イデオロギー・システムはひとつだけ対応し、そのイデオロギー・システムが、世界中で他の家族形態が支配的である地域では確認されていないこと(数学用語では家族タイプの集合が政治的タイプの集合と<1対1対応>していること)…
 補足的な制約条件として、所定の人類学タイプが内包する家族形態の二次的な変種には、対応するイデオロギー・タイプが内包する政治的もしくは宗教的形態の二次的な変種が対応していなければならない」56-7頁

「ル=プレの家族タイプの全てが外婚制規制の緩和によって同じように影響されるわけではない。
 ——共同体家族は、近新婚のタブーが弱まると、<内婚制共同体家族>と<非対称型共同体家族>という2つの新たなタイプを生み出す。
 ——権威主義家族は外婚制規制の緩和によって根本的な変化を受けない。したがって近新婚のタブーが弱まっても『外婚制』権威主義国家と根本的に異なるタイプは産出しない。
 ——絶対核家族と平等主義核家族は、近新婚の禁止の弱まりによって同じ方向への変容を被る。それは無規則的な核家族として定義できる<アノミー家族>というひとつのモデルを生み出す」61頁

「父方イトコ同士の結婚が行なわれている家族システムでは、実際には交叉イトコ同士の結婚もまた非常に頻繁に行なわれている。これはまったく当然のことである。兄弟の連帯とは、兄弟姉妹の集団全体の連帯の一側面に過ぎない。アングロ・サクソンの人類学者だったら、これを中性的な集団として表すシブリングス〔siblings〕という用語を当てることで満足することだろう」62頁

「この家族モデル[交叉イトコ婚]は、外婚制共同体家族と内婚制共同体家族の中間態である。内婚制的志向と外婚制的志向が組み合わさっている。とはいえこれらも、先の2つの家族モデルのように、兄弟と姉妹の連帯というテーマの一変種である。この交叉イトコ同士の選好婚は共同体家族集団にしか呼応しないものである。イデオロギー的なレベルでカースト・システムほ生み出すのはこの家族タイプである」63頁

「理論的に不可能な母方平行イトコ同士の結婚の場合…実のところ、家族の理想が母系原理に統御された拡大集団、つまり兄弟の連帯ではなくむしろ姉妹の連帯によって統括された拡大集団を家族の理想とするような定住農民社会は存在しない。唯一ふたりの姉妹とその伴侶からなる家族集団だけが、母方平行イトコ同士の選好婚を生み出すものとなるはずである。だがそのようなシステムは、近親相姦の禁止という原理よりも実際にはるかに普遍的な男性優位の原理と矛盾するのである。この男性優位の原理はその発現の仕方と強度に差があり、近親相姦の禁止ほどには人類学者たちの注目を集めなかったのである」63-4頁

「核家族と近親相姦の禁止の緩和——アノミー型
 近親相姦への恐怖が和らぐと、核家族は別用に徹底した結果を獲得するようになる。両親と子供たちの分離という理想の上に築かれた核家族は、結婚による血族の分離という原則が緩むと構造体として耐えることができない。
 実は外婚制規制というのは核家族が拠って立つ目に見えない無意識的な土台なのである。ふたりの兄弟の子供たちの結婚を禁止しているのも、彼らの分離の原則を論理的に補足するものなのである。…
…<構造の不在>そのものがひとつの特殊なタイプの構造となったのである。私はこの不規則な核家族モデルを、エミール・デュルケームへの賛辞をこめて<アノミー家族>と呼ぶ。
 このタイプが存在するということは、核家族のヨーロッパ・モデルをよく理解するためにきわめて重要である。ヨーロッパ・モデルの方は人類学的には統御は弱くない。核家族が実現するためには、特に外婚制という明確な人類学的規範が厳格に適用される必要があるのだ」65頁

「アフリカ——家族集団の不安定性
…家族集団の歴史は、ここでは他の地域のようにいくつかの重要な節目——誕生、結婚、他界——に要約できない。無数のアフリカ・モデルのなかでは、人々は子供たちも、女たちも、男たちもひとつの人生のなかで、論理的には家族とは呼ぶことができないいくつもの家族形態を倦むことなく作っては解体する循環のなかにいるのである。基本的な人間関係のこのような流動性の象徴が結婚なのだが、アフリカではその根本的な構造的特徴が夫と妻の絆の脆弱さにある。
…ブラック・アフリカでは一夫多妻は規範であり、統計上しっかりと実現されているひとつの理想なのである。その結果として出現するのが離婚であり、その頻度は世界の他の地域では未知の水準に達している。
…アフリカでは一夫多妻と離婚が規範なのである。…その多くが明確に外婚制であり、近新婚の禁止を遵守している。…
 しかしながらアフリカは<ひとつ>の家族タイプではなく、複数の個人の相互関係の不安定性という新しい基準によって産出される複数のタイプの<総体>なのである。したがって私は不安定なシステムという言い方をすることにしよう。家族という用語は安定した家族グループに取っておくことにする」67-8頁

「内婚制と外婚制の間にある亀裂は、自由と平等に影響を及ぼさずにはおかない。結婚上の選択は、相続の規則、同居の規則と同じ程度に、権威の観念や正義の観念を定義するものである。ル=プレの概念化は、自由と服従、平等と不平等という二重の二分法に依拠している。そこに近親相姦の禁止を考慮に入れれば、もしや単に2つのレベルの自由ではなく、4つのケースを識別することができるようになるとともに、より広いカテゴリーのなかで平等の観念を対称性として捉えることができるのである」69頁

「配偶者の選択プロセスは4つのタイプ(2つではない)の自由(あるいは不自由)を定義しており、それとともに7つの家族が存在するのである。
 この4つのタイプの広がりのなかでは、ル=プレの諸類型は中間的な状態に相当する。BタイプとCタイプの婚姻の選択が、西欧の自由主義と権威主義の教義をイデオロギー的な反映として持つことになる。このように整理することでイングランドとフランスの伝統から引き継いだ自由についての古典的な政治学の定義がもつヨーロッパ中心主義を免れることができるのである」70-1頁

「家族構造は、また言語集団とも一致しない。…明白で検証可能な唯一の一致は家族とイデオロギーのそれであるが、家族とイデオロギーというのはひとつの価値システムの2つの異なる表現レベルにそれぞれ相当するものである。この価値システムが、それぞれ人間関係と社会関係において自由と対称性の理念を定義し、組織しているのである」73・75頁

「共産主義はまず特定の人類学的構造[外婚制共同体家族]によって産出され、次いでその躍進は壁にぶつかり止まった。それ以降の歴史は軍事的なものである。赤軍によって共産主義が外から強制されたところでは、人類学的組成が常に激しく反発し、しばしば奇妙な反応をみせた。いくつもの折衷的な政治形態が出現した。…これらの変異のひとつひとつが共産主義の移植に対する拒絶の現象であり、家族的土壌の性質に応じてその形態は変化したのである。ポーランドでは平等主機的家族、北朝鮮では権威主義家族、アフガニスタンでは内婚制共同体家族、カンボジアではアノミー家族の土壌に移植が行なわれたのである」75-6頁

ここの説明はかなり苦しいように思うなあ

「外婚制共同体家族の特徴
——相続上の規則によって兄弟間の平等が定義されている。
——結婚している息子たちと両親の同居。
——しかしふたりの兄弟の子供同士の結婚はない。」78頁

「共産主義、それは外婚制共同体家族の道徳的性格と調整メカニズムの国家への移譲である、と。外婚制共同体家族が、都市化、識字化、工業化などのいわゆる近代化のプロセスによって解体されながら、その権威主義的で平等主義的な価値を新しい社会に伝えているのである」78頁

「夫婦の年齢的な関係が平等的であるロシアの伝統的な家族は、典型的な共同体家族の姿を見せるとともに核家族の様相をも呈している。構造的に破裂するようにできており、伝統的家族を構成する複数の夫婦を解き放つことになるようにみえる。19世紀から20世紀にかけてツァーリによってはじめられ、次いでソビエトに受け継がれた近代化が実現したものがそれであった」82頁

「外婚制共同体家族はロシアでは完璧に炸裂したが、中国の農村部では部分的にしか瓦解しなかった。ロシアで生まれた共産主義は、ロシアがもつ平凡であると同時に極限的な家族構造の例外的な人類学的緊張によってはじめて発明されたものであった」83頁

「一般的にいって、自殺は、その家族システムの密度が高く、縦型で、両親と子供たちの相互依存を強いる国であればあるほどより頻繁に発生する。ここでは父と息子の関係の潜在的に病理的な性格についてのフロイトの直観が正しかったことを統計によって確認することができる。権威主義家族と外婚制共同体家族が核家族のモデルよりも明らかに不安発生要因をより多く孕んでいる。したがってより高い自己破壊の頻度を生み出している。
 しかし家族関係が縦型であるということが自殺の唯一の要因ではない。夫と妻の関係の平等と安定の度合いは、同じくらい重要なもうひとつの要因である。…自殺の動機における男女の関係の重要さが、なぜ外婚制システムが内婚制システムよりもはっきりと地球規模で高い自殺率を生み出すのかを説明している。…
…最も高い自殺率はその家族システムが、<外婚制で、同時に強い縦型の要素を内包し、男女の平等な関係を有し、高い離婚率>をもつ国々で観察されるのである。…
 言語学的な見せかけにもかかわらず、[自殺率が高い]キューバは共同体家族の国なのだ、という単純な仮説を立てる必要があるのである」87・89頁

若気の至りなのか、けっこう無茶な議論してるなあ

「主要な問題は、家族の理想が具現化されることで、2組または3組の婚姻カップル(核家族集団の場合は1組だけ)からなる目に見える具体的な家族集団の姿が実現されるためには、家族の価値だけではなく、さまざまな状況や物質的な条件が必要となるということなのである。だから稠密で複合的な家族は都市部では、常に農村部よりも少ないのである。しかしそれは決して家族の価値が弱体化していることをア・プリオリに意味しているのではない。都市部では、それらの価値が複数の成人の同居や共同の労働というかたちとは異なるやり方で表現されるのである。家族は単に可視的な組織であることをやめたということに過ぎない。農村の生活に結晶化している家族の価値は、都市では非物質的な心的構造の状態に移行するのである」89-90頁

反証不可能な議論に思えるが…

「権威主義家族の特徴
 ——相続上の規則によって兄弟間の不平等が定義されている——財産の全てを子供たちのうちの1人に相続。
 ——結婚し相続する子供と両親の同居。
 ——ふたりの兄弟の子供同士の結婚は僅少、もしくは無」108頁

「マックス・ウェーバーは、説明することはできなかったが、共同体家族構造と普遍主義的な帝国建設との間に一定の関係が存在することに気がついていた。ローマ、中国、ロシアの親族システムの間の類似性はとりわけ顕著である。この3つのシステムに存在する外婚制共同体家族は、特に強い兄弟愛の感情を基礎としている。この家族構造は、強力な同化能力を持ち、人間同士の間や民族同士の間に差異が存在するということを認めるのを拒む特別な適性を持っている」109-10頁

「権威主義家族が支配的な文化の大部分は、規模の小さい民族である。これは偶然ではない。同化によって拡大するという資質をもたないからだ。ドイツと日本が特筆すべき2つの例外である」111頁

「時間的な軸
 権威主義家族を基礎とした社会システムの主要な安定軸は、時間的なものである。権威主義モデルを実践している民族は共通して強い歴史的な意識をもち、この人類学的な類型の特徴である血族的な理想の自然な反映として線的な時間の鋭い感覚をもっている。権威主義家族は、世代の途切れることのない継承、理論上限りなく続く家族集団の恒久性を組織するのである。それは権威主義家族の目的であり機能である」114頁

「権威主義家族は、<不平等主義的な価値>と<平等な社会実践>を伝達する。
 核家族と共同体家族は、<平等主義的な価値>と<不平等な社会実践>を伝達する。
 人類学的な基底はしたがって、イデオロギー・システムを組織するだけに止まらない。農民社会の現実の経済形態をも形づくり、その一般的な構造——所得や教育において平等主義であれ不平等主義であれ——は、近代社会のなかですら永続するのである」118-9頁

「社会民主主義はどこでも権威主義家族構造と一致している。政治的カトリシズムもいたるところで同じ権威主義の人類学的土壌に、第二次世界大戦のかなり以前から花咲いている」122頁

「権威主義家族は、13世紀にはカトリック地域ではもっとも一般的な人類学類型であった。全体の人口規模のなかで権威主義家族は45%を占めていたのに対して、平等主義核家族は40%、絶対核家族は10%、外婚制共同体家族は10%であった。時間を経るとともに、カトリシズムは、個人主義的分派や共同体的な分派を切り捨てることで、当初持っていた傾向を純粋化していったのである」140頁

足すと100を超えてしまうが…😅

「人類学的な分析は、マックス・ウェーバーの概念化とは一致しない。というのも、ウェーバーは宗教的なカテゴリーを固定したものと考え、カトリックとプロテスタントの諸概念がそれぞれ統一的な性格を形成していると信じているからである」141頁

「非常に高い結婚年齢は、共同体家族では許容できない。規模の大きい複合家族が形成されるためには、世代の間隔が小さいか中位であることが前提となるため、晩婚は論理的にそれを不可能にするのである。共同体家族の理念的な形態は、両親の存命中に少なくともふたりの兄弟が結婚することであり、比較的速やかな世代の交代が前提となる。
 その縦型の理念的形態からすれば、権威主義家族はひとりの息子もしくはひとりの娘の結婚だけを前提とするのである。したがって世代間の年齢の隔たりが大きくなっても許容されるのである。しかしその組織は、核家族のそれとは反対に、非常に低年齢での結婚も許容できる。その場合、若夫婦は成人である両親の管理と保護のもとに留まるのである。したがって権威主義家族は実際には、あらゆる結婚年齢と呼応するのである。
 現存する資料をみれば、実際に権威主義家族が他の人類学モデルよりも幅広い年齢層に対応していることが分かる」142頁

「ヨーロッパの一定の地域がカトリシズムに愛着をもつのは、晩婚という地域モデルが先に存在していたからではないかと問うこともできる。…家族的に権威主義地域が少なくとも強力な少数派として存在するヨーロッパ諸国での相関係数は、カトリック右翼と晩婚の関係が生み出す力の存在にはともかく疑う余地がないことを示している」144頁

「政治上のシステムを生み出すのは人類学的な条件であり、逆ではない。神学は結婚年齢を決定しない。それぞれの家族システムが自らの教義を選び、凍結し、イデオロギーに変容するのである。家族の無意識的な価値が、聖職や世俗の知識人たちによって創り上げられる教義がイデオロギーとして凝結するために必要な精神的な厳格さと大衆的な基盤を提供しているのである」148頁

「人類学的な価値システム——自由、平等そしてそれらの反対物——は、時代によって変化し、副次的な文化的要素にすぎない性的行動よりも安定し、深く、強力なものなのである。…
 権威主義家族構造の地域で殊に大きい変動を見せる結婚年齢だが、そのような変動はすべての人類学システムに存在する。それらの異なる構造を組織している諸価値は、それぞれ異なるイデオロギーを定義することになるのである」149頁

「私生児であること、つまり結婚外の子供(フランス語では自然児と呼ばれる)の妊娠は、外婚制メカニズムにとってほとんど避けることのできない相関的な現象である。家族集団の外部に配偶者を探すということは、偶然的な出会いを前提としているとともに、女性の性の管理が或る程度緩くなることを意味している。内婚制システムについての信頼できる数字は存在しないが、いくつかの調査の結果を見る限り、選好婚モデルでは私生児という原理そのものが排除されていることを示唆するものとなっている。イスラム諸国に関する現存するデータによると、私生児の誕生は0%から0.1%の間で揺れるきわめて僅かな割合に止まっている」151頁

フォロー

「インド南部では、兄弟と姉妹の関係が極めて重要であることから、家族システムが母系制の傾向を帯びている。インド北部で頻繁な女性の幼児殺しが、南部のドラヴィダ地域では姿を消すのである」243-4頁

「この亜大陸における言語、儀式、慣習の驚くべき多様性にもかかわらず、ひとつの人類学的な形式がインド全体に共通している。それは核となる家族構造が共同体家族であり、男性集団を外婚制が貫いていることである。2つのヴァリアントがインドの空間を二分しながら、この外婚制共同体家族という一貫した形式を補っているのである。
 北部では、外婚制は父系、母系の両方に及び、結婚の禁止は母方の家族にも適用される。
 南部では、外婚制は部分的であり、母方の親族とのイトコ婚を奨励するシステムと組み合わされている。この非対称的な内婚制のモデルが断ち切られると、インド南部の家族は単純な外婚制共同体家族に変容することになる。…このようなシステムの解体が共産主義の強力な浸透を極めて順調に推し進めたのだ」245-6頁

「アフリカの母系制システムでは、母方のオジは遠くにある理論的な権威にすぎないが、ケララでは伝統的な家族組織は安定したシステムであり、現実に権威が存在している。
 父親否認はケララでかなり広く行なわれる一妻多夫の習慣によって強化されている。『通い夫』〔visiting husband〕は一人ではなく、複数の夫たちが代わる代わる妻の好意に浴する形になっているのだ。このような父親の役割の分散化は、実際の権威を明瞭にオジと母親の側に位置づけることになる。
…地球上でもかなり希少なこの一妻多夫婚は、その他のいくつかの点で異なる数百キロ離れたセイロン島の家族システムにも見られる」249頁

「アノミー家族の特徴
 ——兄弟間の平等は不確定——相続上の平等規則は理論的なもので、実際は柔軟。
 ——結婚している息子たちと両親の同居は理論上拒否されているが、実際上は受け入れられている。
 ——血縁結婚は可能であり、しばしば頻繁に行なわれる。
関連する地域
 ビルマ、<カンボジア>、ラオス、タイ、マレーシア、<インドネシア>、フィリピン、マダガスカル、南アメリカのインディオ文化」256頁

「村落のレベルで行なわれたいくつかの調査によれば、王侯たちの内婚モデルに類似した現象が常に大衆層のなかにも確認できることが示されている。エルマンやランケのようなもっとも信頼できるエジプト学者は、農民と職人からなる古代エジプトでは兄弟と姉妹の結婚はありふれたことであった、と考えている。カンボジアの或る農村で実施された研究では、王侯の家族で許されている異父(母)兄弟と異父(母)姉妹の結婚は、より慎ましい階層である底辺の水稲耕作者たちにも同じく受け入れられていたことが示されている。インカの問題も比較的新しい民族学的な資料に当たれば解決することができる。『南米インディオのハンドブック』によると、現在のアイマラ族(インカ帝国の民族学的構成要素のひとつ)では性の違う双子が頻繁にもしくは一貫して結婚している。この<教科書>の論文の著者は、住民数千人の地区にそのような夫婦を3組確認している」257頁

「ヒーナヤーナ[小乗]仏教に呼応する南のアノミー家族システム…をマハーヤーナ[大乗]仏教圏を形成する北の密度の高い縦型のモデル…から分ける…
…規模が大きく密度の高い家族システムと地理的に一致するマハーヤーナ仏教は、家族の長に解脱の境地に達する可能性を認める。ヒーナヤーナ仏教では、この救済の仏教的な形態が宗教上の達人に限られるものとされている。つまりウェーバーの表現を借りるならば、家族構造から離脱した僧侶に限られるものとされている」259-60頁

「縦型の外婚制で権威主義的共同体家族システムにおける権力は、個人の外部に存在するのではなく人々の頭のなかに存在するのである。ひとびとはその教育システムによって服従に慣らされている。そして外婚制メカニズムが社会全体との接触を強制している。外婚制システムのなかにはひとつの構造化作用が存在している…遠心的な力が個人を家族の外へ押し出し、社会全体が相互に作用することができるメカニズムを生み出しているのである。
 アノミー家族は全く違うものを生み出すことになる。核家族型で一定した規則に拘束されず、教育のやり方が厳格ではないために、構成員たちに規律の原理を習慣づけることがない。したがって社会の裏面で機能するこの構造化作用を生み出すこともない。求心的な派生力に任されたまま外婚的な拘束が働かないために、各個人が出身集団に舞い戻ることになる」262頁

「件の議論[アジア的生産様式論]には背後にある家族構造の分析が欠落していたためにこの権力の2つの類型を区別することができなかったのである。アジア的生産様式の概念は実際には、中国やロシアのように外婚制共同体家族構造に依拠しようが、エジプトやカンボジアのようにアノミー型の人類学モデルに依拠しようが、専制的な様相を呈したすべての権力を一緒くたにしている」263頁

「母系権威の尊重というのはすべての核家族システムに特徴的な傾向であり、アノミー家族はその変調した一形態にすぎない。南アジアの家族システム——ビルマ、タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア——は、相続に関して女性に男性と同じ権利を与えている。人類学の慣例的な用語では、これらのシステムは明瞭に双系制であり、外婚制共同体家族が女性を相続から排除しているベトナムや中国のそれとは反対である。
 南米のインディオ地域や殊にアンデス山脈では、男女の平等的な関係は相続の規則に常に現われてはおらず、しばしば女性を排除していることが確認されている」265頁

「家族の構造と人格の構造
 それぞれの家族構造には、それぞれ呼応する人格的構造が対応している。人格構造というのは、心理社会学的な意味での<基本的な人格>(様態)であり、個人の人格の意味ではない。権威主義家族には権威主義人格が、外婚制共同体家族には共産主義的人格といえるものが対応する。
 アノミー家族は、殊に興味深く分析が難しい平均的な人格を生み出す。…アノミー・システムでは、その環境を構成する人々を認識するのに、平等主義や不平等主義の観念、対称もしくは非対称の原理に基づかない」271頁

「アノミー家族システムのもっとも特徴的なイデオロギー形態を実現しているのは、イスラム教ではなく仏教なのである。
 ヒナヤナ[小乗]仏教がそれである。なぜなら集団的な救済よりは個人の救済を説き、修道のための放浪の徳を説いているからである。ヒナヤナ仏教は、核家族で個人主義的な構造によく適合している。神聖なものの概念が確実ではないこの仏教は——ひとつの神の存在を断言しておらず、しばしば不可知論または無神論と考えられる——父にわずかな権威しか与えない縦型構想の弱い家族構造の産物であることは非常に明確である」272頁

「アフリカ型諸家族システムの一般的な特徴
 ——家族グループの不安定さ。
 ——複数婚」282頁

そんだけかよ😅

「近親婚の禁止においてキリスト教よりも寛大なイスラム教ですら姻戚婚のタブーにおいては十分厳しいのである。イスラムは妻の妹との複数結婚、そして義理の母との結婚を禁止しているのである。数多くの例外を含みながらも、一般的にアフリカは、近親婚を厳しく禁止しながら、姻戚婚についてはその禁止が弱いという逆のモデルを示しているのである」283頁

「父不在の世界?
 アフリカにおける遺産の相続は、それが物であれ女性であれ、ヨーロッパやアジアの定住共同体において実行されている縦系列の相続の論理を取らない。相続は多くの場合、縦系列よりは横系列にそって行なわれる。遺産は父から息子へ受け継がれるよりもむしろ、兄から弟へと受け継がれるのである。この慣習は、アフリカで最も人口の集中した地域であるギニア湾の沿岸地方と内陸部の西アフリカにおいて殊に頻繁に行なわれている。
 横系列にそった相続の仕組みは、イスラム法においても萌芽的なかたちで存在している。コーランによれば、兄弟たちも相続に預かることができるからである。それが西アフリカにおいては支配的な社会的慣習となっており、家族における重要な関係が父と息子の繋がりよりも、むしろ兄弟同士の関係であることを明確に示している。このような横系列の相続システムでは、親の権威に対する姿勢は曖昧で、その権威は弱い。多妻家族の構造は、それぞれ独立した複数の下部家族からなり——それぞれの妻が自分の子供たちとひとつの住居に住んでおり——親の権威を解体するかたちになっている。父親は遍在する存在だが、これは父親がどこにもいないことでもあるのだ。
 この西アフリカの諸家族システムが奴隷売買によりアメリカに移植された」284頁

「西アフリカ家族は母と子の絆が強く父が不在であるという特徴を持っており、いわば家族の中核が分裂した状態を基盤としているのである。
 地球上の人類学・社会システムの大半では、識字化はまず男性に現われる現象である。…この男女の格差は、イスラム教の国々では圧倒的であり、中国型の外婚制共同体型社会においても非常に大きい。核家族型、権威主義型、そしてアノミー家族システムにおいては、この両性間の隔たりは少なくなるが、消滅することはない。
 アフリカ型家族モデルでは状況が逆転して、文化的発展の過程で女性が男性よりも優位に立つのである」285-6頁

「家族は下部構造の役割を果たす。家族とは、定住した人間社会の表現である統計上の大衆の性格とイデオロギー・システムを決定するものである。しかし多様な形態を見ることができる家族それ自体は、いかなる必然性、論理、合理性によっても決定されてはいない。家族はひたすら多様なかたちで存在するのであり、数世紀あるいは数千年にわたって存続するのである。生物学的、社会的な再生産の単位である家族は、その構造を存続させるために歴史や生命からの意味づけを必要とはしないのである。家族は歴史を通して、同様な形態として再生産されるのである。子供たちが家族の面々を無意識のうちに模倣するだけで、人類学上のシステムが継続するには十分なのである。愛情と分裂の場である家族の繋がりを再生産することは、DNAーRNAの遺伝子サイクルのように、意識的な操作も必要としない作業なのである。それは盲目的で、非理性的なメカニズムてあり、まさに無意識的で目に見えないものであるために強力であり、揺るぎないメカニズムなのである。しかもこのメカニズムは、それを取り巻く経済環境、エコロジー状況から全く独立しているのである。家族システムのほとんどの類型が、地形、気候、地質、経済の全く異なるいくつもの地域に同時に存在している」290-1頁

「イデオロギー的にイスラムに対応する内婚制共同体家族だけが、唯一おおよそ気候的にひとつの地域に存在しており、大西洋からアフリカと中近東を経て中央アジアへと広がる乾燥地帯にまたがって確認される。しかしながら、すべての乾燥地帯が内婚制共同体家族と呼応するわけではない」291頁

「いかなる規則、いかなる論理とも関係なく地球上に散らばっているように見える諸家族構造の配置が示す地理的な一貫性の欠如は、それ自体ひとつの重要な結論なのである。この一貫性の欠如は、社会科学によって疑わしいものとして捉えられているが、遺伝学によって次第に認められてきたあるひとつの概念を想起させるものである。つまり偶然という概念を。家族システムとは、情緒的なものであり、理性の産物ではない。それはいくつもの小さな共同体のなかでなされた個人的な選択を経て何世紀も前に偶然に生まれ、次いで部族や民族の人口の増加とともに広がり、単純な慣性力によって維持されたものである。誕生した家族システムのすべてが生き延びるわけではなく、その多くが消滅したのである。…確定できない過去からやって来たこれらの人類学形態の集合は、20世紀に入って近代という理想にいたずらをしたのである。この人類学形態が、近代という理想を捉え、変形させ、各地域の潜在的な価値体系にそって畳み込んだのである」292頁

「遺伝学」や「選択」を吉川浩満的に誤解していると思ふ。また、種は「慣性力」により「維持」されるものではないし😅

「20世紀の歴史を決定したイデオロギー分布の源には、家族の存在があったのである。しかし地球におけるイデオロギーの歴史とは、人類学的な条件を基底にしながらも、偶然が介入することによって生まれた目的を持たない運動なのである」292頁

「<1970-1980年頃の女性の結婚年齢と識字率の相関係数は非常に高く、プラス0.82である。世界で人々が読み書きができる地域というのは、女性があまり早く結婚しない地域であり、成長期間が長い地域である>」311頁

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