エピステーメー/現代思想/GS〜インターコミュニケーション/批評空間などと整理すると見落としてしまうものには、「洋泉社や河出が出していた、アートやカルチャーを扱うムック」があるように思っている。谷川渥や若桑みどりはこの媒体のスターだった。
議論内容はいま触れるなら学知を全部上書き必須だが(西洋美術中心すぎとかポピュラーカルチャー欠如しすぎとか)、こういうムックは現在なくなっていて、欠落ごと不可視になっている。
(それらムックの例)
https://jp.mercari.com/item/m59192078784?utm_source=ios&utm_medium=share&source_location=share https://jp.mercari.com/item/m65076410699
日本は人口ボーナス期かつ20世紀後半の繁栄期に、人文系の学術を論文ではなく幅広い商業出版物で実現したが、今はその基盤ごと崩壊過程にある。この成果は、反国家主義マインドがゆるく共有され、また社会主義圧政に対する消費の勝利でもあった。
しかしそのモードごと90年代から00年代にかけて狭義の新自由主義になだれ込んだと言えて、「そう名乗っていないだけ・認知されてないだけ」のエリアが多いと思われる。批評空間初期とか幻冬舎とか。
Ghost Letters 02の対談でもけっこう掘り下げたけど、女性作家がゆるく男性客を狙う/男性作家がゆるく女性客を狙う トライアルは全体的に増加傾向にあり、異世界もふもふカフェもあわよくばそれを狙ってるように思う。
男性・女性を逆にすると、『野生のJK柏野由紀子は、異世界で酒場を開く』が異世界居酒屋のぶをJKがやるバージョン。原作者は『八男ってそれはないでしょう!』の人なので、男性作家にしてはアク抜きできてる方に思う。
さっき『異世界もふもふカフェ』読み終わった(作者の他の書籍化作品には『悪役令嬢は隣国の王太子に溺愛される』『悪役令嬢ルートがないなんて、誰が言ったの?』『回復職の悪役令嬢』など)。
出だしは異世界放浪メシと同じでツンデレイケオジのフェンリルが仲間になるところからスタートし、そのあとはウサギやケルベロス、猫、クマ、リス、などと展開し完結。猫カフェ要素を足したのが差分になってて、ランキングとは別の価値づけをテイマーとして果たすのだ〜みたいな主題を少し出している。
https://comic-walker.com/detail/KC_004443_S?episodeType=first
なるほど。記事読むかなーとなった(宮崎智之「エッセイを批評する」、『すばる』2025年1月号掲載)。
“「エッセイを批評する」勉強になった。近ごろのエッセイ漫画がすっかりそうなったように、(棚分類としての)エッセイは(記名による単独記事としての)批評文が書かれづらい状況にあるものの、書き手が暗に想定する潜在読者の「視線の内面化」は、ちょっと怖いくらいの勢いで進んでいると思った。”
視線内面化って、なろうの感想欄を作者が意識するとか、自由を得るために感想欄を封鎖するやつのバリエーションで把握できそう。
60-70年代に成立した八百屋と個人経営スーパーこれだなー。私が小学校時代にジャンプ買ってたのはこういう店だった。
80-90年代の店舗デザインやローカルチェーン形成で潰れていった形態だ。
“日本の駄菓子屋の役割を、韓国では「学校前の文房具屋」が兼ねていた。実は、昔はここが日本文化の前哨基地一つだった。
各種海賊版の漫画からキャラグッズ、おまけにミニゲーセンの役割まで文房具屋の役割は幅広かった。今ではほとんど見られなくなりました…。”
https://x.com/drjpstudies/status/1870286704135024753?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
あまり書き物ができてない。