戒厳令宣布直前にユンソギョルから、主要政治家を逮捕するとか色々指示された国情院(大統領直属の情報機関)の人、その後何もせず退勤したんだって😂 電話で指示を聞いてる途中で「こいつイカレポンチやな」と思ってメモを取るのもやめたって。被雇用者の鑑だな〜
数日前の韓国の戒厳令のニュース、やはりわけが分からないな。「殿、御乱心」の類として片付けても良いのだが、それなりの「根回し」はあったはずで、「勝算あり」と思った根拠がよく分からないのだ。実は僕は1979年から82年までソウルに住んでいたので(父が某銀行のソウル支店長だった)経験済みだが(って笑えないよな)。あの時は子供だったから状況が分からなかったが、日本人会の連絡網で「窓から顔を出すな(憲兵とかに踏み込まれるから?)」というのが来たのは覚えている。
子供たちにとっては「数日間学校が休みで家に閉じ込められた」以上の意味はなかったが、今にして思えば、親たちはヒヤヒヤものだっただろうな。僕の同級生の菊池君(実名)のお父さんは読売新聞の記者で、後に『板門店』(中公新書、1987)というのを書いています。
あの時、怒られると怖いので窓から顔は出さなかったが、外の様子を見たら、全く車が走っておらず、不気味な沈黙が続いていたのは覚えている。動いているのは、MPのジープだけだったと記憶している(僕が住んでいたのは米軍基地裏の外人居住区の二村洞だったが、緊迫した雰囲気は子供心にも分かった)。
ガチのファシスト国家やなしかしほんまに
集落の全員が親族で、1948年のイスラエル建国前から住んでいた
という一文が印象的
(世界発)ベドウィンの家、強制破壊 極右台頭のイスラエル、解体数最多に
https://www.asahi.com/articles/DA3S16099592.html
粉々になったテーブルや椅子が辺り一面に散乱していた。ソファやトイレの便器、家の外壁や天井。全てが破壊されている。「この家で育ち、結婚し、3人の子どもが生まれた。全ての幸せな思い出が詰まっている。それが一瞬にして崩壊した」。ワリード・ハキームさん(50)は肩を落とした。
南部ラハト近郊の集落にある自宅にイスラエル当局が来たのは、5月のことだった。「今から家を取り壊す」。そう言い渡され、30世帯全ての家がブルドーザーで破壊された。
ハキームさんによると、集落の全員が親族で、1948年のイスラエル建国前から住んでいた。だが、政府は今年3月、集落の住居が「違法建築」だと主張し、全世帯に別の集落に移るよう要求。立ち退きに従わない場合は家を取り壊すと通知し、2カ月後に強制執行された。ハキームさんは移動を拒み、他の住民と近くにテントを張って暮らす。
イスラエルは「ユダヤ人国家」を自称するが、アラブ系住民も人口の2割を占める。男女とも徴兵制を敷くなかで、アラブ系は兵役を免除されている。だが、ハキームさんは志願して、4年間イスラエル軍で勤務した。
「特別に愛国心が強いわけではないが、国には尽くした。政府に家を壊されるとは思わなかった。私の土地はここだ。絶対に動かない」
ハン・ガンの「少年が来る」を読んだ。光州事件で市民の側にいた、中学生から大学生ぐらいまでの若い人たちの姿がそれぞれの目や家族の目で語られる形式で、登場人物はそれぞれの語りに互いに登場することで交錯する。国家暴力にただただ撃たれ、殴られ、踏み潰されて死んでゆく、あるいは拷問の末に何年もたってから自死する若い人たちの姿がそこでは描かれるのであるが、その描かれ方は決して暴力的ではない。そして詠歌のように描かれる事件の数日間は、その前の日常とその後の決して終わらない記憶のなかにしっかりと配置される。スベトラナ・アレクエシェビッチの「戦争は女の顔をしていない」の描く戦争が暴力的な状況の中での暴力的ではない詳細とそれぞれの人生を語ることでその陰惨さが影絵のように浮き彫りになるのとどこか似ていると感じた。アレクエシェビッチのように、「なにがあったか」ということに、歴史家的ではなく、そこにいた一人ひとりの人間にこだわりつづけるところもよく似ている。
馴染みの定食屋で夕飯。ママに「先生の大学は今日、ハロウィンの仮装して来た学生さん、いるんですか?」と訊かれたが、「そういうノリを避けて地味な弊学(小さめの公立大学)を選んできた子ばかりなので、いなかったですね」と答える。オープンキャンパスでも同志社や立命館ではやっていけそうにないからここを目指しているんですが、とよく相談される。
だから、オープンキャンパスの時、遠くから来られた方には「お時間があるなら、雰囲気だけでも確かめるために同志社や立命館に立ち寄ってみては?」と提案している。「敵に塩を送る」のではなく、「客層が違う」と思っているので。それで自分に合う方を決めてくださればと思う。
あと、大学のイメージについてですが、学生がそういう大学のアイデンティティを率先して構築して差別化を図っている、という方が正確でしょうね(地味な公立対派手な大手私学)。偏差値では似通っていても、志向性が違うというか。僕だって学生時代、たまに慶應や学習院に行った時に気後れして「早くダサいチェックシャツの国(母校)に戻りたい」とか思ってましたし(笑)。個人的にはハロウィンくらい、多少ハメを外してくれても結構ですが(タガが外れてはまずいが)。
駅の階段で足を踏み外して骨折って、松葉杖生活をしばらくしてた(今は杖なしで大丈夫。階段の昇り降りはまだ医師から許可出てないけど)。
その間、バス、鉄道の優先席の仕組みに、本当に助けられた。鉄道だと、車両の端の6席が優先席に割り当てられていることが多いのだけど、6人座っていたら、大抵の場合、誰か1人は譲ってくれて、これを勝手に1/6の法則と心の中で呼んでいた。
もちろん、一度座ったら絶対に目を開けない勢とか、スマホに集中勢とかもそれなりにいるのだけど、それでも、1/6の人が意義を理解して、実践してくれていると、優先席という仕組みは機能する、というのを実感。譲ってくださった皆さんには、ただ感謝するばかり。
そこから類推して、100%全員、というのは難しくても、1/6が理解してくれている、というのを目指す、というのは、割と現実的な目標なのかもしれない、と思ったり。それで、割と世の中良くなったりするのかもしれない。
9月26日、# マイナ保険証&# マイナカード本人認証について厚労省・総務省にヒアリングを行った。
まず、ヒヤリングの前に「マイナカードの取得は義務ではなくあくまで任意であること」を確認。
総務省は、マイナカードが本人認証の唯一の手段となりつつある現状についての質問にマイナカードや運転免許証を持たない人について、「非電子的な確認方法」として「住民票の写し」をあげた。
この回答を受けて、携帯の新規契約や機種変の際、マイナカードしか認めないことに総務省と
して指導するよう要請。
厚労省へのヒヤリングで健康保険証の交付義務を削除する省令改正がパブリックコメントの結果が公表された8月30日に行われたことが判明しました。
わたしたちはいつ出るのだろうと待っていたが公表することなくすでに改正されていた。
これで12月1日で健康保険証は廃止される。
パブコメは省令改正のための手続き上やっただけで、出された
意見は大半が反対であるにもかかわらず、まったく考慮する
ことなく、マイナカードを持たない人には「資格確認書」が
発行されるから問題ないとの態度に終始。
保険証存続の声をさらに大きくあげよう
2世元信者の1人として、これまで見聞きした自民党と #統一教会( #家庭連合 ) の関係について書いてみました
私には「当たり前中の当たり前」であることが、実は戦後日本社会と私たちの暮らしの根幹に関わる重大問題だった。
あの事件を受け、初めてそのことに気づきました
https://insaem.jp/1852/240922/
与党政治家の「まったく当たらない」「丁寧に説明していく」に対して、記者が「ハイそうですか」と引き下がるのが本当に腹立たしい。「『まったく当たらない』と言えるのはなぜですか」とか「具体的にはどの内容について『丁寧に説明』すべきとお考えですか」ぐらい言えよ。「簡単」な質問だろう。
それから、「これから『も』丁寧に説明して参ります」という発言については、「今までも丁寧に説明してこられたとのことですが、何についてどのように丁寧に説明してこられたのですか」などと嫌味のひとつでも言え、と思う。
10年ほど前は、「報道機関も圧力をかけられて大変そうだな」などとぬるい同情を寄せていたりもしたのだが、その後の報道機関の(一部例外はあれど)権力との馴れ合いや、それがもたらした惨状を見るにつけ、当時の自分のぬるい同情が滑稽に思えてくる。自分が甘かった。
今日はUplink京都で「香港、裏切られた約束」を見た。2019年の香港のデモがどんどん大きくなり、当局の弾圧も過酷化していく様を2時間ほど見ることになり、結構精神的にきつい。終わった後は監督と駒込武さんのトークショー。それが終わった後はパンフレットに監督のサインをもらった。
まず、感想としては「俺は2019年のことも忘れかけていたのか」という自分の「健忘症」と、「独裁政権の生の暴力装置」たる警察(及び買収されたヤクザ)の非道さへの恐怖と怒り、に集約されるか。「民意」を気にしない政権はどこも似たようなもの。最初は平和的なデモを志向していたが、あまりにも警察の暴力が酷いので「殴られっぱなしでは事態は動かない」と判断したグループがどんどん過激になっていく過程もこの映画は追っている。最終的には大量の逮捕者と亡命者(監督もその一人)を生み出すことになる。
アフタートークで駒込武さんがおっしゃっていたが、「ガザのジェノサイドにドイツが文句を言えないという構造は、中国の香港政策に苦言を言えない日本と相似形。反対表明するのは少数派」というのに頷きつつ、僕は沖縄での基地反対グループに対する「暴力」を思い起こしていた。
ということで、僕同様、5年前のことを忘れかけている人は、もう一度思い出すために、この映画をおすすめ。
ゾンビのように、レポート・卒論代行業者って現れやがる。すげえな、「これを使って大学生活を豊かなものにしてくれ」だとさ。
この手のクズはいつまで経っても消えないねえ。ズルなのはもちろんだが、業務妨害だよ、はっきり言って。我々教員に余計な負担を掛けさせかねないんだから。幸い勤務校は、それほど利用するような奴はいなさそうだが。
川瀬貴也。大学教員。宗教学者。専門は日韓近現代宗教史。宗教学、思想史、近代文化史、社会学の周辺をぐるぐるしているつもりです。発言は個人の見解であり、所属とは無関係です。