数日前の韓国の戒厳令のニュース、やはりわけが分からないな。「殿、御乱心」の類として片付けても良いのだが、それなりの「根回し」はあったはずで、「勝算あり」と思った根拠がよく分からないのだ。実は僕は1979年から82年までソウルに住んでいたので(父が某銀行のソウル支店長だった)経験済みだが(って笑えないよな)。あの時は子供だったから状況が分からなかったが、日本人会の連絡網で「窓から顔を出すな(憲兵とかに踏み込まれるから?)」というのが来たのは覚えている。
子供たちにとっては「数日間学校が休みで家に閉じ込められた」以上の意味はなかったが、今にして思えば、親たちはヒヤヒヤものだっただろうな。僕の同級生の菊池君(実名)のお父さんは読売新聞の記者で、後に『板門店』(中公新書、1987)というのを書いています。
あの時、怒られると怖いので窓から顔は出さなかったが、外の様子を見たら、全く車が走っておらず、不気味な沈黙が続いていたのは覚えている。動いているのは、MPのジープだけだったと記憶している(僕が住んでいたのは米軍基地裏の外人居住区の二村洞だったが、緊迫した雰囲気は子供心にも分かった)。