「非常に高い結婚年齢は、共同体家族では許容できない。規模の大きい複合家族が形成されるためには、世代の間隔が小さいか中位であることが前提となるため、晩婚は論理的にそれを不可能にするのである。共同体家族の理念的な形態は、両親の存命中に少なくともふたりの兄弟が結婚することであり、比較的速やかな世代の交代が前提となる。
その縦型の理念的形態からすれば、権威主義家族はひとりの息子もしくはひとりの娘の結婚だけを前提とするのである。したがって世代間の年齢の隔たりが大きくなっても許容されるのである。しかしその組織は、核家族のそれとは反対に、非常に低年齢での結婚も許容できる。その場合、若夫婦は成人である両親の管理と保護のもとに留まるのである。したがって権威主義家族は実際には、あらゆる結婚年齢と呼応するのである。
現存する資料をみれば、実際に権威主義家族が他の人類学モデルよりも幅広い年齢層に対応していることが分かる」142頁
「平等主義的な核家族構造の地域に位置する首都や大都市は、しばしば共産主義の実体ある定着の場となっている。1921年からのパリがその例であり、今日ではアテネがそれに当たる。しかし根無し草化の影響であるこのような政治的な地理分布は、過渡的なものである。…都市化のプロセスがいったん完了すると、住民の安定化に伴なって共産主義的な受け入れの構造が必要なくなるのである。パリの場合、この増加したあと減少するという動きが自殺と共産主義の動きにおいて平行したものとなっているのである。これらの動きは1世代の間隔をおいて反復されている。自殺は1945年から減少し、フランス共産党は1978年から崩れはじめたのだ」167-8頁
「フェミニズムとマチズム
兄弟間の非対称性原理は男と女の関係に影響を及ぼし、絶対核家族モデルと平等主義核家族モデルでは関係のタイプが異なることになる。
核家族はその2つの変種ともに、双系制システムに属しており、父系親族と母系親族に同等の価値を付与するものとなっている。…逆説的なことに、対称性に関心を持たない絶対核家族の方が、『平等主義』家族よりも両性間の平等をより深く実践しているのである。兄弟間の対称性原理は、男性の連帯をア・プリオリに前提とするものなのだ。それがすべての社会で自然なものとなっている両性間の不平等をさらに強化するのである。
絶対核家族は反対に、兄弟の平等や男性の連帯を意に介さないのである。それは夫婦の絆をもっとも徹底した——平等主義的な——帰結にまで発展させることで、アングロ・サクソン諸国の人類学システムを地球上に現存するもっとも女性主義的なシステムにしている。
絶対核家族は、内部に矛盾を孕まない安定した構造である。平等主義核家族は、<夫婦の連帯>の原理と<両性の不平等>の原理との間の矛盾を抱えている。この家族構造は、双系制の核家族システムのなかで男性の優位を肯定するラテン諸国のマチズムに至りつく」178-9頁
「イブン・ハルドゥーンは血族と国家を区別しない。イブン=ハルドゥーンは政治権力の強さは、一定の時代に4世紀以上は続くことがないある血族の活力に基づいていると考えている。彼にとっては、血縁の概念は衰退という概念を含んでいる。『ひとつの家族の威光は4世代で絶える』、息子は『父に値しない』。ここに政治的なイスラムの歴史を作り出す王朝の繁栄と衰退が由来する。
国家の弱さはイスラム世界を政治的な分裂へと導く。イスラム世界は、ローマ、中国あるいはロシアのような帝国として存在することができなかった。…兄弟の連帯という観念は、世界の他のどの文化よりも統一への熱望と分裂の能力を併せもっているイスラム文化の根本的な矛盾を理解させてくれる。
…イデオロギーのレベルではなく家族のレベルでは、内婚制的な閉鎖性を生み出し、イスラム社会が個人からなる共同体ではなく、家族が並立することで成り立っているという様相を醸し出す。イスラム教徒共同体(ウンマ umma)の構造がそれであり、家族ではなく個人の集合である国民というヨーロッパ的な観念と対立する」220頁
「血縁結婚の内分けの変化…都市化プロセスが親族システムに<母系的な偏向>を引き起こしている。内婚制モデルが維持されながらも、変容が起こり、都市層での妻と母の重要性の増大を示すようになる。イスラムの地においてさえ、近代化のプロセスは、女性の権力の増大を引き起こしているのである。そこからイスラム教徒でありイラン人である男性たちの不安が生まれたのである。彼らがホメイニとともにすすめた闘いは、幾分はシャーに対抗するものであったが、しかし多くはチャドール(女性のスカーフ)のため、つまりはシャーが薦めた女性解放に反対するものであった」227頁
一種のバックラッシュか…今のイラン情勢を見るに含蓄深い分析だなあ
「この亜大陸における言語、儀式、慣習の驚くべき多様性にもかかわらず、ひとつの人類学的な形式がインド全体に共通している。それは核となる家族構造が共同体家族であり、男性集団を外婚制が貫いていることである。2つのヴァリアントがインドの空間を二分しながら、この外婚制共同体家族という一貫した形式を補っているのである。
北部では、外婚制は父系、母系の両方に及び、結婚の禁止は母方の家族にも適用される。
南部では、外婚制は部分的であり、母方の親族とのイトコ婚を奨励するシステムと組み合わされている。この非対称的な内婚制のモデルが断ち切られると、インド南部の家族は単純な外婚制共同体家族に変容することになる。…このようなシステムの解体が共産主義の強力な浸透を極めて順調に推し進めたのだ」245-6頁
「村落のレベルで行なわれたいくつかの調査によれば、王侯たちの内婚モデルに類似した現象が常に大衆層のなかにも確認できることが示されている。エルマンやランケのようなもっとも信頼できるエジプト学者は、農民と職人からなる古代エジプトでは兄弟と姉妹の結婚はありふれたことであった、と考えている。カンボジアの或る農村で実施された研究では、王侯の家族で許されている異父(母)兄弟と異父(母)姉妹の結婚は、より慎ましい階層である底辺の水稲耕作者たちにも同じく受け入れられていたことが示されている。インカの問題も比較的新しい民族学的な資料に当たれば解決することができる。『南米インディオのハンドブック』によると、現在のアイマラ族(インカ帝国の民族学的構成要素のひとつ)では性の違う双子が頻繁にもしくは一貫して結婚している。この<教科書>の論文の著者は、住民数千人の地区にそのような夫婦を3組確認している」257頁
「縦型の外婚制で権威主義的共同体家族システムにおける権力は、個人の外部に存在するのではなく人々の頭のなかに存在するのである。ひとびとはその教育システムによって服従に慣らされている。そして外婚制メカニズムが社会全体との接触を強制している。外婚制システムのなかにはひとつの構造化作用が存在している…遠心的な力が個人を家族の外へ押し出し、社会全体が相互に作用することができるメカニズムを生み出しているのである。
アノミー家族は全く違うものを生み出すことになる。核家族型で一定した規則に拘束されず、教育のやり方が厳格ではないために、構成員たちに規律の原理を習慣づけることがない。したがって社会の裏面で機能するこの構造化作用を生み出すこともない。求心的な派生力に任されたまま外婚的な拘束が働かないために、各個人が出身集団に舞い戻ることになる」262頁
「このどちらのタイプ[絶対核家族と平等主義核家族]においても両親および母親の権威が、権威主義家族に特徴的に見られる非常に高い水準まで達することはない。いずれも縦型の双系制タイプが示すような強い教育上の力量を発揮することは望めない。核家族型は識字化の発達の中心ではなく、むしろ伝播を受容する地域を形成する」357頁
「人間による生成という『歴史』概念の起源そのものに、権威主義家族構造のなかでももっとも堅固で永続性のある構造をもつだろうユダヤ民族の権威主義家族構造が関与していたことは驚嘆に価する。…
聖書の権威主義家族は、世代から世代へと受け継がれる相続と血縁の持続を描いている。それは父・息子・孫と続く相続を通して体現される時間の線的な概念を造り出し、繰り返し産出するのである。数学的な意味で連続し、方向性をもっているこの最初の時間概念は、したがって家族と血縁の巨大な系譜の形態を可能とするものである。
家族の歴史として具現化されたこのような歴史の動きのイメージは、16世紀に自らの似姿をこのような聖書に見つけ、それを我が物としたヨーロッパ北部のプロテスタンティズムによって再発見された。プロテスタンティズムへと改宗した大部分の国々は、権威主義家族の伝統をもち、その一般形態はユダヤ的な家族形態に非常に似ているのである。大きな違いは、ヨーロッパ北部が、ユダヤ的伝統では大いに許されているイトコ同士の結婚に対して、はるかに敵対的であるということである」365頁
「潜在的な母系制
世代間の関係が権威主義的で兄弟の関係が平等主義的であるロシア家族システムは、共同体家族である同類の中国、インド北部、トスカーナ地方のそれのように厳格な反女性主義である。男性同士の平等と連帯には、一般的に女性の地位が低下するという傾向がみられる。権威主義的で反女性主義的であるこの家族モデルは、成長に適したいくつかの人類学的要素のうちのひとつしか持たないことになる。つまり成長プロセスの長期化に適した親と子供の権威主義的な関係である。
ところが兄弟間の平等と両性間の不平等が組み合わさった理論的システムに比べて、母系制の顕著な偏向を示しているロシア家族にはこのような傾向は必ずしも見当たらない。このシステムは、父系制・縦型システムとしては、女性の地位が異常に高いのである」378頁
「あまりに長い期間、人類学は、家族構造という真の基本的形式の分析をないがしろにしながら、親族システムの分類に没頭してきた。…
エヴァンス=プリチャードが提案したこの[家族関係と系譜学的関係の]重要な区別は…(各個人間の)家族システムの分析を(イデオロギー的)な親族システムと区別することを可能にするものである。この区別の重要性が認められるのが遅きに失したために、人類学は最近まで、イデオロギー・システムとしての親族関係の分析を特権化してきた。…19世紀にすでに、フレデリック・ル=プレイがヨーロッパについて提案した類型学に匹敵するようなアフリカの家族集団についての整合性のある類型学はいまだに存在しないのである」431-2頁
いわゆるeticとemicの区別に相当するのかな?
「抑圧された母系的傾向
一夫多妻制がアフリカの家族に、分裂していると同時にしっかり接合している構造を付与している。妻たちはそれぞれ自分の家屋に子供たちと生活し、その妻たちの家屋の総体がひとつの『所帯』を形成するのである。夫であり父である男性はその間を往き来するためその存在は、支配的であっても不安定であり、中心的ではあるが同時に周縁的でもある存在なのだ。このシステムの逆説は、<女性に下位的ではあるが同時に独立した立場>を提供するということだ。妻たちはそれぞれ自分の夫がもつ複数の妻の一人にすぎないが、自分の家屋では主人であり子供たちの責任者でもある。反対に男性の立場は、優遇されていると同時に周縁的なものとなっている。男性は複数のグループからなる大きな集団の名誉ある首長ではあるが、実のところ女性たちの家屋という小区分からなる構造的に分裂した抽象的な実体にすぎない所帯のなかの生活を具体的に統御することはできない。当面のところ一夫多妻制の唯一の特徴として理解されているこのような構造が、母系原理と父系原理の対立を伴っているということは直ぐに見て取れる」434-5頁→
(承前)「子供の方は、一夫多妻制のメカニズムによって複数の女性と子供たちのグループに分散してしまっているため、過大な評価が寄せられてはいるが遠い存在である父に属していると同時に、下位的立場にありながらも実際には夫から自由で身近な存在である母にも属しているのである。…父系制と類別されているすべての一夫多妻システムは、深い心理的な水準では、抑圧された母系的傾向をもっていると考えるべきなのである。また母系制と類別されているすべての一夫多妻システムは、深い心理学的な水準では、抑圧された父系的傾向をもっていると考えるべきなのである。アフリカの家族システムの中心的な特徴は、一夫多妻制であるために、両義的なのである。一夫多妻制であるがゆえに、すべてのシステムが心理的には<両義系統的>なのだ」435頁
「アフリカの専門家たちによって通常使われる父系制、母系制の概念は、通常、財産の相続の問題(経済的基準)、もしくは社会生活においてそれぞれ父方親族、母方親族が果たす重要性(イデオロギー的基準)に着目した定義に呼応したものになっている。この本で採用した最終的な定義は、父ー子、母ー子の関係の心理的な面での相対的重要性(家族ないの個人間の関係という基準)を評価しようとするもので、より深層のレベルである心理的レベルに呼応するものである。この意味で、アフリカの家族システムは、いくつかの例外を除いて、財産の相続において父系制、母系制のいずれに位置づけられていようが、<普遍的に両義系統的[ambilinéaristique]>であると考えられるのである。
…『父系制』、『母系制』という語の正確な意味を定義するためには、基底的な心理的態度の総体を条件づけるものである家族という集団の全体的な構造から出発する必要があるのである」436頁
「大衆の識字率と社会的な変容の間に論理的で経験的な関連性を見出すことは容易である。政治的な諸革命は、一般的にいって近代的なイデオロギーにおいて不可欠な要素である読み書きの能力を<男性たち>が獲得した直後に起こっている。人口学的な革命については、とりわけ<女性たち>が識字化されることによって条件づけられているように思われる。これらは当然のずれである。なぜならすべての社会において、私的な文脈であれ、公的な文脈であれ、男性たちは暴力を独占しており、女性たちは子供の出産の実際の管理を行なっているからだ。一般的に、男たちが女たちよりも早く読み書きを習得することによって——アフリカの一夫多妻制の社会における母系的な偏向のケースを除いて——政治革命がわずかながら人口学的な革命、とりわけ出生率の低下に先行することになるというのも当然のことである」444・446頁
「ローレンス・ストーンは、イギリス、フランス、ロシアでの3つの革命の極めて重要な共通点を発見した。それはこれらの政治的、イデオロギー的な騒乱の直前に、男性の識字率が50%に達したところであったということである。これは根本的な発見であり、このことによって革命という現象と近代化の達成とを厳密に関係づけることができるとともに、同時にまだ実証されていない労働者階級の役割についての古い仮説を回避することができ、これら3つの革命の場合にそれぞれイデオロギー的内容が異なるという問題を避けることができるのである。これらの例では、大衆の識字化は争乱への道を開き、それぞれの場所での固有の内容を盛り込んだ大衆のイデオロギー的な活性化を可能にしたのだった」449頁
↑ L. Stone (1969) “Literacy and Education in England, 1640-1900,” Past and Present.
「18世紀に確認できるスコットランド(権威主義家族構造)とイングランド(絶対核家族)の発達の違いは重要である。それは自然環境から独立して機能する人類学要因の重要さを示すものとなっている。イングランド・システムは、スコットランドやドイツ・モデルほどの活性力はもっていないとしても、教育的な有効性ではヨーロッパ第2位の水準を示しており悪いものではない。このことは、ヨーロッパの近代化において中心的ではないが重要な要素である産業革命を説明するものなのである」358頁