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「父方イトコ同士の結婚が行なわれている家族システムでは、実際には交叉イトコ同士の結婚もまた非常に頻繁に行なわれている。これはまったく当然のことである。兄弟の連帯とは、兄弟姉妹の集団全体の連帯の一側面に過ぎない。アングロ・サクソンの人類学者だったら、これを中性的な集団として表すシブリングス〔siblings〕という用語を当てることで満足することだろう」62頁

「この家族モデル[交叉イトコ婚]は、外婚制共同体家族と内婚制共同体家族の中間態である。内婚制的志向と外婚制的志向が組み合わさっている。とはいえこれらも、先の2つの家族モデルのように、兄弟と姉妹の連帯というテーマの一変種である。この交叉イトコ同士の選好婚は共同体家族集団にしか呼応しないものである。イデオロギー的なレベルでカースト・システムほ生み出すのはこの家族タイプである」63頁

「理論的に不可能な母方平行イトコ同士の結婚の場合…実のところ、家族の理想が母系原理に統御された拡大集団、つまり兄弟の連帯ではなくむしろ姉妹の連帯によって統括された拡大集団を家族の理想とするような定住農民社会は存在しない。唯一ふたりの姉妹とその伴侶からなる家族集団だけが、母方平行イトコ同士の選好婚を生み出すものとなるはずである。だがそのようなシステムは、近親相姦の禁止という原理よりも実際にはるかに普遍的な男性優位の原理と矛盾するのである。この男性優位の原理はその発現の仕方と強度に差があり、近親相姦の禁止ほどには人類学者たちの注目を集めなかったのである」63-4頁

「核家族と近親相姦の禁止の緩和——アノミー型
 近親相姦への恐怖が和らぐと、核家族は別用に徹底した結果を獲得するようになる。両親と子供たちの分離という理想の上に築かれた核家族は、結婚による血族の分離という原則が緩むと構造体として耐えることができない。
 実は外婚制規制というのは核家族が拠って立つ目に見えない無意識的な土台なのである。ふたりの兄弟の子供たちの結婚を禁止しているのも、彼らの分離の原則を論理的に補足するものなのである。…
…<構造の不在>そのものがひとつの特殊なタイプの構造となったのである。私はこの不規則な核家族モデルを、エミール・デュルケームへの賛辞をこめて<アノミー家族>と呼ぶ。
 このタイプが存在するということは、核家族のヨーロッパ・モデルをよく理解するためにきわめて重要である。ヨーロッパ・モデルの方は人類学的には統御は弱くない。核家族が実現するためには、特に外婚制という明確な人類学的規範が厳格に適用される必要があるのだ」65頁

「アフリカ——家族集団の不安定性
…家族集団の歴史は、ここでは他の地域のようにいくつかの重要な節目——誕生、結婚、他界——に要約できない。無数のアフリカ・モデルのなかでは、人々は子供たちも、女たちも、男たちもひとつの人生のなかで、論理的には家族とは呼ぶことができないいくつもの家族形態を倦むことなく作っては解体する循環のなかにいるのである。基本的な人間関係のこのような流動性の象徴が結婚なのだが、アフリカではその根本的な構造的特徴が夫と妻の絆の脆弱さにある。
…ブラック・アフリカでは一夫多妻は規範であり、統計上しっかりと実現されているひとつの理想なのである。その結果として出現するのが離婚であり、その頻度は世界の他の地域では未知の水準に達している。
…アフリカでは一夫多妻と離婚が規範なのである。…その多くが明確に外婚制であり、近新婚の禁止を遵守している。…
 しかしながらアフリカは<ひとつ>の家族タイプではなく、複数の個人の相互関係の不安定性という新しい基準によって産出される複数のタイプの<総体>なのである。したがって私は不安定なシステムという言い方をすることにしよう。家族という用語は安定した家族グループに取っておくことにする」67-8頁

「内婚制と外婚制の間にある亀裂は、自由と平等に影響を及ぼさずにはおかない。結婚上の選択は、相続の規則、同居の規則と同じ程度に、権威の観念や正義の観念を定義するものである。ル=プレの概念化は、自由と服従、平等と不平等という二重の二分法に依拠している。そこに近親相姦の禁止を考慮に入れれば、もしや単に2つのレベルの自由ではなく、4つのケースを識別することができるようになるとともに、より広いカテゴリーのなかで平等の観念を対称性として捉えることができるのである」69頁

「配偶者の選択プロセスは4つのタイプ(2つではない)の自由(あるいは不自由)を定義しており、それとともに7つの家族が存在するのである。
 この4つのタイプの広がりのなかでは、ル=プレの諸類型は中間的な状態に相当する。BタイプとCタイプの婚姻の選択が、西欧の自由主義と権威主義の教義をイデオロギー的な反映として持つことになる。このように整理することでイングランドとフランスの伝統から引き継いだ自由についての古典的な政治学の定義がもつヨーロッパ中心主義を免れることができるのである」70-1頁

「家族構造は、また言語集団とも一致しない。…明白で検証可能な唯一の一致は家族とイデオロギーのそれであるが、家族とイデオロギーというのはひとつの価値システムの2つの異なる表現レベルにそれぞれ相当するものである。この価値システムが、それぞれ人間関係と社会関係において自由と対称性の理念を定義し、組織しているのである」73・75頁

「共産主義はまず特定の人類学的構造[外婚制共同体家族]によって産出され、次いでその躍進は壁にぶつかり止まった。それ以降の歴史は軍事的なものである。赤軍によって共産主義が外から強制されたところでは、人類学的組成が常に激しく反発し、しばしば奇妙な反応をみせた。いくつもの折衷的な政治形態が出現した。…これらの変異のひとつひとつが共産主義の移植に対する拒絶の現象であり、家族的土壌の性質に応じてその形態は変化したのである。ポーランドでは平等主機的家族、北朝鮮では権威主義家族、アフガニスタンでは内婚制共同体家族、カンボジアではアノミー家族の土壌に移植が行なわれたのである」75-6頁

ここの説明はかなり苦しいように思うなあ

「外婚制共同体家族の特徴
——相続上の規則によって兄弟間の平等が定義されている。
——結婚している息子たちと両親の同居。
——しかしふたりの兄弟の子供同士の結婚はない。」78頁

「共産主義、それは外婚制共同体家族の道徳的性格と調整メカニズムの国家への移譲である、と。外婚制共同体家族が、都市化、識字化、工業化などのいわゆる近代化のプロセスによって解体されながら、その権威主義的で平等主義的な価値を新しい社会に伝えているのである」78頁

「夫婦の年齢的な関係が平等的であるロシアの伝統的な家族は、典型的な共同体家族の姿を見せるとともに核家族の様相をも呈している。構造的に破裂するようにできており、伝統的家族を構成する複数の夫婦を解き放つことになるようにみえる。19世紀から20世紀にかけてツァーリによってはじめられ、次いでソビエトに受け継がれた近代化が実現したものがそれであった」82頁

「外婚制共同体家族はロシアでは完璧に炸裂したが、中国の農村部では部分的にしか瓦解しなかった。ロシアで生まれた共産主義は、ロシアがもつ平凡であると同時に極限的な家族構造の例外的な人類学的緊張によってはじめて発明されたものであった」83頁

「一般的にいって、自殺は、その家族システムの密度が高く、縦型で、両親と子供たちの相互依存を強いる国であればあるほどより頻繁に発生する。ここでは父と息子の関係の潜在的に病理的な性格についてのフロイトの直観が正しかったことを統計によって確認することができる。権威主義家族と外婚制共同体家族が核家族のモデルよりも明らかに不安発生要因をより多く孕んでいる。したがってより高い自己破壊の頻度を生み出している。
 しかし家族関係が縦型であるということが自殺の唯一の要因ではない。夫と妻の関係の平等と安定の度合いは、同じくらい重要なもうひとつの要因である。…自殺の動機における男女の関係の重要さが、なぜ外婚制システムが内婚制システムよりもはっきりと地球規模で高い自殺率を生み出すのかを説明している。…
…最も高い自殺率はその家族システムが、<外婚制で、同時に強い縦型の要素を内包し、男女の平等な関係を有し、高い離婚率>をもつ国々で観察されるのである。…
 言語学的な見せかけにもかかわらず、[自殺率が高い]キューバは共同体家族の国なのだ、という単純な仮説を立てる必要があるのである」87・89頁

若気の至りなのか、けっこう無茶な議論してるなあ

「主要な問題は、家族の理想が具現化されることで、2組または3組の婚姻カップル(核家族集団の場合は1組だけ)からなる目に見える具体的な家族集団の姿が実現されるためには、家族の価値だけではなく、さまざまな状況や物質的な条件が必要となるということなのである。だから稠密で複合的な家族は都市部では、常に農村部よりも少ないのである。しかしそれは決して家族の価値が弱体化していることをア・プリオリに意味しているのではない。都市部では、それらの価値が複数の成人の同居や共同の労働というかたちとは異なるやり方で表現されるのである。家族は単に可視的な組織であることをやめたということに過ぎない。農村の生活に結晶化している家族の価値は、都市では非物質的な心的構造の状態に移行するのである」89-90頁

反証不可能な議論に思えるが…

「権威主義家族の特徴
 ——相続上の規則によって兄弟間の不平等が定義されている——財産の全てを子供たちのうちの1人に相続。
 ——結婚し相続する子供と両親の同居。
 ——ふたりの兄弟の子供同士の結婚は僅少、もしくは無」108頁

「マックス・ウェーバーは、説明することはできなかったが、共同体家族構造と普遍主義的な帝国建設との間に一定の関係が存在することに気がついていた。ローマ、中国、ロシアの親族システムの間の類似性はとりわけ顕著である。この3つのシステムに存在する外婚制共同体家族は、特に強い兄弟愛の感情を基礎としている。この家族構造は、強力な同化能力を持ち、人間同士の間や民族同士の間に差異が存在するということを認めるのを拒む特別な適性を持っている」109-10頁

「権威主義家族が支配的な文化の大部分は、規模の小さい民族である。これは偶然ではない。同化によって拡大するという資質をもたないからだ。ドイツと日本が特筆すべき2つの例外である」111頁

「時間的な軸
 権威主義家族を基礎とした社会システムの主要な安定軸は、時間的なものである。権威主義モデルを実践している民族は共通して強い歴史的な意識をもち、この人類学的な類型の特徴である血族的な理想の自然な反映として線的な時間の鋭い感覚をもっている。権威主義家族は、世代の途切れることのない継承、理論上限りなく続く家族集団の恒久性を組織するのである。それは権威主義家族の目的であり機能である」114頁

「権威主義家族は、<不平等主義的な価値>と<平等な社会実践>を伝達する。
 核家族と共同体家族は、<平等主義的な価値>と<不平等な社会実践>を伝達する。
 人類学的な基底はしたがって、イデオロギー・システムを組織するだけに止まらない。農民社会の現実の経済形態をも形づくり、その一般的な構造——所得や教育において平等主義であれ不平等主義であれ——は、近代社会のなかですら永続するのである」118-9頁

「社会民主主義はどこでも権威主義家族構造と一致している。政治的カトリシズムもいたるところで同じ権威主義の人類学的土壌に、第二次世界大戦のかなり以前から花咲いている」122頁

「権威主義家族は、13世紀にはカトリック地域ではもっとも一般的な人類学類型であった。全体の人口規模のなかで権威主義家族は45%を占めていたのに対して、平等主義核家族は40%、絶対核家族は10%、外婚制共同体家族は10%であった。時間を経るとともに、カトリシズムは、個人主義的分派や共同体的な分派を切り捨てることで、当初持っていた傾向を純粋化していったのである」140頁

足すと100を超えてしまうが…😅

「人類学的な分析は、マックス・ウェーバーの概念化とは一致しない。というのも、ウェーバーは宗教的なカテゴリーを固定したものと考え、カトリックとプロテスタントの諸概念がそれぞれ統一的な性格を形成していると信じているからである」141頁

「非常に高い結婚年齢は、共同体家族では許容できない。規模の大きい複合家族が形成されるためには、世代の間隔が小さいか中位であることが前提となるため、晩婚は論理的にそれを不可能にするのである。共同体家族の理念的な形態は、両親の存命中に少なくともふたりの兄弟が結婚することであり、比較的速やかな世代の交代が前提となる。
 その縦型の理念的形態からすれば、権威主義家族はひとりの息子もしくはひとりの娘の結婚だけを前提とするのである。したがって世代間の年齢の隔たりが大きくなっても許容されるのである。しかしその組織は、核家族のそれとは反対に、非常に低年齢での結婚も許容できる。その場合、若夫婦は成人である両親の管理と保護のもとに留まるのである。したがって権威主義家族は実際には、あらゆる結婚年齢と呼応するのである。
 現存する資料をみれば、実際に権威主義家族が他の人類学モデルよりも幅広い年齢層に対応していることが分かる」142頁

「ヨーロッパの一定の地域がカトリシズムに愛着をもつのは、晩婚という地域モデルが先に存在していたからではないかと問うこともできる。…家族的に権威主義地域が少なくとも強力な少数派として存在するヨーロッパ諸国での相関係数は、カトリック右翼と晩婚の関係が生み出す力の存在にはともかく疑う余地がないことを示している」144頁

「政治上のシステムを生み出すのは人類学的な条件であり、逆ではない。神学は結婚年齢を決定しない。それぞれの家族システムが自らの教義を選び、凍結し、イデオロギーに変容するのである。家族の無意識的な価値が、聖職や世俗の知識人たちによって創り上げられる教義がイデオロギーとして凝結するために必要な精神的な厳格さと大衆的な基盤を提供しているのである」148頁

「人類学的な価値システム——自由、平等そしてそれらの反対物——は、時代によって変化し、副次的な文化的要素にすぎない性的行動よりも安定し、深く、強力なものなのである。…
 権威主義家族構造の地域で殊に大きい変動を見せる結婚年齢だが、そのような変動はすべての人類学システムに存在する。それらの異なる構造を組織している諸価値は、それぞれ異なるイデオロギーを定義することになるのである」149頁

「私生児であること、つまり結婚外の子供(フランス語では自然児と呼ばれる)の妊娠は、外婚制メカニズムにとってほとんど避けることのできない相関的な現象である。家族集団の外部に配偶者を探すということは、偶然的な出会いを前提としているとともに、女性の性の管理が或る程度緩くなることを意味している。内婚制システムについての信頼できる数字は存在しないが、いくつかの調査の結果を見る限り、選好婚モデルでは私生児という原理そのものが排除されていることを示唆するものとなっている。イスラム諸国に関する現存するデータによると、私生児の誕生は0%から0.1%の間で揺れるきわめて僅かな割合に止まっている」151頁

「平等主義核家族の特徴
 ——相続上の規則によって兄弟間の平等が定義されている。
 ——結婚した子供たちと両親の同居はなし。
 ——ふたりの兄弟の子供同士の結婚はなし。」164頁

「絶対核家族の特徴
 ——明確な相続上の規則がない 遺言による相続が多い。
 ——結婚した子供たちと両親の同居はなし。
 ——ふたりの兄弟の子供同士の結婚はなし。」164頁

「ル=プレは…パリ盆地のガリア人たちが不安定な家族、つまり核家族の理想を実践してきたと批判していたのであった。核家族があの許し難い規律のなさを生み出しているのである! 1960ー70年代にイングランドで行なわれた研究が明らかにしたことは、社会学的な意味での個人というものは、ヨーロッパのいくつかの地域ではずっと存在していたのだということである」166頁

「平等主義的な核家族構造の地域に位置する首都や大都市は、しばしば共産主義の実体ある定着の場となっている。1921年からのパリがその例であり、今日ではアテネがそれに当たる。しかし根無し草化の影響であるこのような政治的な地理分布は、過渡的なものである。…都市化のプロセスがいったん完了すると、住民の安定化に伴なって共産主義的な受け入れの構造が必要なくなるのである。パリの場合、この増加したあと減少するという動きが自殺と共産主義の動きにおいて平行したものとなっているのである。これらの動きは1世代の間隔をおいて反復されている。自殺は1945年から減少し、フランス共産党は1978年から崩れはじめたのだ」167-8頁

「自由と平等の概念は、確かに部分的に矛盾し合うものである。個人の自由な成長は、人々の間の差異の出現を前提にしている。真の個人主義はこれらの差異を認めることであるとさえ言うことができる。平等原理はこの不均質性を拒否するのである。人類学的には、この矛盾は、父の遺産の分割によって終息する家族の争いを生み出す。平等の要求は兄弟たちの分離で停止する」177頁

「フェミニズムとマチズム
 兄弟間の非対称性原理は男と女の関係に影響を及ぼし、絶対核家族モデルと平等主義核家族モデルでは関係のタイプが異なることになる。
 核家族はその2つの変種ともに、双系制システムに属しており、父系親族と母系親族に同等の価値を付与するものとなっている。…逆説的なことに、対称性に関心を持たない絶対核家族の方が、『平等主義』家族よりも両性間の平等をより深く実践しているのである。兄弟間の対称性原理は、男性の連帯をア・プリオリに前提とするものなのだ。それがすべての社会で自然なものとなっている両性間の不平等をさらに強化するのである。
 絶対核家族は反対に、兄弟の平等や男性の連帯を意に介さないのである。それは夫婦の絆をもっとも徹底した——平等主義的な——帰結にまで発展させることで、アングロ・サクソン諸国の人類学システムを地球上に現存するもっとも女性主義的なシステムにしている。
 絶対核家族は、内部に矛盾を孕まない安定した構造である。平等主義核家族は、<夫婦の連帯>の原理と<両性の不平等>の原理との間の矛盾を抱えている。この家族構造は、双系制の核家族システムのなかで男性の優位を肯定するラテン諸国のマチズムに至りつく」178-9頁

「絶対核家族は<先験的に>兄弟の関係を決定していない。家族関係の領域において、平等もしくは不平等の原理には無関心なのである。社会的関係の領域で、対称性あるいは非対称性の原理に対していかなる明確な態度も生み出さない。
 平等主義の文化は民族間の同等性を欲する。不平等主義の文化は、優れているか劣っているかを決めたがるのである」201頁

「内婚制共同体家族の特徴
 ——相続上の規則によって兄弟間の平等が定義されている。
 ——結婚している息子たちと両親の同居。
 ——ふたりの兄弟の子供同士の結婚が頻繁。」206頁

「徹底した父方内婚制を実践していたアラブ世界によって生み出されたイスラム教は、外婚制規制が弱いか皆無の隣接地域全体に広がった。イスラム教は内婚制システムを生み出したわけではない。ただもっとも極端な近親相姦の形態を禁止するかたちで内婚制を組織立て調整したのである。つまり古代エジプトの兄弟・姉妹間の結婚、ゾロアスター教のイランの兄弟姉妹間の婚姻、古代パレスチナの異父母兄弟・異父母姉妹の婚姻を禁止したのである」208頁

「中核の均質性
 イスラム教は、その中心部である内婚制の地域ではキリスト教に対して有利さをもっている。ただ歴史の偶然によるのではなく、人類学的な土壌が存在することでより大きな適合性があるのである。キリスト教に通底する共通点は、外婚制という規則だけである。…イスラムはもっと精密であり、もっとも限定的である。…外婚制とアノミー家族の周辺部を除くと、イスラムは、人類学的観点からは完璧に均質性を保っている。反対にキリスト教は、平等主義核家族もしくは絶対核家族、権威主義家族そして外婚制共同体家族を含んでいる」213-4頁

フォロー

「アフリカ型諸家族システムの一般的な特徴
 ——家族グループの不安定さ。
 ——複数婚」282頁

そんだけかよ😅

「近親婚の禁止においてキリスト教よりも寛大なイスラム教ですら姻戚婚のタブーにおいては十分厳しいのである。イスラムは妻の妹との複数結婚、そして義理の母との結婚を禁止しているのである。数多くの例外を含みながらも、一般的にアフリカは、近親婚を厳しく禁止しながら、姻戚婚についてはその禁止が弱いという逆のモデルを示しているのである」283頁

「父不在の世界?
 アフリカにおける遺産の相続は、それが物であれ女性であれ、ヨーロッパやアジアの定住共同体において実行されている縦系列の相続の論理を取らない。相続は多くの場合、縦系列よりは横系列にそって行なわれる。遺産は父から息子へ受け継がれるよりもむしろ、兄から弟へと受け継がれるのである。この慣習は、アフリカで最も人口の集中した地域であるギニア湾の沿岸地方と内陸部の西アフリカにおいて殊に頻繁に行なわれている。
 横系列にそった相続の仕組みは、イスラム法においても萌芽的なかたちで存在している。コーランによれば、兄弟たちも相続に預かることができるからである。それが西アフリカにおいては支配的な社会的慣習となっており、家族における重要な関係が父と息子の繋がりよりも、むしろ兄弟同士の関係であることを明確に示している。このような横系列の相続システムでは、親の権威に対する姿勢は曖昧で、その権威は弱い。多妻家族の構造は、それぞれ独立した複数の下部家族からなり——それぞれの妻が自分の子供たちとひとつの住居に住んでおり——親の権威を解体するかたちになっている。父親は遍在する存在だが、これは父親がどこにもいないことでもあるのだ。
 この西アフリカの諸家族システムが奴隷売買によりアメリカに移植された」284頁

「西アフリカ家族は母と子の絆が強く父が不在であるという特徴を持っており、いわば家族の中核が分裂した状態を基盤としているのである。
 地球上の人類学・社会システムの大半では、識字化はまず男性に現われる現象である。…この男女の格差は、イスラム教の国々では圧倒的であり、中国型の外婚制共同体型社会においても非常に大きい。核家族型、権威主義型、そしてアノミー家族システムにおいては、この両性間の隔たりは少なくなるが、消滅することはない。
 アフリカ型家族モデルでは状況が逆転して、文化的発展の過程で女性が男性よりも優位に立つのである」285-6頁

「家族は下部構造の役割を果たす。家族とは、定住した人間社会の表現である統計上の大衆の性格とイデオロギー・システムを決定するものである。しかし多様な形態を見ることができる家族それ自体は、いかなる必然性、論理、合理性によっても決定されてはいない。家族はひたすら多様なかたちで存在するのであり、数世紀あるいは数千年にわたって存続するのである。生物学的、社会的な再生産の単位である家族は、その構造を存続させるために歴史や生命からの意味づけを必要とはしないのである。家族は歴史を通して、同様な形態として再生産されるのである。子供たちが家族の面々を無意識のうちに模倣するだけで、人類学上のシステムが継続するには十分なのである。愛情と分裂の場である家族の繋がりを再生産することは、DNAーRNAの遺伝子サイクルのように、意識的な操作も必要としない作業なのである。それは盲目的で、非理性的なメカニズムてあり、まさに無意識的で目に見えないものであるために強力であり、揺るぎないメカニズムなのである。しかもこのメカニズムは、それを取り巻く経済環境、エコロジー状況から全く独立しているのである。家族システムのほとんどの類型が、地形、気候、地質、経済の全く異なるいくつもの地域に同時に存在している」290-1頁

「イデオロギー的にイスラムに対応する内婚制共同体家族だけが、唯一おおよそ気候的にひとつの地域に存在しており、大西洋からアフリカと中近東を経て中央アジアへと広がる乾燥地帯にまたがって確認される。しかしながら、すべての乾燥地帯が内婚制共同体家族と呼応するわけではない」291頁

「いかなる規則、いかなる論理とも関係なく地球上に散らばっているように見える諸家族構造の配置が示す地理的な一貫性の欠如は、それ自体ひとつの重要な結論なのである。この一貫性の欠如は、社会科学によって疑わしいものとして捉えられているが、遺伝学によって次第に認められてきたあるひとつの概念を想起させるものである。つまり偶然という概念を。家族システムとは、情緒的なものであり、理性の産物ではない。それはいくつもの小さな共同体のなかでなされた個人的な選択を経て何世紀も前に偶然に生まれ、次いで部族や民族の人口の増加とともに広がり、単純な慣性力によって維持されたものである。誕生した家族システムのすべてが生き延びるわけではなく、その多くが消滅したのである。…確定できない過去からやって来たこれらの人類学形態の集合は、20世紀に入って近代という理想にいたずらをしたのである。この人類学形態が、近代という理想を捉え、変形させ、各地域の潜在的な価値体系にそって畳み込んだのである」292頁

「遺伝学」や「選択」を吉川浩満的に誤解していると思ふ。また、種は「慣性力」により「維持」されるものではないし😅

「20世紀の歴史を決定したイデオロギー分布の源には、家族の存在があったのである。しかし地球におけるイデオロギーの歴史とは、人類学的な条件を基底にしながらも、偶然が介入することによって生まれた目的を持たない運動なのである」292頁

「<1970-1980年頃の女性の結婚年齢と識字率の相関係数は非常に高く、プラス0.82である。世界で人々が読み書きができる地域というのは、女性があまり早く結婚しない地域であり、成長期間が長い地域である>」311頁

「<女性の結婚年齢と識字率>の相関係数(プラス0.83[0.82?])は、事実、男性の結婚年齢と識字率のそれよりもはるかに高い。一般的な結婚年齢よりも女性の結婚年齢の方が鍵となる変数なのである。
 とりわけ顕著に見られることは、女性の結婚年齢と男性の識字率の相関係数(プラス0.79)は、男性の結婚年齢と男性の識字率の相関係数(プラス0.65)よりはるかに高いことである」312頁

「文化的水準の高いところは女性が晩婚のところであり、女性が子供として遇されることもなければ、物として扱われることもないところである。…夫婦の年齢差が小さいところでは、識字率は高いのである(相関係数はプラス0.55)。文化的テイクオフとは、女性が子供として遇されることがなくなり、妻が子供として処されることがなくなることでもあるのだ」313頁

「仮説——<家族システムの教育的な効率性は、母親の権威の力によるであろう>。この母親の権威は、人類学的な2つの異なる要素に依存している。一般的な親の権威の水準、そして家族システム内での女性の相対的地位がそれである。
 親の権威そのものが強く主張され、さらに女性の立場が高ければ高いほど、子供たちに対する母親の権威は強力なものになるのである。
 この2つの人類学的変数——親の権威と女性の地位——の組み合わせによって、さまざまな家族システムの教育的な潜在力を<先験的に>定義し得る類型を想定することができる」314頁

「組み合わせと類型
 親の権威を現す変数——縦型か非縦型——と女性の地位というもうひとつの変数——父系制・双系制・母系制——の組み合わせは、6つのケース、成長についての適性が異なる6つの家族タイプを生み出すことになる」316-7頁

「母系制というものが現実には両親の権威の分裂を意味するものであるために、アフリカ諸社会は、その母系的な性格にもかかわらず強い母親の権力の確立に至ることはなく、そこから発現する文化的な潜在力も弱い。しかしアフリカ諸家族システムがアンチル諸島へ移植された結果もたらされたいくつかの変化は、母系的傾向の確立、一夫多妻制の消滅、親の権威の再統合、さらには迅速な文化的成長を可能にするに至っている」321頁

「驚くべきことに、当時の知のシステムの外にアウトサイダーとしていたル=プレの研究を例外とすれば、過去150年間の家族に関する社会学的構築物がいかに経験的な根拠を欠いたものであったかが見えてくるのである。コント、デュルケーム、ウェーバー、エンゲルスを読み返してみると、<事実に基づいたものではない>にもかかわらずみんなに受け入れられたこの仮説[大家族の解体]を使って、紛れもなく現実を発明し、擬似情報を構築していくひとつのプロセスが稼働しているのを理解することができる。明らかに、コンセンサスがあったが故に事実が必要とされなかったのである」322頁

「<兄弟の関係が平等主義的であるシステムは全体的に女性主義的な傾向は少ない、反対に不平等主義的なシステムはより女性主義的なのである>。これは一般的な傾向であるが、無視できない例外もある。兄弟の平等と男性の連帯という理想を特徴とするいくつかの家族タイプが、かなりの女性主義的な偏向を示しており、それらは、成長の現実を分析するうえで重要な傾向と認められるのである。とりわけロシア・モデルがそうである」323頁

「構造的な一致と伝播
 家族構造とイデオロギー・システムとの一致は絶対的であり、人類学的な分布図と政治学的な分布図が性格に重なることが示しているように必然的な関係であった。だが家族構造と文化的な成長の関係は、実際にはそれよりはるかに緊密性が少ない。
 イデオロギーは夢や感情の領域のものである。平等と不平等、自由と専制といった理想は、頑強であり理屈で説明できるものではなく、地球上にはそれらの配置分布にしたがって厳格に分断され、互いに相いれない空間編成が創りだされているのである。それぞれの人類学的システムは、隣接するシステムとの交流を最小限に抑えながら自らの政治的価値を生きているのである。まさに家族構造と支配的なイデオロギー構造とが、実際上見事に一致する所以である」324頁→

「逆に文化的成長は、人間理性の普遍性に与るものである。識字化は、ある種の人類学的システムによって促進されるとはいえ、人類全体に共通する潜在力の現われであることに変わりはない。政治的な価値がかなり大幅な閉鎖性を互いに見せているのに反して、文化的な領域での交流は、諸文明の間で実に容易に進行するのである。このためにシステム同士が隣接している場合、文化伝播の現象が起こるのである。それも相互作用をおこすシステムの人類学的タイプとは関係なく伝播が発生するのである。
 地理的には隣接しながら、家族システムが異なる2つの地域があるとしよう。そこではイデオロギー的には異なる夢が生きられている。だが文化的な成長は、固有の素質と異なる傾向に従うことになる。しかしそのなかで文化的に恵まれている地域が、文化的な成長において相対的に恵まれていない地域に不可避の影響を与えることになり、隣接しているということだけで大衆の識字化の伝播が促されるのである」324-5頁

「<西欧>の家族構造のほとんどは実際、母系家族と父系家族に同等の価値を見出し、子供の出産において男と女に同等の価値を付与する双系制である。しかし、そこには微妙な差異が存在し、双系制の度合いにも違いがある」346-7頁

「世界でヨーロッパ以外に権威主義家族構造が伝統的なシステムとして見られるのは、3つの大きな地域に限られているようだ。日本、韓国・朝鮮、そしてイスラエルである。…権威主義家族は<縦型>で<不平等的>であると分類できる。…
 ところで兄弟間の不平等は、ほとんど常にその補足物として比較的高い女性の地位を生み出すことになる。このタイプは双系制で、両性の関係が比較的平等である。なぜなら女性による<相続>が実際にしっかりと受け入れられているからだ。…
 血族家系の理想に不可欠な兄弟間の不平等、男性間の不平等は、実は男性の優位性を前提とする価値体系に呼応しているわけではない。権威主義家族は長男とその弟たち、つまり相続者と非相続者を生み出す。男性に一義的に価値を見出すのではなく、男性たちを格差によって区別するのである。
…日本の家族は両親の双系制の特徴を非常にはっきりと示している。ユダヤ文化はユダヤ性の母系による継承を理想としており、しかも息子がいない場合は娘による財産の相続をしっかりと認めている。バスク文化は、他の権威主義家族にもまして財産の母系による相続を伝統としている。これほど意識的ではないが、ゲルマンの諸家族構造も実際上はそれほど違わない」349-50頁

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