「平等主義的な核家族構造の地域に位置する首都や大都市は、しばしば共産主義の実体ある定着の場となっている。1921年からのパリがその例であり、今日ではアテネがそれに当たる。しかし根無し草化の影響であるこのような政治的な地理分布は、過渡的なものである。…都市化のプロセスがいったん完了すると、住民の安定化に伴なって共産主義的な受け入れの構造が必要なくなるのである。パリの場合、この増加したあと減少するという動きが自殺と共産主義の動きにおいて平行したものとなっているのである。これらの動きは1世代の間隔をおいて反復されている。自殺は1945年から減少し、フランス共産党は1978年から崩れはじめたのだ」167-8頁
「フェミニズムとマチズム
兄弟間の非対称性原理は男と女の関係に影響を及ぼし、絶対核家族モデルと平等主義核家族モデルでは関係のタイプが異なることになる。
核家族はその2つの変種ともに、双系制システムに属しており、父系親族と母系親族に同等の価値を付与するものとなっている。…逆説的なことに、対称性に関心を持たない絶対核家族の方が、『平等主義』家族よりも両性間の平等をより深く実践しているのである。兄弟間の対称性原理は、男性の連帯をア・プリオリに前提とするものなのだ。それがすべての社会で自然なものとなっている両性間の不平等をさらに強化するのである。
絶対核家族は反対に、兄弟の平等や男性の連帯を意に介さないのである。それは夫婦の絆をもっとも徹底した——平等主義的な——帰結にまで発展させることで、アングロ・サクソン諸国の人類学システムを地球上に現存するもっとも女性主義的なシステムにしている。
絶対核家族は、内部に矛盾を孕まない安定した構造である。平等主義核家族は、<夫婦の連帯>の原理と<両性の不平等>の原理との間の矛盾を抱えている。この家族構造は、双系制の核家族システムのなかで男性の優位を肯定するラテン諸国のマチズムに至りつく」178-9頁
「イブン・ハルドゥーンは血族と国家を区別しない。イブン=ハルドゥーンは政治権力の強さは、一定の時代に4世紀以上は続くことがないある血族の活力に基づいていると考えている。彼にとっては、血縁の概念は衰退という概念を含んでいる。『ひとつの家族の威光は4世代で絶える』、息子は『父に値しない』。ここに政治的なイスラムの歴史を作り出す王朝の繁栄と衰退が由来する。
国家の弱さはイスラム世界を政治的な分裂へと導く。イスラム世界は、ローマ、中国あるいはロシアのような帝国として存在することができなかった。…兄弟の連帯という観念は、世界の他のどの文化よりも統一への熱望と分裂の能力を併せもっているイスラム文化の根本的な矛盾を理解させてくれる。
…イデオロギーのレベルではなく家族のレベルでは、内婚制的な閉鎖性を生み出し、イスラム社会が個人からなる共同体ではなく、家族が並立することで成り立っているという様相を醸し出す。イスラム教徒共同体(ウンマ umma)の構造がそれであり、家族ではなく個人の集合である国民というヨーロッパ的な観念と対立する」220頁
「血縁結婚の内分けの変化…都市化プロセスが親族システムに<母系的な偏向>を引き起こしている。内婚制モデルが維持されながらも、変容が起こり、都市層での妻と母の重要性の増大を示すようになる。イスラムの地においてさえ、近代化のプロセスは、女性の権力の増大を引き起こしているのである。そこからイスラム教徒でありイラン人である男性たちの不安が生まれたのである。彼らがホメイニとともにすすめた闘いは、幾分はシャーに対抗するものであったが、しかし多くはチャドール(女性のスカーフ)のため、つまりはシャーが薦めた女性解放に反対するものであった」227頁
一種のバックラッシュか…今のイラン情勢を見るに含蓄深い分析だなあ
「この亜大陸における言語、儀式、慣習の驚くべき多様性にもかかわらず、ひとつの人類学的な形式がインド全体に共通している。それは核となる家族構造が共同体家族であり、男性集団を外婚制が貫いていることである。2つのヴァリアントがインドの空間を二分しながら、この外婚制共同体家族という一貫した形式を補っているのである。
北部では、外婚制は父系、母系の両方に及び、結婚の禁止は母方の家族にも適用される。
南部では、外婚制は部分的であり、母方の親族とのイトコ婚を奨励するシステムと組み合わされている。この非対称的な内婚制のモデルが断ち切られると、インド南部の家族は単純な外婚制共同体家族に変容することになる。…このようなシステムの解体が共産主義の強力な浸透を極めて順調に推し進めたのだ」245-6頁
「村落のレベルで行なわれたいくつかの調査によれば、王侯たちの内婚モデルに類似した現象が常に大衆層のなかにも確認できることが示されている。エルマンやランケのようなもっとも信頼できるエジプト学者は、農民と職人からなる古代エジプトでは兄弟と姉妹の結婚はありふれたことであった、と考えている。カンボジアの或る農村で実施された研究では、王侯の家族で許されている異父(母)兄弟と異父(母)姉妹の結婚は、より慎ましい階層である底辺の水稲耕作者たちにも同じく受け入れられていたことが示されている。インカの問題も比較的新しい民族学的な資料に当たれば解決することができる。『南米インディオのハンドブック』によると、現在のアイマラ族(インカ帝国の民族学的構成要素のひとつ)では性の違う双子が頻繁にもしくは一貫して結婚している。この<教科書>の論文の著者は、住民数千人の地区にそのような夫婦を3組確認している」257頁
「縦型の外婚制で権威主義的共同体家族システムにおける権力は、個人の外部に存在するのではなく人々の頭のなかに存在するのである。ひとびとはその教育システムによって服従に慣らされている。そして外婚制メカニズムが社会全体との接触を強制している。外婚制システムのなかにはひとつの構造化作用が存在している…遠心的な力が個人を家族の外へ押し出し、社会全体が相互に作用することができるメカニズムを生み出しているのである。
アノミー家族は全く違うものを生み出すことになる。核家族型で一定した規則に拘束されず、教育のやり方が厳格ではないために、構成員たちに規律の原理を習慣づけることがない。したがって社会の裏面で機能するこの構造化作用を生み出すこともない。求心的な派生力に任されたまま外婚的な拘束が働かないために、各個人が出身集団に舞い戻ることになる」262頁
「父不在の世界?
アフリカにおける遺産の相続は、それが物であれ女性であれ、ヨーロッパやアジアの定住共同体において実行されている縦系列の相続の論理を取らない。相続は多くの場合、縦系列よりは横系列にそって行なわれる。遺産は父から息子へ受け継がれるよりもむしろ、兄から弟へと受け継がれるのである。この慣習は、アフリカで最も人口の集中した地域であるギニア湾の沿岸地方と内陸部の西アフリカにおいて殊に頻繁に行なわれている。
横系列にそった相続の仕組みは、イスラム法においても萌芽的なかたちで存在している。コーランによれば、兄弟たちも相続に預かることができるからである。それが西アフリカにおいては支配的な社会的慣習となっており、家族における重要な関係が父と息子の繋がりよりも、むしろ兄弟同士の関係であることを明確に示している。このような横系列の相続システムでは、親の権威に対する姿勢は曖昧で、その権威は弱い。多妻家族の構造は、それぞれ独立した複数の下部家族からなり——それぞれの妻が自分の子供たちとひとつの住居に住んでおり——親の権威を解体するかたちになっている。父親は遍在する存在だが、これは父親がどこにもいないことでもあるのだ。
この西アフリカの諸家族システムが奴隷売買によりアメリカに移植された」284頁
「家族は下部構造の役割を果たす。家族とは、定住した人間社会の表現である統計上の大衆の性格とイデオロギー・システムを決定するものである。しかし多様な形態を見ることができる家族それ自体は、いかなる必然性、論理、合理性によっても決定されてはいない。家族はひたすら多様なかたちで存在するのであり、数世紀あるいは数千年にわたって存続するのである。生物学的、社会的な再生産の単位である家族は、その構造を存続させるために歴史や生命からの意味づけを必要とはしないのである。家族は歴史を通して、同様な形態として再生産されるのである。子供たちが家族の面々を無意識のうちに模倣するだけで、人類学上のシステムが継続するには十分なのである。愛情と分裂の場である家族の繋がりを再生産することは、DNAーRNAの遺伝子サイクルのように、意識的な操作も必要としない作業なのである。それは盲目的で、非理性的なメカニズムてあり、まさに無意識的で目に見えないものであるために強力であり、揺るぎないメカニズムなのである。しかもこのメカニズムは、それを取り巻く経済環境、エコロジー状況から全く独立しているのである。家族システムのほとんどの類型が、地形、気候、地質、経済の全く異なるいくつもの地域に同時に存在している」290-1頁
「いかなる規則、いかなる論理とも関係なく地球上に散らばっているように見える諸家族構造の配置が示す地理的な一貫性の欠如は、それ自体ひとつの重要な結論なのである。この一貫性の欠如は、社会科学によって疑わしいものとして捉えられているが、遺伝学によって次第に認められてきたあるひとつの概念を想起させるものである。つまり偶然という概念を。家族システムとは、情緒的なものであり、理性の産物ではない。それはいくつもの小さな共同体のなかでなされた個人的な選択を経て何世紀も前に偶然に生まれ、次いで部族や民族の人口の増加とともに広がり、単純な慣性力によって維持されたものである。誕生した家族システムのすべてが生き延びるわけではなく、その多くが消滅したのである。…確定できない過去からやって来たこれらの人類学形態の集合は、20世紀に入って近代という理想にいたずらをしたのである。この人類学形態が、近代という理想を捉え、変形させ、各地域の潜在的な価値体系にそって畳み込んだのである」292頁
「遺伝学」や「選択」を吉川浩満的に誤解していると思ふ。また、種は「慣性力」により「維持」されるものではないし😅
「抑圧された母系的傾向
一夫多妻制がアフリカの家族に、分裂していると同時にしっかり接合している構造を付与している。妻たちはそれぞれ自分の家屋に子供たちと生活し、その妻たちの家屋の総体がひとつの『所帯』を形成するのである。夫であり父である男性はその間を往き来するためその存在は、支配的であっても不安定であり、中心的ではあるが同時に周縁的でもある存在なのだ。このシステムの逆説は、<女性に下位的ではあるが同時に独立した立場>を提供するということだ。妻たちはそれぞれ自分の夫がもつ複数の妻の一人にすぎないが、自分の家屋では主人であり子供たちの責任者でもある。反対に男性の立場は、優遇されていると同時に周縁的なものとなっている。男性は複数のグループからなる大きな集団の名誉ある首長ではあるが、実のところ女性たちの家屋という小区分からなる構造的に分裂した抽象的な実体にすぎない所帯のなかの生活を具体的に統御することはできない。当面のところ一夫多妻制の唯一の特徴として理解されているこのような構造が、母系原理と父系原理の対立を伴っているということは直ぐに見て取れる」434-5頁→
「アフリカの専門家たちによって通常使われる父系制、母系制の概念は、通常、財産の相続の問題(経済的基準)、もしくは社会生活においてそれぞれ父方親族、母方親族が果たす重要性(イデオロギー的基準)に着目した定義に呼応したものになっている。この本で採用した最終的な定義は、父ー子、母ー子の関係の心理的な面での相対的重要性(家族ないの個人間の関係という基準)を評価しようとするもので、より深層のレベルである心理的レベルに呼応するものである。この意味で、アフリカの家族システムは、いくつかの例外を除いて、財産の相続において父系制、母系制のいずれに位置づけられていようが、<普遍的に両義系統的[ambilinéaristique]>であると考えられるのである。
…『父系制』、『母系制』という語の正確な意味を定義するためには、基底的な心理的態度の総体を条件づけるものである家族という集団の全体的な構造から出発する必要があるのである」436頁
「大衆の識字率と社会的な変容の間に論理的で経験的な関連性を見出すことは容易である。政治的な諸革命は、一般的にいって近代的なイデオロギーにおいて不可欠な要素である読み書きの能力を<男性たち>が獲得した直後に起こっている。人口学的な革命については、とりわけ<女性たち>が識字化されることによって条件づけられているように思われる。これらは当然のずれである。なぜならすべての社会において、私的な文脈であれ、公的な文脈であれ、男性たちは暴力を独占しており、女性たちは子供の出産の実際の管理を行なっているからだ。一般的に、男たちが女たちよりも早く読み書きを習得することによって——アフリカの一夫多妻制の社会における母系的な偏向のケースを除いて——政治革命がわずかながら人口学的な革命、とりわけ出生率の低下に先行することになるというのも当然のことである」444・446頁
「ローレンス・ストーンは、イギリス、フランス、ロシアでの3つの革命の極めて重要な共通点を発見した。それはこれらの政治的、イデオロギー的な騒乱の直前に、男性の識字率が50%に達したところであったということである。これは根本的な発見であり、このことによって革命という現象と近代化の達成とを厳密に関係づけることができるとともに、同時にまだ実証されていない労働者階級の役割についての古い仮説を回避することができ、これら3つの革命の場合にそれぞれイデオロギー的内容が異なるという問題を避けることができるのである。これらの例では、大衆の識字化は争乱への道を開き、それぞれの場所での固有の内容を盛り込んだ大衆のイデオロギー的な活性化を可能にしたのだった」449頁
↑ L. Stone (1969) “Literacy and Education in England, 1640-1900,” Past and Present.
「成長の人類学的な分析は、ふたつの現象を明らかにする。ひとつは論理的に最初に現われる現象であり、もう一方は次に現われる現象である。
最初に現われる現象とは、ある種の家族類型の存在と内発的な文化的発展のプロセスの間に構造的な一致が存在することである。
次いでの現象は、内発的なテイクオフが起こった中心から文化的な発展が伝播する運動のことである。この伝播はそこにある人類学的な素地が文化的な成長を受け入れやすいものであるところでは、より迅速に展開する。
構造的な一致と伝播という運動の両者は、ともに人類学的な領域に属する現象である。両方ともが、その解釈のよりどころとして基本的な人間関係の重要性、個と個、親と子、隣人と隣人との繋がりの重要性を前提としている。このモデルによって、一般的に個人を超越し、人間を越えた抽象的で集団的な社会的主体を想定した伝統的な社会科学の一連の重い概念装置から実際上逃れることができる。…人類学的なモデルは、脱人称化と擬人化を同時に施されたこれらの主体の存在や意志を引き合いに出すことなく成長を説明することができるのである。とりわけ無用なのは、文化と同様に経済の成長において重要な動作主として一般的に考えられている国家という概念である」498頁→
(承前)「しかしここで問題となる個人とは、経済分析で扱われる個人のことではない。合理性によって定義されるのではなく、人間間の関係をつかさどる地方システム、地域システムによって定義されるものであり、その中核には家族組織がある。
各家族システムは、本質的にふたつの変数からなる一定の文化的潜在力を生み出す。親の権威の力と女性の地位の2つがそれである。事実を検証すれば、権威主義的で女性の地位が比較的高い家族システムが、識字率の地図の上で内発的な成長の中心としての姿を現わしていることが分かる。…
成長への適性が強、中、弱とある家族システムの人口を分析してみると、それに伴なう文化的な活性力の3つの水準が地球上で同等に分布しているわけではまったくないことが分かる。…この大陸[ヨーロッパ]の早いテイクオフは一般的な優越性からきたのではなく、人類学的な構成要素の有利な配分によるのである。…
…遅くとも16世紀以降、世界の成長の原動力であった双系制で縦型の家族システムは、人口規模では、世界人口の8%に過ぎないのである」498-500頁
「国家による自立的な作用は存在しないわけではないが、多くの場合、幻想である。大幅に始まっていた文化的なテイクオフの文脈のなかで国家による作用が行なわれたとき——1917年から1969年にかけてのロシアのケースがそうである——、それは抗しがたいものとして目に映るが、じつはそれは市民社会の固有の活性力を捉え、ある特定の方向へ導くことに甘んじただけなのである。反対に、文化的な停滞の状況下では、国家による作用は不明瞭で様々な形の失敗に終わり、中央政府によって行なわれた投資的な努力は溶解され消滅していくのである。そこでは市民社会は反応せず、先進世界から輸入された機械に手を付けようとも、導入しようともしない。1960ー1980年の第三世界の典型的な光景である」502頁
(承前)「子供の方は、一夫多妻制のメカニズムによって複数の女性と子供たちのグループに分散してしまっているため、過大な評価が寄せられてはいるが遠い存在である父に属していると同時に、下位的立場にありながらも実際には夫から自由で身近な存在である母にも属しているのである。…父系制と類別されているすべての一夫多妻システムは、深い心理的な水準では、抑圧された母系的傾向をもっていると考えるべきなのである。また母系制と類別されているすべての一夫多妻システムは、深い心理学的な水準では、抑圧された父系的傾向をもっていると考えるべきなのである。アフリカの家族システムの中心的な特徴は、一夫多妻制であるために、両義的なのである。一夫多妻制であるがゆえに、すべてのシステムが心理的には<両義系統的>なのだ」435頁