『東京入管の収容者が、2週間もの間、行方不明!
処遇部門は、実の父親にすら、本人の居場所を教えない。
二週間前に噂が出た自殺未遂者と同一人物の可能性が高い。どこかの病院にいるはずだが、本人が電話もかけられない状態ということ。
事実上、日本政府による強制失踪だ!
怒りをもって抗議する!』
おれはド田舎の中学で全校生徒でただ1人、1年の5月で部活をやめて帰宅部になった。(やる気がないなら帰れ!と言われて帰ったので)
先生や先輩たちからは大いに嫌われたけど、次の年から帰宅部という選択肢できて卒業式には帰宅部の後輩からファンレターもらった!!帰宅部のエース。
昨日の兵庫県知事選、地域別得票率を見ると、都市部、特に人口の多い神戸市沿岸部で斎藤が稲村さんを圧倒。
ここは安倍派幹部・裏金議員の西村康稔元経産相の地盤でもあり、ボランティア500人をはじめとする資源を集中的に投下、維新・闇の勢力も復活を賭けて「ここをぞ限りに」ーN国の立花も含めてー結集した、ということだろう。
神戸市沿岸部は企業・大学も多く、当然人口だけでなく大卒の若年層も多い。従って、地方で負けても総合すれば僅差で勝利できた。
また維新が「公式に」擁立した清水は25万票、斎藤の4分の1以下。上山信一は「維新の票を斎藤さんに集結させましょう」と絶叫していたが、これもある程度実行されたようだ。
であるから、この選挙だけ見れば、まだ対応可能だったとも言える。
しかし、「中の中の解体」に伴うファシズム化の傾向は、世界的な趨勢でもあり、東京でも「あの」石丸がファシズム地域政党を立ち上げると宣言している。これはまず次の都知事選狙いだろう。
石丸個人は次の選挙までに「化けの皮が剥がれる」可能性が高いが、問題は「あの男」をプロデュースする勢力の資源の巨大さである。石丸がこければ、いくらでも「次」を出演させる。
これに対抗できるとすれば、「リベラル」ではなく「ソーシャル」しかない。
所謂、西洋的な価値観で言うところの、民主主義的な意味での「社会」と言うものは、少なくともエディプス期を通過した心にしか無いものですからねぇ。
今の日本には、「忠臣」みたいな価値観で成り立つ「社会」は心の中にあったとしても、自分とは異なる他者の集合体としての民主的な「社会」を内面化している人がどれだけいるのか、かなり心許ない。
今の日本にはエディプス期以前か、よく捉えても、せいぜい学童期の、先生の言うことをよく聞く(または反抗する)と言うような世界に住んでいる人だらけなんじゃないか。
大企業の重役のいい歳したオッサンでも、マスコミの記者さんでも、この国のエリートのトップである高級官僚でも。
今回、一番恐ろしかったのは(私は戦慄している)、斎藤元彦の「化けの皮」はとっくに剥がれていたのに、その事実をすべて虚偽まみれの物語でひっくり返されて、その物語に自ら嬉々として「飛びついた」大衆が大量に発生したことだった。
だから東京で、石丸伸二の「化けの皮」が剥がれたところで、大衆がその物語を喜ばなければ、簡単にそれを覆す嘘の物語で扇動されてしまうことが予見される…それが恐ろしい。
それから「ソーシャル」がエネルギーを補給されて力を保つためには、大衆の心の中にまず「社会」が標準装備されていることが前提になるのだけど、今の日本の多くの人は、非常にナルシシスティックな世界を生きていて、「社会」が心の中に存在していない(ボリス・ジョンソン…またはサッチャーじゃないけど)ことをどうしていったら良いのか、私には分からない。
From: @yoshiomiyake
https://fedibird.com/@yoshiomiyake/113502093574506647 [参照]
他でも書いたけど、パラノイア心性というものは、すぐになんでも「分かる」(真実が見えた!お見通しだ!)というやつで、「分からない」に耐える力(ネガティヴケイパビリティ)が足りない時にそうなりますね。
そもそも陰謀論に乗りやすい人はその傾向があるんじゃないかと思う。
証拠がないものを一旦「分からない」の箱に入れてペンディングすることがとても苦手。
From: @daisukematsuzaki
https://fedibird.com/@daisukematsuzaki/113502251145954415 [参照]
もっと言えば、そのムチュコたん推しは、女から見たらまさに「私のムチュコ」だし(ジャニタレ状態)、男から見たらボクを重ねている状態なんだと思う。
つまり、母子分離が出来てない状態なんですよ。精神分析的に言えば、母子ともに「エディプス段階をまだ通過してない状態。
女が候補者になるとどうなるのかな。高市早苗あたりなら「真の母」みたいになりそうですね。若い女性だと「可愛い嫁」みたいなかんじなのかな。
From: @nokooco
https://mstdn.jp/@nokooco/113502282025713657 [参照]
あきらかにやっていることがおかしく、正気の沙汰ではないのですが、本人たちはまったく邪気がなく、それをおかしいと異論を挟む人もおらず、誰もがすばらしいと褒め称える(馴染めない人は黙って去っていく)、その状態に異論を唱えると、何をいっているのこの人?扱いをされる、という経験をすると、なるほど、アーレントの描いていた全体主義が生まれた時期の価値観の転倒とは、こういうことか、そして、これはごく普通に起こるのだな、と思いました。
価値観の転倒は、まず、論理を無力化することから起きて、たぶん、アメリカをはじめ、今の日本で起きはじめているのも同じことなので、アーレントの『全体主義の起源』の当該箇所は再読した方がいいのではないかと思います。
戦後機能してきた「健全な民主主義」の思考の枠組みで捉えようとしても、いま起きている現象を捉えきれないように思います。
私は馬鹿には馬鹿って言ってあげるのが一番の誠意ある礼儀作法だと思っている。
言われた方はそれが違うと思うなら堂々しているか又は毅然と反論すれば良い。
そう言われて「どうせお利口さんから見たら馬鹿ですよ〜」とイジケて物陰に隠れて嘘を垂れ流して「大衆」を笠に着て被害者仕草してるヤツには軽蔑しかない。
https://x.com/acco525/status/1858355260840173671?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
扇動に対して、煽動で対抗することで、これ以上扇動に弱い人を量産して、その先に一体何があると思うんだろう…と、私などは思ってしまうのですよ…もしその扇動で首尾よく「勝つ」ことが出来たとしても。
結局、その先に残るのは、今回のさいとう陣営のような薄ら気持ちの悪い、大衆の化け物なのでは?
ポピュリズムの社会って、左右関係なく、そうやって互いに言葉や思考や主体性をどんどん損なって、心の無い大衆みたいなものを量産していくものなんじゃないかと思うんだよな。
そこらにいる普通のオバサンです。私たちの社会を憂う人たちの頭数のひとつとして、自らの五分の魂のために、言いたいことを書き散らします。コロナが怖いから今は引きこもりちう。性格は悪いです。