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今日は通院の日で朝から病院にいたが、外はカンカン照りの30度超えなので体温上昇している方が多いのか、非接触体温センサーの警告音がしょっちゅう鳴り響いていた。
大音量な上に、「ビュイーン!!ビュイーン!!」みたいな音なのがめっちゃ怖い。
一瞬なんの警告音か分からなくて、待合室で固まってしまった。
聴覚過敏ぎみなのもあって地味にすごくしんどい。「ピーピー」くらいの軽めの音で良いと思うんだけどな……

小説の解説、その作品を褒めちぎれなどとは全く思わないけれど、解説者自身の偏見が発露しているような内容は本当〜に嫌だ。

創元推理は『修道女フィデルマ』シリーズでも、主人公フィデルマの性別や性格や職業や属性について嫌味ったらしいことを書く解説者がちょくちょくいる(多くは作家)ので毎回キレている。
この物語を読んでおいてそれか?と。フィデルマが男性だったなら同じこと言いましたかね??
編集者も解説を頼む人をもっと考えてほしい……

そういう解説を書いてる作家の本は私はもう二度と買いませんと思っちゃう。
自作への評価ではなく他人の本の解説をキッカケに読者が離れるのって割に合わなさすぎると思うのだが、人気作家にとってはなんてことないのかな。

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新装版が出たのを機に初めて読んだミネット・ウォルターズ、1993年の作品『女彫刻家』。
少し引っかかる部分もあるものの面白く読んだのだけど、解説の評論家がウォルターズ作品を「女臭い」と評し、ひたすら嫌味と当て擦りで論を展開させるのが不快すぎて、読後感がめちゃくちゃ悪くなってしまった……。
作家について「女性差別用語を総動員して世の顰蹙をかっても(中略)なお忌避したい嫌悪の対象」とかそんなこと書く必要ある?

この人によると「早い話が4Fミステリなんである」とのことだが、本作が女性作家と女性翻訳家による女性読者のための女性探偵物語などと言うのなら、いっそ解説も女性に譲って「5F」にすれば良かったのでは??
作者/作品とジェンダーを雑に絡めること自体がダメだけど、でも嫌味を返したくもなるわ。

この解説は2000年に文庫化された当時のものを再録しているのだと思うけども、今これを新装版に載せるのならその旨(初出日)を明記すべきだったでしょ。私は最初、普通に今書かれた書評だと思って超ドン引きした。
というかそもそも再録しないほうが良かった……。

新潮社に限らず「何故これを載せるの……?」っていう内容を掲載してるのはどこの誌面でも同じだけど、今日は何だかすごくしんどくなってしまった。

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新潮社のPR誌『波』6月号に載っている元産経新聞記者のコラムの内容がひどかった……。
川口市でのクルド人差別を槍玉に挙げて、「地元住民の声を伝える報道を“ヘイト”と片付けるのはいかがなものか」、「産経や読売以外は“負の側面”に目を向けた報道をしない」と嘆く。

このコラムは元記者の自著『メディアはなぜ左傾化するのか』の宣伝なのだが、編集部は何故これをわざわざ『波』に掲載してしまうのか。
個別の犯罪や事例を属性全体の問題であるかのように意図して結びつけることの暴力性と差別意識が批判されているんですよ。そんなことは分かっていてやってるんでしょうけど。

『波』にこうした内容のコラムを載せても企業イメージを毀損しないと思ってる新潮社の感覚が怖いわ。今更だけども。

世界の様々な女性たちについて書いたエッセイ集は、はらだ有彩『「烈女」の一生』もとても良かったです。

トーべ・ヤンソン、崔承喜、フリーダ・カーロ、吉屋信子、ワンガリ・マータイ、プーラン・デーヴィーなど、抑圧とスティグマと共に生きた20人の人生を綴った一冊。

実を言うと本を開いた時は、他者が眼差した解釈と言葉で誰かの人生が立ち上らされることへの居心地の悪さのようなものを少し感じていたのだけど、そんな葛藤などはすでに著者は考え抜いており、この本は「彼女たちが残した感情の痕跡に、自分の感情を託す本」でした。
「烈女」たち各人ごとに要となる視点があり、その要とフレーズを反復させながらどんどん膨らんでゆく語りが素晴らしかった。

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小林エリカ『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』

マリ・キュリー、湯浅年子、ミレヴァ・マリッチ、カミーユ・クローデル、リーゼ・マイトナー、ヴァージニア・ウルフら、「彼女たち」の生と死に耳を澄ませる著者の真摯さに、私がかの人たちのことを「知り直した」時の沸々とした感情も蘇ってきて、ものすごく揺さぶられました。

個人だけではなく、工場で被曝し放射性障害になった「ラジウム・ガールズ」、ボコ・ハラムに誘拐され解放後に再び「学校へ通う少女たち」、学徒動員された女学生ら「風船爆弾をつくった少女たち」、旧日本軍慰安婦被害者たちとともに日本大使館前に集う「水曜日にその傍らに立ち続ける女たち」など、戦争と無関係には生きられなかった人々の声を聞き逃すまいとする著者の率直な胸の内が迫ってくる。

「偉人」のすぐ側で功績も存在も顧みられず忘れられていった女性たちが心に住んでいるのが自分だけではないことが嬉しかった。
アインシュタインがリーゼ・マイトナーを「我らがマリ・キュリー」と呼んだのは賛辞なのだとしても、私も著者と同じく何度でも繰り返したい。「我らがリーゼ・マイトナー!我らがリーゼ・マイトナー!」

小川公代『ゴシックと身体 想像力と解放の英文学』

19世紀英国のゴシック小説を、「“ゴシック”はつねに政治的な機能を果たしてきた」戦術という視点で読み解く一冊。
引用される作品を未読でも全く問題なく面白いです!

「“ゴシック”とは、因習や道徳に抗う方法論として“想像力”と“倫理”を効果的に運用する近代における新たな装置なのではないだろうか」

ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』においてゴシック小説のお約束である、犠牲となる高潔なヒロインや古城などの舞台装置が「家庭の領域」に置き換わっていることを、「家庭の領域が、ゴシックの基盤、あるいは女性を対象とした暴力、虐待、搾取のトポスとして読み直すことができる」とし、
そこからメアリ・ウルストンクラフトの『女性の虐待あるいはマライア』について「“ゴシック”に常套の展開を家庭の領域に持ち込み、女性にとっての真の恐怖物語を描いた」「当時のイギリス社会に生きた女性の現実的な恐怖やみずからの生命を守ることの価値を示そうとする戦術なのではないか」と論じる章が素晴らしかった。

降矢聡+吉田夏生 編『ウィメンズ・ムービー・ブレックファスト』

冒頭で、この本で取り上げている映画や内容がアメリカ・ヨーロッパがメインで白人の割合が高いという国や人種の偏りと、そうした不均衡が差別への加担ともなり得るという懸念に、制作側が自覚的であることがしっかり語られているのは良かった。
それと「女性映画」と銘打っているのは男女二元論に固執しているのではなく、映画史において「女性」がどのように描かれてきたか、また「女性」の作り手についての歴史を語るためであることも明言されています。

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降矢聡+吉田夏生 編『ウィメンズ・ムービー・ブレックファスト』

発売を楽しみにしていた、女性たちと映画を巡るガイドブック。
私はChapter 2「彼女たちの映画史」とChapter 3「映画を広げる女性たち」での、鼎談やコラムやインタビュー等が特に面白かったです。

個人的に、様々なトピックで数多くの映画やキャラクターを紹介するChapter 1は、テーマもページ作りも多彩で見た目にも楽しい反面、女性のキャラクター表象における各種ステレオタイプや、「芸術」の追求として女性たちへ注がれてきた視線や撮り方、その暴力の歴史がまとめて可視化されてもいるので、改めて振り返ることになるのが凄くキツかった。
怒りが込み上げてくるし気持ち悪いしで、思いがけずズーーンときてしまった……

上川さんの経験と誠意ある語りに、私もまた自分自身のマイノリティ性だけを見て他の属性については深く知らないままに生きてきたのだと、改めて突きつけられた。

「これまで自分の「部落」というマイノリティ性にばかり目を向けていた私自身も、「部落」「女性」という以外の属性で見ればマジョリティ特権だらけであり、自分が困っているわけではないからと目を向けずにいることで、差別の温存に加担していることが数え切れないほどあるということも感じずにはいられなかった。」(p186)

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上川多実『〈寝た子〉なんているの? 見えづらい部落差別と私の日常』

部落出身の両親と部落ではない地域で生まれ育った著者が、幼少期から日常の中で起こる周囲とのギャップに対して何を思い、どのように向き合ってきたのかが、つぶさに記されている。
差別とその矮小化への戸惑いと憤り、両親も属する組織としての運動内部の抑圧とその在り方への疑問、大きな運動を離れ別の方法を探し実践してきた過程、他の属性のマイノリティが受ける差別と自身のマジョリティ性を知ったこと、そして子育てにおいて二人のお子さんとの接し方など、誠意にあふれた思考と実践が丹念に綴られており、すごく力をもらった。
個人的に人生ベストに入る、素晴らしいエッセイでした。

今日は早起きして家の前の側溝の泥上げを済ませ、庭の草むしりと羽衣ジャスミンの植え替えも完了。シャワーを終えたら疲労で起き上がれなくなりましたが、先に夕飯用のお弁当も買ってきてあるので今日はもう何もしません。
これで町内会の春の定例ミッション(町費、総会、側溝泥上げ)が全部終わったので、気持ちがめちゃくちゃ軽い〜!

昨年班長を引き受けてくれた方は、事前に「4月⚪︎日×曜日の△時頃に町費を集めに訪問させてもらいます。〇〇さんの町費は△△円です。日程のご都合が悪い方はご連絡ください。」といった内容の書面を配ってくださって、めちゃくちゃ効率的で感動した。
町内会に対して、こうした会社組織的コミュニケーションを求めすぎるのは良くない(出来ない方も、逆に合わないと感じる方ももちろんいらっしゃるので)と分かっているのですが、自分の特性的にはこうして予定が確定事項になるのは本当に助かります……

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うちの町会では例年、各家で一年持ち回りの班長さんが4月最初の土曜か日曜に町費を集めに周って来られるのだけど、私はこういった「不確定な予定」が苦手すぎるため、待つだけの時間が本当に苦しい〜

何事にも取るべき対応を先回りして考え準備せずにはいられないタイプなので、「(班長さんが)今日来るのか来ないのかも不明だが、確率的には来ると思われる」ような、自分からの行動はできずに宙ぶらりんな状態に置かれるタスクが一番苦手です……

佐々涼子『夜明けを待つ』

技能実習生が送り出し機関で学ぶ日本語学習は、スタンダードな「です・ます形」ではなく、現場で働くにあたり真っ先に必要な日本語の「どけ!」「やめろ」などの「命令形」「禁止形」であること。

日本語も母語も年齢相応の言語力に達していない「ダブルリミテッド」の子どもたちへの支援の現場では、文化の違いによる差異によって日本人に失礼な態度だと誤解されないための礼儀作法を教え込んでいること。

これら日本語学習における様々な取り組みを紹介するルポ内容の中で、支援現場の皆さんがあまりに「日本的ふるまい」を重視しているように思えて戸惑ってしまったのだけど、しかし私が「こんな悪しき“日本での常識”や“ルール”を身につけさせるなんてバカバカしい」などと感じても、それは今この国で実際に生活している「外国人」の助けには何ひとつならないのだということを突きつけられた。
自己責任論が蔓延るこの日本社会では、こうした処世術が言葉通りの意味で身を守る術となる暮らしの現実に対して、知識も実感もぜんぜん足りていなかった。

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佐々涼子『夜明けを待つ』がとても良かった。

日本製紙石巻工場の震災復興のノンフィクション『紙つなげ!』や、『ボーダー 移民と難民』などの著作がある佐々涼子さんの、エッセイとルポルタージュをまとめた一冊。

技能実習生の現状やダブルリミテッドの子どもたちへの支援についてのルポでは、「日本人が心情的な鎖国を解かなければならない日がやってくる」と佐々さんが書く一連のルポは2013年のものだが、今も何も変わっていないことに暗澹たる思いになる。

身近な人たちの死と自分自身の死について思いを巡らせる本でもあったのだけど、著者のご病気とあとがきの内容が受け止められず、最後の文は未だにしっかり読めていません……

障害者の権利保障については、清水晶子、ハン・トンヒョン、飯野由里子『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』が良い入門書となると思う。

障害の「個人モデル」と「社会モデル」の考え方や、障害者の社会生活上の不利や困難を「思いやり・善意」で解消しようとする考え方の問題点、ならば「一般の人」に必要な視点とは何かということが、対話形式でとても分かりやすく理解できます。

「障害者差別解消法」で法律が変わっても、マジョリティの障害問題に関する受け止め方が相変わらず「思いやりと優しさ」であるため、「自分たちに余裕がない時にはしなくても許される」という感覚が広がったままになっている、という話も出てくるのだけど、この数日のSNSを見ているとまさにその感覚が全く更新されていないんだな……と思う。
1990年代のキャッチフレーズ、「心のバリアフリー」のまま。

SNSが社会全体を映しているわけではないとはいえ、事あるごとに排他的な意見が噴出して止まらないのを目の当たりにするたびにちょっと絶望してしまう。

知らなかったことや考えたことがなかったこと自体が問題なのではなくて、そもそもSNSでその議論を目にしているということはつまり「自分が知らなかったこと」や「自分がこれまで思っていたこととは違っていた」意見も同時に見えているはずなのに、それでも尚、差別的な主張をひたすら続けたり「素朴な疑問」を投げ続ける自分自身については何らの疑問も持たない人がこれだけ存在することが見えるのが一番しんどい。
それが「いいね」の数で可視化されてしまうのもキツイよ。

この「気分が悪くなって」というのは嫌な気持ちになるという意味ではなくて、吐きそうになったり具合が悪くなったりと本当に体調に異変が生じた人がたくさんいたという意味で、たとえ画面越しでも目の前で今まさに起きた暴力というのは、程度には関係なくものすごくショックだし恐ろしいとあの当時は改めて実感したんですよ、当たり前のこととはいえ。

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