SNSが社会全体を映しているわけではないとはいえ、事あるごとに排他的な意見が噴出して止まらないのを目の当たりにするたびにちょっと絶望してしまう。
知らなかったことや考えたことがなかったこと自体が問題なのではなくて、そもそもSNSでその議論を目にしているということはつまり「自分が知らなかったこと」や「自分がこれまで思っていたこととは違っていた」意見も同時に見えているはずなのに、それでも尚、差別的な主張をひたすら続けたり「素朴な疑問」を投げ続ける自分自身については何らの疑問も持たない人がこれだけ存在することが見えるのが一番しんどい。
それが「いいね」の数で可視化されてしまうのもキツイよ。