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ここ一週間ほど、毎晩ホラー・スリラー映画を観ていました。気持ちがしんどい時ほど、ホラー映画ばかり観てしまう。

『ポゼッサー』
『女神の継承』
『キャンディマン(2021)』
『ティル・デス』
『地下室のヘンな穴』
『ブラック・フォン』

ホラー小説は新しく買うたびに真っ先に読んでしまうので、ストックが無い。
もっと世界各国の、怖いお話や奇妙な物語を読みたい……!

短編ドキュメンタリー発表での冷遇に比べて、長編ドキュメンタリー部門で受賞した『ナワリヌイ』は、奥さんやお子さん達も登壇して、奥さんのユリアさんのスピーチで「感動的」に盛り上がっていたけれど……。
これも別の意味でマジで怖かった。

『ナワリヌイ』受賞を受けて、日本でもナワリヌイ氏を英雄視というか、リベラルな人格者として捉えている人が多いように感じて、ちょっと驚いている。
ドキュメンタリー作品『ナワリヌイ』の評価と、ナワリヌイ氏の政治信条や思想への認識は切り離して鑑賞されていると思っていた。

アカデミー賞での会場の好意的なムードは、プーチンによるウクライナ侵攻への批判を反映したものだとは思うけど、でもプレゼンターのリズ・アーメッドとクエストラヴが発表時に感極まってるのを見て、みんな普通によく知らないのでは……!?と思って怖い。

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アカデミー賞で、短編ドキュメンタリー賞での受賞スピーチが遮られたことへの批判が起きていると知ったが、これは私も観ていて本当に不公平だと感じた。
受賞者が複数人いる場合に、2人目のスピーチが許される人と許されない人がいたので、この差は何なの??とずっとモヤモヤしながら観てた。

短編ドキュメンタリー賞受賞の『エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆』は、スピーチ時間をオーバーしたわけでもないのに「2人目はご遠慮下さいね!」みたいに音楽が流れて遮られてしまったのに、直後に発表された短編アニメ賞では2人目もスピーチOKだったので、何なんだよと。
グニート・モンガさんを「インドの製作者で初のアカデミー会員」と紹介しておいて、スピーチはさせないって何……!?と残念だった。

発表順が前後にもかかわらず差があった上に、前者がインド人女性2人で後者がイギリス人白人男性2人だったのも、余計にうわっ……と思ってしまう。
他にもメイク・ヘアスタイリング賞は2人目NGだったのに、美術賞は2人目OKだったり。賞に優劣があるように感じられて、嫌だなあと。

短編アニメ賞発表の後はすぐにレディー・ガガのパフォーマンスだったから調整があったのかもしれないし、生放送で大変なのだとは思うけども……なんだかなあ。

様々な指標の数値から、世界各国との比較において日本のちょっと凄まじい状況が見えてくるようになって、もう何年も経つけど、それでも多くの人が「何も問題ありません」みたいに普通に生活してるように見えるの、本当に怖すぎる。

ウラジーミル・ソローキンの新装版2冊、『愛』と『ロマン』を初めて読んだ。

真剣に筋を追っていると突然全てが崩壊する、強烈な読書体験だった。
読んで良かったかというと何とも言えないのだが、しかしこの衝撃は凄い。
とはいえモラルは皆無だし、汚いし、色々な意味でヤバいので、人には全然おすすめできない……。

『ロマン』は、チェーホフやドストエフスキーなどの王道ロシア文学を感じさせる壮大な「前フリ」である第一部と、その後の第二部の落差が本当に本当〜〜に凄まじかった。
あの第一部を作り上げたテクニカルさには、読後、改めて感動する。厭すぎるが。

先に短篇集の『愛』を読んだのだけど、情緒や思考が途中で完全にぶった斬られて行き場がなくなる作品のオンパレードで、このソローキンの作風・ヤバさを知らずに『ロマン』を読んでみたかったな。
たぶん人生で二度は無いような衝撃の読書体験になったと思うので、読んだ順を後悔している。

そして今朝初めて今日のアカデミー賞の司会がジミー・キンメルと知ったのだけど、エブエブ旋風が起こるか!?とものすごく期待が高まってる時に、過去にアジア人蔑視で何度も問題になってるジミー・キンメルが司会するんかい……と思ってしまった。

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今年のアカデミー賞授賞式、主要部門は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の席巻で、本当に変化してるんだ、と思った。

ただミシェル・ヨーがアジア系で初の主演女優賞受賞したことはめちゃくちゃ嬉しいんだけど、そもそも非白人の受賞は21年前のハル・ベリー以来と知って、今さらながら驚愕している……。
ハル・ベリーをプレゼンターに呼んだのはミシェル・ヨー受賞が堅いと目してのことだったのか知らんけど、喜ばしいとはいえグロテスクでもある……マジでこれから更に変化してね……!?

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』、昨日観てきた!

石のバースでの、エヴリンとジョブが思念(?)で行う会話のやり取りがめちゃくちゃ良くて、ボタボタ泣いてしまった。
小学生の時にずっと「生命とは?思考とは?宇宙とは?」とグルグル考えていた頃の切迫感や寄るべなさの感覚が甦り、今こんな画を劇場でバーーンと観られたことに感動。

エヴリンとジョイの母娘の最終的な選択と帰結について自分の咀嚼と納得は、これまで読んだアジア系移民/その子供による物語やエッセイやその人自身(イーユン・リー、ジェニー・ザン、オーシャン・ヴオン、ミシェル・ザウナーなどが)重なって観ていたから、それにだいぶ引っ張られているかもしれない。

それと私自身がジョイくらいの時分から家族の介護、ケアをしてきてるせいなのか、断ち切るのも簡単には出来なかったり、別の道も分かってはいるけれどあえて選択する状況や気持ちについてを、どうやら自分は肯定的に捉えているんだな…と気づいた。そういう意味で、個人的な感慨がものすごかった。
でも有害な関係性、去るべき状況があることももちろん分かる。

ちなみにパンフレット、この作品を何故この人にコラム&インタビューさせてしまうんだ…人選を考えて下さい…。

奨学金返済と出産を結びつけることを少子化対策案として挙げて大真面目に議論しようとしてるって、本当に唖然としてしまうな。なんなんこの国……

もちろん個々人の意見の全てに同意できるわけではないけれど、でも少なくともインターセクショナルな視点を持って自らの男性性を見つめて思考している人への熾烈な攻撃はおかしいと思うし、普通に辛い。

私はヒラギノさんのツイートから読んでいたが、発言の内容を理解しようとしないままに「男が主体的に語ろうとするな」「トーンポリシングだ!」と決めつけてひたすら攻撃するのは、正直それはミソジニストのいつもの行為と何が違うんだろうと思ってしまう……。

そうして「男性」を攻撃する人たちが、明確なミソジニーを滴らせてデマや極論やあらゆるヘイトを撒き散らしているような、本来なら「共闘」など絶対にできないし批判の対象であるはずのアカウントにすら、トランス憎しの一点において同意の「いいね」をしてしまっていること、そういう人たちが自分の周囲にたくさんいる問題にはなぜ触れないのか、本当に意味が分からない。

影響力もフォロワーも多い著名なアカウントの人がそれを繰り返してるから、それに引っ張られる人も多くなるばかりに見えて、もう本当にどうすればいいのか……

最近買った本。
すぐに売り切れて買い逃したリディア・デイヴィスの『話の終わり』を増刷でようやく読めたと思ったら、すでに2作目が出ており更に3作目も今月発売と。嬉しい!

今はカイラ・シュラーの『ホワイト・フェミニズムを解体する』を読んでいます。

◆山尾悠子『迷宮遊覧飛行』
◆フェルディナント・フォン・シーラッハ『珈琲と煙草』
◆シャーリー・アン・ウィリアムズ『デッサ・ローズ』
◆カイラ・シュラー『ホワイト・フェミニズムを解体する インターセクショナル・フェミニズムによる対抗史』
◆リディア・デイヴィス『話の終わり』
◆タラ・ウェストーバー『エデュケーション』
◆S・A・コスビー『頬に哀しみを刻め』
◆ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

BT
NYTのトランスジェンダー差別への助長行為、ほんとに恐ろしすぎる。
耳を傾ける気も是正する気も無いとここまで明言するって、ショックすぎるのだが。

トランスジェンダーへの悪質な情報掲載しないよう抗議・請願があったすぐ後にJKローリング擁護の偏向記事を載せていたこと、ちょっと信じられなかったけど、寄稿者たちからの公開書簡を受けてもなお「批判は断固拒否!」の姿勢って、今のNYTどうなってるんだ。これでOKという空気なの?
16歳のトランスの子が殺害された報道があったこの時ですらこんな感覚が許されているの、辛すぎるし許せない。

ユキ さんがブースト

NYTimesが、最近のトランスやノンバイナリーの差別的偏向報道に対して出された寄稿者らによる公開書簡を受け、これがジャーナリズムだ、批判は不当で断固拒否するという文書を出した。これに対し風刺ニュースサイトThe Onionによる強烈な批評。仕事早い。
theonion.com/it-is-journalism-
「存在しなくても記事にします(キリッ」と、仮想世界の眠るチアリーダーのとこで吹いてしまった。

BT、吉田育未さんがシェアしてくれた、カナダで2月14日に行われる「ストロベリーセレモニー」。
私は恥ずかしながら、カナダで先住民女性・少女が失踪したり殺害されている事件が過去30年ほどの間で1200人にも上るという問題を知ったのは、ここ2、3年前でした…。

昨年読んだ、ジャーナリストのタニヤ・タラガ『私たちの進む道 植民地主義の影と先住民族のトラウマを乗る越えるために』(青土社)は、世界各地での先住民へ対する同化政策とトラウマの歴史、居留地で今も続く問題について、自分がいかに断片的な知識しか持っていないか分かる本だった。

ニュースや文学・映像作品から知った事実や問題を、しかしそれ以上に知らない、知らずにいられるのは何故なのか。あらゆる意味で自分が恥ずかしくなる。
本当に広く多くの人に読まれてほしい。

ユキ さんがブースト

BT 北米先住民の多くのコミュニティではいちごを「heart berry」と呼びます。女性の象徴のフルーツとされています(わたしはアニシナアベの人たちから教えてもらいました)。

2月14日はカナダ各地で先住民の性暴力・暴力犠牲者と行方不明女性のための「ストロベリーセレモニー」が行われます。行われる場所は警察署前です。先住民の女性たちが性暴力や暴力の被害にあいやすく、そこに警察権力が大きくかかわっているためです。

わたしもトロントに住んでいるときは毎年参加していました。はじめに開会の儀式やプレイヤーがあり、ドラムの歌などが捧げられます。スピーチなどもあります。抗議の声をあげます。

そしてみんなでイチゴを食べます。イチゴの食べ方も教えてくれます。もしカナダにいる人はぜひ情報をさがしてみてください。

健康における数値の指標が、性別や人種によって基準値が曖昧で悩ましいとのトゥートを見かけて、昨シーズンの『グレイズ・アナトミー』S18でのアフリカ系アメリカ人女性の腎臓移植のエピソードを思い出した。

黒人の場合、腎臓移植が必要な緊急性の高い患者だとしても移植対象外となってしまう問題を描くエピソード。
アメリカでの腎臓移植には「eGFR」値という指標があり、この値によって臓器移植ネットワークの待機リストに載るかどうか決まるそう。

しかし白人と黒人では患者の年齢や病状の重さに差が無いにもかかわらず、eGFR値の差のせいで黒人は移植リストに載せてもらえないことが度々あると。
eGFR値が人種によって差が出る理由は、黒人は計算式に乗数が追加されるため。なぜ黒人にだけ乗数を追加しているのかというと、黒人は筋肉量が多いからという根拠の無い「推測」で。

黒人は白人よりも痛みに強いだとか、骨密度が高いだとか、昔から存在する人種への間違った思い込みが未だ医学的指標に残っている、と。

そんな大問題が今も温存されていることに驚愕したけれど、日本でも現状にそぐわない様々な指標が残っている話はたくさん聞くし、自分もその都度声を上げていかないと…と改めて思う。

カトリオナ・ウォード『ニードレス通りの果ての家』、読了。

語り口がとても好きだった。「ホラー」の形を取っているけれど、苦痛と恐怖に直面した人への、はっきりと希望の物語と感じた。
普段はこうしたタイプの小説は敬遠する人にも読んでほしい…!帯やあらすじを読むと躊躇するかもですが、エゲツない系のホラーやスリラーではないので…。

テッド、オリヴィア、ローレンの秘密は序盤で察したが、それは作者があとがきで明かす、この物語に込めた「サバイバル」への想いが全編に渡って感じ取れるからだと思う。
だから読んでいる最中、一度も「気持ち悪い」と思わなかった。
私はミステリやスリラーの仕掛けとして「これ(ネタバレになるので伏せる)」を描くフィクションが嫌いなのだが、この作品はテーマに対してとても誠実な小説と感じた。

黒猫オリヴィアの勇気も、すごく良かった。
「尻尾が逆立ち、怒りの刃になる。先っぽに点いた火がわななく尻尾を炎に包み、わたしを燃えたたせる。(…)これはわたしの思いが生んだもの、わたしの火だ」

二見書房の問題、セクシュアルマイノリティの人権と差別に対する認識の浅さを開陳した宣伝ツイートも、その後の対応も、今日の謝罪も全てが酷いけど、会社の体制はどうなってるのだろう…。

元々あのTwitter公式アカウントのことは個人が私物化した運用してるように見えて嫌だなあと思っていたので、今日の謝罪文(謝罪になってないけども)の中で殊更「編集部一同」を強調していることに違和感あった。持ち回りで運用してたの…?
ツイートで謝罪を済ませて正式にプレスリリース出していないとはいえ、「編集部一同」と会社代表はこの謝罪文を回覧・確認して、その上でオッケーを出したんかと思うと、Twitter担当者の倫理観どころか、もう二見書房のことぜんぜん信頼できないよ…

それとWOWOW生放送でアワードを観るたびに思っているのだけど、スタジオのメンバーから差別・偏見的な意味合いでの不見識コメントが出るんじゃないかと毎度ヒヤヒヤ・イライラするのも本当に嫌なんですよね…。
今回のグラミー賞ではスタジオのターンはあまり観ないようにしていたけど、リゾの苦しみに言及しておきながらそれを「美しいストーリー」と表現したり、サム・スミスとキム・ぺトラスへの誹謗中傷や加害を「有名になればヘイターも多くなる」とか言って済ませてたり、2人のパフォーマンス後に「敬虔なクリスチャンはチャンネル変えたのでは」とか……本当に聞きたくないよ(最後のはジョン・カビラさんが諭していたけれど)。
こういうことに触れるたび、めちゃくちゃしんどくなる。

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今年のグラミー賞もまたなんだか釈然としないまま終わってしまった…。
投票権を持つ会員の動向次第だから、もう変に期待するのも虚しいとは思ってるけど、でも結局毎年観てしまってやはりモヤっとして〜の繰り返し。
ハリー・スタイルズの受賞直後に始まったJAY-Zのパフォーマンスは、正直どんな気持ちで観ればいいの…?と思った。

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