この方のどこをどう評価しているだろう。
私には、全くわかりません。
京都市、3年間の市政戦略を策定へ 特別顧問に上山信一氏
日本経済新聞 2024/09/26 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF2640P0W4A920C2000000/
つい近頃、共産+市民VS立憲も含めた京都市長で僅差で当選した、元経産省の松井考治。
市特別参与6人の内、すでに今井尚哉、鈴木寛と安倍の側近だった経産官僚を2人。植田浩は総務官僚だが、松井知事の時にすでに大阪府副知事。これに、美術品のデジタル保存、オリジナルは「ごみ箱へ」の、の元運輸官僚、維新お抱えでまだ斎藤兵庫県知事を擁護している上山信一である。
これでは京都市役所が経産官僚と維新に「のっとられた」と見られても仕方あるまい。
ちなみに今井尚哉の叔父の今井敬は真日本製鉄社長、経団連会長、日本原子力協会会長を歴任。今井家と安倍家は姻戚関係にもある。
その上、鈴木寛(前総長予定、上山信一(副学長)、といったいどこまで欲が深いのかそこが知れない。 [参照]
また岸政彦氏が「アベノミクス」景気が良くなった」という駄法螺を吹聴しているらしい。
この岸という詐欺師、マスコミはやたらと好きだが、あまりも「いいかげん」なので、最近は「作家」となのっているらしい。
ちやほやされて、最近はペットとのツーショットもXに挙げているらしいが、どうも芸能人気取りのようである。
ペットと言えば、経産省に飼われて「風評加害」を法的告訴の対象にと叫んでいる開沼博が登場する、講座「社会学 環境」の巻はまだ刊行されていないようだ。
このラインナップは開沼以外にも原発芸人が一人、あとは民俗学崩れが一人、「公害」という概念は消え去っていた筈。
公刊されれば、私は必ず批判するので、そのおつもりで。
[参照]
岸◯彦がまた「アベノミクスで学生の就職がよくなったのに」言い出ししてる。それ団塊の世代が徐々に離職していくなかで人手不足の懸念から人材確保せんとマズいんちゃうかって話なのでアベノミクス云々は言うほど関係ないのでは?とずっと思ってるんだけど違ったらすいません
京都市、すでに5人の特別顧問がいるということなので、調べてみました。
(以下、敬称略)
なんと、
・今井尚哉(内閣官房参与、三菱重工業顧問)
・鈴木寛(元文部科学大臣補佐官、日本財団ドワンゴ学園準備会顧問)
とすでに2人の元経産(通産)官僚がメンバーにいます。
また、
・植田浩(元総務官僚)
は、松井一郎知事(維新)のときに、大阪府副知事をしていた人物。
つまり、いまの京都市の特別顧問のうち、経産・維新関係者は5人のうち3人。
今回、そこに上山信一が加わって、6人中4人が経産・維新関係者となります。
QT: https://fedibird.com/@chaton14/113207917809696035 [参照]
さて、今日の東京新聞の1面の自民党総裁選の見出しは「非核三原則見直し・アジア版NATO」である。これは極めて「まとも」
ところが6面には中島岳志氏が「星野智幸のリベラル批判」と太字で書いたリード、「リベラルを自任する人たちは、絶対的な『正義』に依存し、自分達こそが「正しさ」を担っているという自意識」を強くもっている」などと壊れたテープレコーダーのような凡庸な懐メロを書いている。
私自身は「リベラル」ではなく、「左派」だと思うが、絶対的な的な「正義」を自任する自意識をもつリベラル」なんて人、ほんとうにいるのか?
中島氏本人はご自分を「保守」だと仰っている。いやはや。ついで「文学の力を信じる」などと面白いことを言っている。彼の書いたものを眺めると、海外の大家は勿論漱石・鴎外さえ読んだ形跡が見当たらない。
これでは、ごく普通に星野智幸を批判している平野啓一郎の方がはるかに「まし」。
ところで、中島氏の最初の本に女性の東大教授第一世代長崎暢子さん(インド研究者)が推薦の帯を書いていたのを思い出した。長崎さんはインド大反乱の研究者であり、私も彼女の本は全て読んだ。
長崎さんは樺美智子と同学年であり、長崎浩と結婚していた時期もある。とにかくあの「帯」は長崎さんにとって残念なことだった。
アジェンデ(大統領)といえばラテンアメリカ文学の雄フリオ・コルタサルとも縁が深い。
かつて自嘲気味に「美的領域に関する出来事以外、一切の世事に対してブルジョア的盲目を貫く」と語っていた作家は、年を経るごとに現実世界への政治にコミットしていく。カストロと親交を持ち、チリのアジェンデ政権を支持し、明確に革命支持の立場に立ったニカラグア紀行まで発表する。サンディニスタ!ザ・クラッシュである。支持せずにはいられない。
そんなコルタサルを翻訳者の寺尾隆吉は、後年コルタサルは政治にかまけて真面目に小説を書かなくなったと発言している。寺尾氏は翻訳では良い仕事をしているが、マヌエル・プイグを軽薄な作家としたり、イサベル・アジェンデを「安易」と切って捨てるなど、個々の文学の評価には全く同意できない部分もある。
これって、文学、音楽、映画、あらゆる分野において「表現から政治につながる部分を徹底的に忌避する」日本の風潮の一つの現われだろう。
しかし、「百年の孤独」「族長の秋」「戒厳下チリ潜入記」、「精霊たちの家」、「蜘蛛女のキス」、これらの作品を政治を抜きにして読めるわけがないのだ。
社民、立民と維新の連携けん制 「選挙協力あり得ず」
2024/9/26 - 共同通信 https://nordot.app/1211872252167242330
映画「テルマ&ルイーズ」をアマゾンプライムで見ました。
・「テルマ&ルイーズ」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09PRG92BN
最高の映画でした。
みてよかった。
すでに古典的な有名作品ですが、今まで未見で、
もうすぐプライムでの配信終了と出ていたので、この機会に見ました。
あらすじも結末も知っていたのですが、テンポがすごくよくて、状況的には追い詰められていってるのに、主人公の女性2人がどんどん開放され自由に向かって疾走していく、
予想外にさわやかな気持ちになる映画でした。
ルイーズ役のスーザン・サランドンは、間違っていることに対して躊躇なく声をあげ、発言を行うことでも有名です。
最近も、「イスラエルのやっていることをアメリカが支援するのはおかしい」、「自分たちが払っている税金がジェノサイドのために使われるのはイヤだ」と訴えかける行動をしています。
・Al Jazeera speaks to Susan Sarandon as she lobbies for a Gaza ceasefire(18 Feb 2024,Al Jazeera)
昨日、東京新聞創刊140周年記念号の編集局長との斎藤美奈子さんの対談を読んで、少し期待したのだが、今日の中島岳志の「論壇時評」を見て、がっかりした。
中島岳志という人は、勿論知ってはいたのだが、「あまりにも知的にレベルが低く」、とは言えマスコミで「維新」を批判しているらしいので、敢てこれまで言及せずにきた。
しかし、「星野智幸のリベラル批判」と題して論壇時評全部を星野擁護に費やしているとあっては、無視するわけにもいかない。ましてや、「朝日」でも「毎日」でもなく、「東京」で、とあっては尚更である。
中島岳志氏は「中村屋のボース」で西部邁などから後押しされてデビュー、西部の「発言者」などの常連となる。
まるで、アジア主義(特にインド)通であるかのように、振る舞って「リベラル保守」を名乗っているが、彼がヒンドゥー語も読めず、しばしば孫引きするバークもトクヴィルも読んだことはないことは明白である(捲ったことはあるかもだが)。これは知っている人なら知っている噺。
私も生活クラブ生協の雑誌で彼の「保守」(バーク・トクヴィル)噺が、まるで「デタラメ」だったことをよく覚えている。
しかし、東京新聞、記事は良のものも多いが、人文・思想・理論・書評が極めて弱い。これが課題になるだろう。
ところで、ドイツや米国では、哲学者フォエルバッハより、父の刑法学者アンゼルム・フォイエルバッハの方が、現在でも遥かに知られている。
アンゼルムはヘーゲルより4歳上の1775年生、イェーナ大学にてカント哲学、ライプニッツ、ルソー、ロックなどを学ぶ。
しかし、23歳で結婚、ルードヴィヒ・アンドレアスをはじめ多くの子供をもうけたアンゼルムは、生活の必要から哲学から法学へ専攻を転換(ただし哲学学位は取得)。
1799-1800年に『実定刑法の根本原則及び根本概念の省察』、1801年に『現行ドイツ普通刑法綱要』を出版。
「罪刑法定主義」を明示した後者の著作は19世紀後半までドイツの大学で刑法の教科書として使用され、アンゼルム・フィエルバッハは今でも「近代刑法の父」と言われる。ちなみに、フオイエルバッハは、ウィーン体制下のフランス法典編纂論争にも介入、ティボーに左袒している。
またフィエルバッハ父は1861年まで効力をもったバイエルン王国刑法典編纂に関与。この刑法典は1886年にアルゼンチンに継受された。
5人の息子の内、長男は考古学者、その息子が後期ロマン派の画家として有名なアンゼルムで、そして4男が、かの哲学者ルートヴイヒ・フォイエルバッハ、ということになる。
WWII後、日本では大学におけるマルクス学が一時(今はほぼ消滅)隆盛を極めた。経済学以外の、哲学・倫理学の世界では、マルクス主義者は研究としては、ヘーゲル、フォイエルバッハ、ヘーゲル左派に向かった。
というのも、マルクスには所謂「哲学」的著作と言えるものはほとんどないからだ。マルクスはある時期から「哲学批判」に向う。
とは言え『資本論』も「経済学批判」であるから、マルクスはいつも既成の体系の批判を反復していたとも言える。
ところで、フォイエルバッハの主著がほぼすべて翻訳されているのは、少なくとも私の院生時代は日本くらいではなかったか、と思う。これは有難かった。
フォイエルバッハを読むと、マルクスの批判がいつもながら、一方的な裁断であることがよくわかって面白かった。
ところで、WWIIのヘーゲル左派の哲学的研究としてずば抜けているのは、廣松渉の批判的弟子であった大庭健さんのマルクス=シュティルナー論である。
すでに亡くなった大庭さんは東大闘争の際、最後の最後まで粘った一人で、分析哲学、数学基礎論、ルーマンのシステム論に通じたずば抜けた秀才だった。世間的にはこちらの方で有名だと思う。
私は立場は違うが、院生の時、随分胸を貸してもらったことには感謝している。
この「緑豆の花」、以前も紹介したような気がしますが、甲午農民戦争をチョン・ボンジュンを中心に扱った大河ドラマ。
つまり、韓国では、これが標準的な日本による植民地化の過程に関する知識と見方、目安になります。
これは日本の近現代史の知識とは大きく異なります。また新書などを読んでも、人物や党派の駆け引きなどが複雑に感じる方も多いと思います。こういう場合、大河ドラマでだいたいの流れを掴んでから本を読むと、くっきりと理解できます。
例えば、高校日本史で習う「観応の擾乱」、これは普通、高校時代の暗記では「なにがなんだかわからない」。この場合も、真田広弘之が足利尊氏を演じた「太平記」を見てから、新書などを読むと、全然違う筈です。
それにしても、この「緑豆」、福澤諭吉と慶応、それに福岡の玄洋社の朝鮮侵略への関わりも描いており、この辺りは高校日本史まででは「知らない」ままになる。
また日本の所謂「アジア主義」の欺瞞性を知る上でもとても重要な視点です。 [参照]
今日は、東京新聞の発刊140周年記念日だったらしい。
そこで、2面に、ドーンと「祝 東京新聞創刊140周年 お祝い申し上げます」と言葉とともに、地平社の広告が出ている。地平社立ち上げの際に上梓された、私の『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』も久々に新聞広告で見た😀 。
12面では東京新聞の140年を振り返る図表、13面では編集局長と文芸評論家の斎藤美奈子さんの対談。
お二人とも「戦後民主主義」をポジティヴなシンボルとして何度も使っている。これは新聞メディアとしては、1960年以来なかったことではないか?ちょっと驚きである。
ここでの「戦後民主主義」は大日本帝国の植民地主義と侵略戦争への反省を意味している。編集局長が「加害責任を曖昧にすると、再び過ちを繰り返すことになる」と。これは他の新聞メディアで見られない文字列だろう。
他にも脱原発、五輪反対、反差別などの方針が明快に示されている。これもなかなかに頼もしい。
ちなみに現在他の新聞は「読売」含め、劇的に部数を減らしているが、「東京」は維持している。つまりリベラル左派支持が首都圏に数十万世帯ある。野田立憲はこの票のほとんど失うだろう。
『地平』が「東京」と連携するなら、一挙にリベラル左派言説が広がる可能性はある。
「暗殺」、「密偵」。
いい映画です。
「暗殺」は今アマプラにはいってます。
・「暗殺」
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M68J9YU/
ハ・ジョンウ(「1987」、「ボストン1947」)に
お目付役の「じいや」のオ・ダルス(「弁護人」、「ベテラン」)がつきそってでてきます。
(ここがちょっとロシア文学っぽくておもしろい)。
あと、最近「シュリ」を見たという方が多いようなので、
同じ監督の「ブラザーフッド」もおすすめします。
・「ブラザーフッド」
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B8K39VC8
ドラマは、毎回おすすめしていますが、
「緑豆の花」をぜひ。
・「緑豆の花」(誰でも3話まで無料)
https://abema.tv/video/title/472-35
・「緑豆の花」(アマプラ会員は5話まで無料)
https://www.amazon.co.jp/dp/B08RG7156V
無料分をみて、先がもっとみたくなったら、レンタルやサブスクで最後まで見てください。
現在まで続く、自由を求めて闘う市民の志が伝わってくる作品です。
「暗殺」(2015) ・「密偵」(2016)
日帝支配下の朝鮮・満州・上海を移動する「独立」運動の闘士たちの映画。
決していわゆる「シネフィル」的な映画ではないが、「密偵」(2016)と並んで、2010年代の「韓国」映画の湧き上がるパワーに溢れている。
日本映画・批評の低迷は、政治・社会と正面から向き合ったよい意味での「大河メロ・ドラマ」をひたすら回避してきたことに一因があると思う。無理につくろうとすると、結局山本薩夫や山崎豊子のリメイクになってしまう。
ここでは詳しくは論じられませんが「この世界の片隅で」(映画)の決定的な弱点は脚本の弱さ、というか悪い意味でのナイーヴさにある。
映画は「総合芸術」なので、いくら視覚的に繊細な絵をつくれても、戦争を扱いながら脚本を決定的にダメであれば、少なくとも私は評価できない。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年