都知事選で2位となり、マスコミで持て囃されている石丸伸二がさっそく馬脚をあらわしたようだ
。
「少子化対策」を聞かれ、「一夫多妻」とは絶句である。日本史において、一部の支配階級以外、民衆は基本「一夫一妻」。明治民法における「家」には妻は一人しかいない。石丸の主張は、「三世帯同居」に戻し、介護を家族(女性)に押し付けようとする「超保守派」の家族観を超えるとも言える。
しかし、どうも仄聞するところでは、石丸は何かを「考えて」ものを言っているようにもみえない。
要するに、たまたま高学歴になった「成り上がり」野郎が、高慢ちきなまま「ミソジニー」を爆発させているだけ、という印象も受ける。
とは言え、これで来るべき政界再編に向けた「顔」作り、いきなり転んだ可能性も高い。
マスコミではまだ、「何か突拍子もないことを言う高学歴の人」といった芸能番組的な扱いですませようとする態度であるけれども、こんな人間が新党の「顔」として通用する筈がない。
今回石丸に(残念なが)投票した女性達も次は見向きもしないだろう。
しかし、「高齢者自決発言」の成田悠輔といい、この「一夫多妻」の石丸といい、本人もそうだが、プロデュースする側も「箍が外れている」。TVがこういう状態だと人心も荒廃するわけだ。
例の「脳科学芸人」中野信子氏は、「週刊東洋経済」にて「リベラルが勝てないのは脳の仕組みのせい」というタイトルでご高説を展開しているようだ。
中野信子氏は三浦瑠麗と比較しても、「派手さ」はないが、なかなかに「世渡り」がうまく、「芸人」としてのキャリアを着実に歩むタイプのようだ。
以前、外食でTVを観ていたら、「東アジア人の数十パーセントは主体的に思考できないことは脳科学に証明されている」と堂々と解説していて、椅子から転がり落ちそうになった。
本来は、いくらなんでも専門
の脳科学の人が、批判しておくべきだと思うが、今や東大の脳科学の人間が脳の記憶をAIに移し、「不老不死」を10年以内に実現する、などとというトンデモプロジェクトで大型研究費をとる時代である(勿論、そんなことはできないことは当の本人がよくご承知の筈。要は研究費のため)。
どうも芸能プロダクションに登録していない研究者にも、「カネと地位」以外の倫理が消失していく傾向があるようだ。
それにしてもかつて石橋湛山が仕切った「週刊東洋経済」もずいぶんと堕落してものである。
ま、それを言えば大正デモクラシーの言論を担った中央公論も同じだけれども。
やはり21世紀のメディアが必要ということで、しつこく『地平』の広告をしておく。
「英国におけるファシズム」
先日の英国総選挙では保守党が壊滅、労働党が11年振りに政権に復帰。
しかし、スターマー労働党はブレアのニューレーバーをさらに「右」(ネオ・リベラル)に更新したもの。
また投票率は極めて低く、多くの有権者が「政治」に絶望したままの状態。
ここで憂慮すべきなのは、ファラージ率いる極右「リフォームUK」が14%の得票率を取っていること。
英国は、長く世界システムの覇権国であったため「反ユダヤ主義」、「極右」とも大陸欧州ほど拡大したことはない。(世界システムの覇権国は「普遍主義」ルールを採用するため)。
しかし、大恐慌以降、モズレー率いる極右政党「イギリス・ファシズム同盟」が上流階級を中心にかなりの支持を集めます。両大戦間の国王エドワード7世はヒトラーと親交があったし、モズレーとダイアナ・ミッドフォードの結婚式はゲッペルスの家にてヒトラーを迎えて1936年に行われた。
近代戦略論の創始者として著名な『制限戦争指導論』のフラーもモズレー派。
首相チェンバレンも独との開戦後もムッソニーニの介してヒトラーとの妥協を模索。
労働者階級の「反ファシズム」とチャーチルの覇権国家への執着によって辛うじて独との講和は回避された。21世紀英国ファシズムの行方は?
BT
以前も紹介した、
札幌地域労組の鈴木一(すずきはじめ)さんのドキュメンタリ
https://www.youtube.com/watch?v=cpxLIKqG_gM
ここで出てくる千歳相互観光バスの話。
この記事を読むと、
鈴木さんと江崎さん、
このドキュメンタリの後もずっと闘って、労働者側の要求がだいたいとおる形で決着したみたいですね。
すごい。
ちなみに、
大学生のときに「政権批判のヤジ」で警察から不当排除された、「道警ヤジ排除訴訟」の桃井希生さんが、その後大学を卒業し、札幌地域労組で働いています。
千歳相互観光バスの闘いでも、桃井さんは活躍しています。
「「会社や政治に不満があったら、どうやって声を上げればいいの」“駆け込み寺”札幌地域労組で活動 札幌地域労組は労働運動で次々と結果も」
https://sitakke.jp/post/9130/3/
#労組 #千歳相互観光バス
#札幌地域労組 #ヤジと民主主義 ##ヤジ排除 #ヤジ排除裁判 #ヤジポイの会 #北海道警
QT: https://rss-mstdn.studiofreesia.com/@asahi/112775696007769020 [参照]
「馬毛島を見ると父の背中を思い出す」…自衛隊基地整備着工1年半、恵みの海を奪われた地元漁師は、人生の追憶までも失うことに抗って、ただ一人反旗を翻す
https://373news.com/_news/storyid/198027/ @373news_twitより
斎藤兵庫県知事 県政史上最低の会見、副知事辞任で四面楚歌に…「告発した元局長が亡くなってもパワハラを証言する人はいる」 https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07130602/ #デイリー新潮
<斎藤知事の会見での発言に対し、SNS上の反応は手厳しい。
《「私自身が生まれ変わって」って言ってましたよね。こんな時によくこんな言葉を使えるよねと人間性を疑った。》
《兵庫・斎藤元彦知事のパワハラの告発者が自殺した事件。知事は「生まれ変わって頑張る」的な事を言っている。告発者の「死」に関連して「生まれ変わる」という言葉を使う無神経さ。絶対に生まれ変わるのは不可能だろう。「そう言う言葉を使っちゃまずいだろうな」とすら思いつかない愚人なわけだから。》
>
原子力市民委員会からのお知らせを転載します。
以下、転載。
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本日13日(土)午後11時から、NHKのETV特集で原子力市民委員会の座長をつとめられ、2018年1月に亡くなられた吉岡斉さん(九州大学元副学長)の足跡をたどる「膨張と忘却 〜理の人が見た原子力政策〜」が再放送されます。
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/VGXW8QJVNX/
7月18日(木) 午前0:00〜にも再放送があるようです。
吉岡さんが亡くなる3週間前に発表した原子力市民委員会の『原発ゼロ社会への道 2017 —— 脱原子力政策の実現のために』で、吉岡さんは主に以下を執筆されました。
・第3章2節(核燃料サイクル)
・第4章7節(原子力防災)
・第5章3節(原発ゼロ地域への転換)
・終章(原発ゼロ社会を創造するために)
https://www.ccnejapan.com/?page_id=8000
委員会の書籍はこちらからセットや割引価格でご購入いただけます。ぜひご検討ください。
https://www.ccnejapan.com/wp-content/uploads/2024/07/CCNE_formforreports2024.pdf
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転載は以上です。
(関連)
このETV特集について、初回放送時の町山広美さんの感想。
「茶番だった原子力政策決定の実態」
https://www.shinmai.co.jp/feature/ayashiitv/2024/03/post-145.html
なにやら、1週間経っても蓮舫への誹謗中傷(批判ではなく)が収まらないらしい。
これはこの所公的な場では「抑圧」されてきた「ミソジニー」の圧縮された爆発、それに実は政府自民党の崩壊寸前の脆弱性の不安のあらわれだろう。
よってたかって、共産との同盟が敗因と囃し立てるが、来る衆院選東京23区では共産党との協力がなければ、立民は「通り様がない」。
ちょうど、国民民主側とリベラル左派が分裂するいい機会なのではないか?今の野田のイメージを引きずっていては、勝てるものも勝てなくなる。
野田に近い所から出発した蓮舫氏にとってはちょうど政治家としていい機会のように思う。野田を切り捨て、今のバッシングを正面からねじ伏せた時、単なる「リベラル」の曖昧な象徴から、「リベラル左派」を結集する政治家へと信用は高まるだろう。
政治家の信用とはそういうもので、「おかしい」とみんなが思っても「いえない」ことを主張し、たとえ石が降り注いでも、信念を貫いた時、獲得できる性質のもの。
要するにヘーゲルが言ったように「炎の上を歩いたことがないものは永遠に炎の祝福を受けることはない」のである。
ところで、安倍元首相銃撃・殺害事件の山上容疑者は、逮捕・勾留されて、もう1年以上たつのではないだろうか?
法律論としては、これは典型的な所謂「人質司法」であり、もう長年国連人権委員会から批判されている案件。
さすがに、東京新聞あたりは東大法学部刑事訴訟法関係者にインタビューしてはどうだろうか?
これを機会に「人質司法」一般を廃止するよい機会になるのではないか、と私などは考えるのだけれども。
また法的な意味での「人権」概念を一般社会にも知ってもらうまたとない機会でもある。
つまり日本社会では刑法犯罪容疑者、また法廷で「有罪」が決定し、服役する「ヒト」にも「人権」がある、ということがなかなか理解されない。
法的人権概念は、その定義上「普遍的」なものであって、どんな「凶悪犯」でもあっても、守られるべき「人権」がある、という建前になっている。
であるからこそ、被害関係者による「報復殺害」は法的に禁止され、手続き的には「推定無罪の原則」にある。
ただし、刑事手続きの運用においては、日本では起訴された場合の有罪率は99%以上であり、これは国際比較においてずば抜けて高い。
これが意味するところは、かなりの案件で「冤罪」がある、ということ。この最悪の例が袴田さん「事件」である。
1959年の「であることとすること」(丸山眞男)の冒頭で有名なった「権利の上に眠るもの」は19世紀のドイツの大法学者イェーリング『権利のための闘争 Der Kampf ums Recht』から引用されている。
イェーリングはドイツ歴史法学・概念法学をローマ法の再解釈を導入しながら完成に導く途上、突如概念法学を批判、所謂「自由法学」へ赴いた。
ところで、『権利のための闘争』で論じられているのは、「私的所有権」絶対不可侵のために、「不断の闘争」が必要である、という趣旨である。
イェーリングは「男らしい」私的所有権のために時には「命を懸けた闘争」をする諸個人によって構成された民族こそ、雄々しい国家の礎となると断定する。面倒だからと言って、私的所有のための闘争を放棄することは、国家の僅かな土地を割譲することと同じという見方。これは「一身独立して一国独立す」の福澤諭吉と符合する。
これは如何にも国家統一がない当時のドイツのそれこそブルジョアジーの思想である。
丸山は福澤の思考様式を評価すが、社会主義者であったので「私的所有権」を擁護したことはない(ただし自由は絶対擁護、念のため)。
従って、このテクストにおいてもイェーリングを脱構築して「民主主義のための不断の努力」を説いたのである。
それにしても牧原先生、同じ先端研でも「あの」玉井克哉とは違う、という自意識はお持ちのようだが、この朝日「コメントプラス」の下品さはなんとかならないのだろうか?
この人、「反共」は元来掲げているのが、「SNSといっても、共産党は十分Xを活用しているが、いかにも同じような投稿が並び、党活動としての「やってる」感は満載だが、広がりがない」と仰っている。
石丸については、「TikTOkなどの新しいSNSやYou Tubeを活用し、陣営以外にも応援に出ているあたりが蓮舫陣営よりも広がりがあった」。
小池については「AIゆりこ」がトレンドになるなど、デジタル化を印象づけていたことも忘れるべきではない」。
「忘れるべきではない」という断言、こういう時に使うものか?
どうも、牧原先生も東大法学部「保守くずれ」の症例として分析の対象にした方がよさそうである。
しかし、「この可愛げ」って政治家に求める形容詞なのか?
さすが、慶応SFCー東大情報学環ー東大先端研の魔のトランアングルの内、2つは押さえているだけあるな―。情報学環と言えば、今は「懐かしき」史上最年少准教授が「反中」ネトウヨで暴れまわっていたところではないか?
池内恵、小泉悠、国末憲人ともに東大先端研のメンバーである牧原出氏は「石丸陣営」は「ゲーム感覚になったようなこと、小池は「AIユリコ」がトレンドになったことを評価し、蓮舫陣営には「遊び」の要素がなかったと宣っている。
いや、この人、専門行政学、広くとると政治学だが、これも何のために学問やっているのか?のレベル。ちなみに牧原氏が安倍晋三を唯一評価している所は、「選挙の後に(だまし討ち的に消費税を上げたこと」とのこと。
先日の「地方自治解体法」案の時も賛成派てして朝日で論陣を張っていた。ここまで行くと「御用学者」の名も心地よく響くだろう。
しかし牧原氏、立民について「セクト的な性格から脱皮できておらず、最初から通用していなかった」と述べる。
これはこれは、大層なごご自信である。まずはご自分の著書『田中耕太郎』の読み直して如何?
あるいは日経や読売で特別に私が書評してあげてもいいよ。 [参照]
現在戦後の利益誘導・調整マシーンだった自民党の最終的解体はほぼ確実となった。
その際、なにがなんでも「共産党」が参加する中道左派政権を成立させてはならない。
大企業と超富裕層に奉仕し、人口の99%は切る、冷酷なウルトラ新自由主義政権へと誘導する、この流れをつくらなければならない。
勿論代議制民主主義の建前をとっている以上、投票者の多数は確保するために、「ポピュリズム」のみせかけは必要。
しかし、心配することはない、リハーサルは大阪、近畿で実行済み。
今回の都知事選もこの構図のテストとしては、まずまず。
ただし、萩生田の手下を選対本部長とし、大阪維新の東京進出を担当した「選対請負屋」藤川晋之が圧倒的な物量とTV/新聞メディアを動員したにしては、まだ不安が残る結果である。
何と言っても、都議の補選では自民は2勝6敗。来る衆院選でも東京1人区の立憲議員はどうしても共産の票を貰わねば勝ち目はない。
しかし、この「選挙の神様」藤川氏、元来田中角栄の秘書として習得した物量戦術を今回も応用。「3分演説を2回すれば、名前を覚えてもらえる」、つまりメディアで石丸の名前を流せば流すほど「サブリミナル効果」は期待できるというわけだ。何と言っても「蓮舫」はケチをつけるためにしか出ないのだから。
小泉フィーバーとかのあと、自民党は
もう20年とかくらいずっと、
「反自民票」や「浮動票」を、野党ではなく、
「新しい改革者」の顔をした、自民の「仲間」に投票してもらうための「試行錯誤」を繰り返してきました。
そもそも維新がそうだったし、
(いくらタレントとして有名になって多少お金を稼いだとしても、橋下氏個人で選挙を闘って、ここまで広げられるわけがないですよね)
最近は「有名大卒でしがらみがないクリーンなイメージで何か新しいことをやってくれそう」という人を、自民党がプロデュースして地方の首長選に出す、というパターンはかなり定着してきた気がします。
「反自民」票をそういうかたちで回収されないために、どうするのか。
ちゃんと向き合うべきだったし、今からでもそうしなければと思います。
今回、蓮舫陣営の政策を、大きなメディアは報道しませんでした。
「どんな人でも安心して暮らせるように」
「非正規から正規へ」
という政策を、もっと多く知らせることができたら投票した人は多かったはずです。
メディアが当てにならないぶん、皆それぞれが、周囲やSNSや街頭に、伝えようとしました。
効率が悪い、かもしれません。
でも、野党・市民が自覚的にそういう「草の根」を普段からやっていくしかないのでは、と思います。
丸山眞男の「であること」と「すること」、川端の「女であること」に対する批評がボーヴォワールの「第二の性」を踏まえていることは、投稿しました。
さらに言うと、この論考のタイトル自体が、サルトルの『存在と無』第四部「もつ」・「為す」・「ある」ことへのオマージュであると言えます。ただし、丸山とサルトルの思想は、かなり異なる部分もあります。
ちなみにこの丸山の文章、「民主主義」は、憲法第12条の「不断の努力」を引いて「自由と同じように「民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義であり得る」とします。
その例として「人民の側からは指導者の権力乱用を常に監視し、その業績をテストする姿勢をととのえる」ことを訴えます。
また現在の代議制の下では「プロ」の政治家=「政治屋」の暴走は民主主義は「非政治的な市民の政治的関心によって、また政界以外の領域からの発言と行動によってはじめて支えられる」とも主張する。
現在の政治屋の腐敗、例えば晴海・築地・神宮外苑の案件、また米国の支持によって急いで軍事費倍増したために、今年度2千億使い切れなかったなどという「メチャクチャ」な話は、まさに「人民の側からのテスト」によって覆さなさなければ、民主主義は機能しない。
朝鮮人虐殺事件への無視・侮辱なども同様です。
都知事選の「総括」、普段は比較的「まとも」な東京新聞も悲惨だった。
政治部記者達の匿名の座談会は「論外」だが、「投票行動論・世論研究」の専門家枠で登場の早大教授のコメントはひどい。
石丸某のことを「政党基盤をもたない」、「SNSの使用に拠って有権者との距離を縮めた」などとまるで「無党派」の受け皿のように解説している。
実際は、石丸の選対本部長は萩生田の手下、またドトール社長をはじめとする有象無象の大富裕層が資金援助、その上マスコミが総力を挙げて広告している。
その上、吉本に所属するプロデューサーが石丸を主人公にした映画をこの8月に公開する、というのだから、これは練りに練られた自民党と補完関係にある「極右ポリュリズム」計画に他ならない。
実際、血みどろの権力闘争に揺れる自民党はよりによって菅前首相を看板に引っ張り出す程の「人材難」。この所の新自由主義のさらなる加速と日本の貧困化によって利益誘導政治マシーンとしての自民党は近いうちに解体する。
その時、大企業と超富裕層に奉仕し、マスメディアと結託して一時的であれ、政治を牛耳る「極右ポピュリュズム」が必要となる。
それにしても、「投票行動」の政治学とやら、何のために「学問」として存在してるのだろうか?
ここで何度も「似非国際ジャーナリスト」と批判して来た、元朝日欧州支局長にして、池内恵、小泉悠の配下として、東大先端研に「天上った」国末憲人氏が、仏での人民戦線勝利の結果に、「ヒステリー」を起こしたのか、はたまた「確信犯」なのか、メランションを「ソ連の手先」呼ばわりしているようだ。
ここまで行くと、もう「デマゴギー」でしかない。
念のため、書いておくとメランションは元来社会党左派であり、元首相L.ジョスパンにむしろ近い。
今は見る影もない仏共産党は昔「モスクワの長女」と呼ばれた位ソ連と近かった。その点、早くから構造改革路線を採用したイタリア共産党と大きく異なる。
逆に仏社会党は社会主義インターに所属し、ソ連とは激しく対立していた。
ま、この辺りは「無学な」国末氏は知らない可能性はある。
しかし、メランションが党首である「服従しないフランス」の集会で演説しているのを「極左が主導権を取ろうとしている」と叫ぶのは、全くの「いいがかり」である。
党首が今回の予想を覆す大勝利に際して演説するのは当然。これは「確信犯」のデマゴギーだろう。
ま、そろそろ、共に骨の髄からのマクロン主義者として長く朝日の欧州報道を牛耳ってきた東大法学部の遠藤乾氏とともにそろそろご退場願いたいものだ。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年