なにしろ、廃止する館の中には「中央図書館」まで含まれているのだから正気の沙汰ではない。駅前図書館内の貼り紙によれば、廃館はとっくに決定事項として扱われており、新規の図書館1館の新たな開館と、カフェなどの併設によるリニューアルを企図した駅前図書館の存続と引き換えに、残り4館を全て廃止するという乱暴きわまる話。
https://www.asahi.com/articles/ASSB13TVMSB1OXIE03LM.html
さて、今週にわかに可視化された、斎藤兵庫県知事の「公選法」違反疑惑、大きく見ると論点は二つ。
1)例の折田楓氏に広報担当を依頼し、それに対し報酬を支払っていたのか?
2)N国の立花は「斎藤支援」の立ち合い演説に時間を合わせ、ひたすら「斎藤擁護」の正当性をがなりたてていたが、これは相互に「協議」したものだったのか?
「常識」で考えれば、答えは「イエス」しかない。ただし、法的には、「動かぬ証拠」(証言や契約書)出てこぬ限り、「しらを切り続けることは可能」ではある。
こうなると、これは兵庫のみならず日本の民主主義の危機である。
というのも、今回、この脱法的「手法」が罷り通るならば、次から極右勢力(維新、参政党、都民ファ、石丸、安倍派)などは、当選が危ういとなれば、同じ手法を反復できるからである。
つまり、表向きは権力の外に出て「既得権益」を批判することにし、いざとなれば「闇の勢力」を動員する。これで当選して「よし」とするならば、まず「法の支配」は崩壊する。
極右と「闇の勢力」の動員できる膨大な資源を考えると、「法の支配」抜きの「有権者50%の多数決主義」は、「ファシズム」への道にしかならないだろう。
ここの所を「法の番人」を自任する方々によくよく考えてほしいものである。
昨日、博士論文審査の「仕事」でかなり久しぶりに駒場に行く。
建物や景観は、私の大学院時代(1990年代)とほとんど変わらない。手描きの立て看板が駅入り口から、並んでいるのも、30年前とほぼ同じ。
ある意味レトロな風景とも言えるが、「大学」らしくて私はこういう風情の方が性に合う。
セメスター制の「はざま」とやらで授業は休み。午後2時過ぎなのに学生の姿はキャンパスに見えず。
近年にしては秋らしい「天高い」空の下、ほぼ一人で銀杏並木の下を歩いていると、まるで30年前にタイムスリップした錯覚に陥りがちになる。
とは言え、そうした感傷にふける暇もなく、その後かなり密度が濃い学問的討議。しかし、この部屋も30-25年前にはよく使った場所である。たしか見田宗介さんのゼミもここで開催された年が多いと記憶する。
また、その向かいの部屋は自主ゼミでよく使い、その当時大半は20代だったゼミの参加者は、現在は北海道、東京、京都、そして中国の大学で教えている(私も歳をとる訳だ)。
審査後、構内でお茶をしながら旧交を温める。ただ、その喫茶店は、私の学生時代は駒場寮であった筈の場所で、そのあたりはすっかり「再開発」されていた。
どうも斎藤兵庫県知事が記者会見を開き、「Oui」を連呼している折田楓社長に「広報を依頼した覚えはない。折田氏の投稿に当惑している」などと釈明しているらしい。
しかし、これは常識的には「苦しい」。もしもし事実であれば公選法違反になる重大案件であるから、法的にしっかり捜査して真偽を明らかにしてもらえばよいのではないか?
ところで、今回斎藤氏の後ろ盾となった実践法人会の明石のガス・土建関係を手掛ける朝比奈社長も、折田楓氏との関係を「否認」している。
しかし、この朝比奈という社長、写真を見ると、大阪維新の松井と瓜二つ。そして安倍派幹部の「裏金議員」西村元経産相と20年来の「相棒」、後援者でもあると云ふ。
この朝比奈氏と西村とツーショットの写真を見ると、まるっきり「松井と吉村」である。
兵庫県知事選の投票分布図を見ると、神戸市沿岸部より明石市がさらに斎藤への高支持率だったが、これは当然。西村組と土建業界の利権を守るために、総力を挙げたのだろう。
維新と関西土建業界、それに経産省と安倍派と来れば、これは全く木庭さんの言う「闇の勢力」のの「結託」である。
さらに「鉄砲玉」立花が突撃する構図を考えると、これは全く「ヤクザ」。それを東京から側面援助しているのが東浩紀と三浦瑠麗となる。
みなさんもご存じの通り、火器自体は日本でも16世紀には、大量に火縄銃として普及していました。ただし、有名な長篠の戦いにおける3千丁の連射は「史実」ではない。
1千ずつわけて、一糸乱れず連射を繰り返すには、それこそ「マウリッツ」型訓練が必要なのです。当時の史料「信長公記」にも連射のことは書かれていない。
このエピソードが人口に膾炙したのは、明治時代の教科書に記載されたため。これこそ、国民徴兵・訓練によりマウリッツ型=近代軍隊の創設を課題にした明治政府によって「つくられた歴史」と言える。
またオスマン帝国セリム1世が1514年にチャルディラーンにて当時常勝無敗だったサファーヴィー朝の騎兵集団キジルバシュをマスケット銃で粉砕、次いでマムルーク騎兵も破ってエジプトを征服したことは、ユーラシアにおける2千年続いた騎兵集団の優位を終焉させる。
さらに1526年にバーブルが劣勢と見れらたパーニーパットの戦いでセリムの戦術を模倣、逆転勝利してインドにムガール帝国を気づく。バーブルはモンゴルのチャガタイの末裔ではある(故にムガール(モンゴル帝国と呼ぶ)が、伝統的な軽騎兵戦術を放棄することで「火薬の帝国」の創設者となる。
ただし、両帝国ともマウリッツ革命以後の欧州諸国の前に後退を余儀なくされるのです。
BT
オーストラリアの海軍が新しく買う護衛艦の最終候補2つに「海自の「もがみ」型」が残った」という記事。
なんとなく、受注できたらいいことがあるという雰囲気が醸し出されていますが、
「もがみ」をつくっているのは「三菱重工」。
もしこの契約が成立しても、
軍事産業である三菱重工がまた儲かるだけ。
そして「防衛装備品の売買」を通じ、当事国(今回は豪)との軍事的な関係が強まることになります。
少し前の日経記事では
「一等地」で売り込む和製防衛装備 武器輸出に準同盟効果」(2024年2月6日)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC148GG0U3A910C2000000/
「増額した防衛予算で国内産業を育てようとする政府の姿勢は日本企業の意識を徐々に変えつつある」
「ここにきて政府が輸出拡大を重視するようになったのは、ビジネスを超えて外交を下支えする意義があるとみたからだ。たとえば日英伊による次期戦闘機の共同開発。英国防相だったウォレス氏は「短い恋愛ではなく結婚だ」と表現した。
開発から運用終了までおよそ40年。その間、戦闘機の中核技術を共有していれば安全保障上、切っても切れない「準同盟」といえる関係が続くことになる」
と政府と日本企業の「軍事重視」路線を説明。
外交も国内産業も軍事が基盤という国になって、いいのでしょうか。 [参照]
そう言えばネトウヨ大王東浩紀も三浦瑠麗とほぼ同じ論法で斎藤の援護射撃をしているのだった。
考えて見れば二人は「あずまん」ー「ルーリー」と呼び合ったSNSネトウヨ・コンビであり、例の2022年の参院選後のKADOKAWA社長夏野剛が主宰するYou Tubeで、石戸諭とともに「統一教会」の側にたって、福島瑞穂さんを声をoffにした上で一方的に罵倒していたグループである。
しかし仄聞する所によると、「ミソジニー爆発」の東、「暇空」やら言うVery Notoriousなアカウントとともに、女性教授を攻撃しているらしい。どうもここまで行くと先はないような気がするけれども。
こうしたSNS知識人、慶応SFCでコネをつくるコンサル・広告屋、挙句の果てに親の資本で起業して「スタートアップ」して非正規の部下に「社長!」と呼ばせて「OUI!」と答え、それをYOU TUBEに挙げる「承認欲求のモンスター」、これが東大法学部生(全員ではないにしても)モデルになるようでは、社会は内から崩れ去るしかない。
一気に問題を解決する妙案は思いつかないが、まずはこの10年で溜まり切った膿を全部出すことから始めるしかない。
現在、世界をカオスに引きづりりこみつつあるUSA。かつて、マルクス主義理論では「米帝国主義」という概念があったが、USAの支配層も冷戦終結後、「アメリカは現代のローマ帝国」と堂々と主張するようになった。
実際、建国の父達も「ローマ共和政」の復活を強く意識していた。上院と下院はローマの元老院と民会に対応する。また一種のキスト教原理主義も建国の際から同伴している。
例えば19世紀後半の「明白な運命 manifest destiny 」。これは中世に旧約聖書ダニエル書から作り上げられた「四帝国支配権移転理論」と呼ばれる終末論的「普遍史」観に依拠したもの。
四帝国とはアッシリア=バビロニア、メディア=ペルシア、ギシリア=マケドニア、ローマ。中世ではこれが神聖ローマ帝国に支配権が移転したとされたが、USAはこれを引き継ぐとする。
この四帝国支配移転理論、一度人文主義者コンリングによって否定されたが、「帝国の進路は西にあり。最初の4幕すでに閉じ。その日とともにドラマが終わるは第5幕。最も高貴なる時代、そは最後の第5幕」詩句が示すように、正にトランプ派のキリスト教原理主義者へと受け継がれた。
ただし米下院の壁画が示すように「帝国の使命」、トランプ派を超えて広く共有されてもいる。なかなかに厄介である。
おやおや、都落ち中の三浦瑠麗氏、神出鬼没で北國新聞に登場らしい。
そこで、なにやら「抗議の自殺をした職員について」の「一面的な」報道が、斎藤元彦バッシングにつながり、引いては辞職にまで追い込んだ、という趣旨のようだ。
どうも三浦氏は「メディア」が「プレイヤー」になり、そこで「ファクト」に対する公平中立な報道ができなくなった、といつもの珍論を展開している。
しかし、私の朧げな記憶では、三浦氏はいつも、権力側、とりわけ安倍・維新側の「プレイヤー」として発言していた。「スリーパーセル」発言などは、本来一発「アウト」である筈なのに、悠々とメディアに出つづけた。
夫の詐欺容疑の逮捕、総選挙での安部派大敗という逆境にもめげず「北陸」から斎藤を援護射撃する「修羅」ぶりはなかなかのもの。
しかし、私は三浦瑠麗というと、どうしても彼女をプロデュースした藤原帰一に連想が飛ぶ。
「風見鶏」の異名をもつ藤原氏、先日も「リベラル」とも解釈できる文章を寄稿していたが、これも風向き次第。
「退官以後は映画を観て暮らす」などと「三代目」らしい見えを切っていたが、実際世界システム論の基礎も理解していない文章だった。これでは東大国際政治学の看板も「唐様と売り家と書かれる」のもむべなるかな。
鈴木道彦先生のなさった翻訳(海老坂先生と共訳)で一番好きなもののひとつ。
最初の行から撃ち抜かれます。
「黒いオルフェ」
(サルトル全集 第10巻 (シチュアシオン 第3) 改訂版)
18世紀仏啓蒙の中ではヴォルテールと共に「穏健派」とされることが多いモンテスキュー(急進啓蒙はディドロ、レナル)。
ただし、男女間の関係についてはモンテスキューはルソーより「急進的」。モンテスキューによれば「男女は本来平等であったにも関わらず男が自己の力によって、また女の柔和さを利用して専制的な立場にたっているのであり、今や本来の平等が回復されなければならない」。この「専制」はモンテスキューのテクスト全体を貫くキーワードでもある。
これに対し、ルソーは男女は生物学的性差に基づき、異なる社会的役割を担わなければならない、とする。「能動性、強さ、意志、天才」は男に、「受動性、弱さ、従順、才気」は女に割り振られる。
女性は家計を担当する妻に、男は政治社会に参加する家長=市民に。この家長=市民はカントにおいても同様。
これが19世紀家族モデルの原型となり、18世紀より女性の地位は低下していく。モンテスキューは女性の地位がブルジョアより相対的に高かった18世紀貴族社会のモデルをさらに急進化しらとも言える。というのは、モンテスキューは貴族による王権の規制を唱える「過激な」保守主義者でもあるからだ。
ドイツではフィヒテは家長モデルを捨てるが、ヘーゲル、サヴィニーによって再び家長は法的位置を回復する。
先週兵庫県知事選で、斎藤の広報を請け負ったとネットで自慢した折田某という人も慶応SFC出身らしい。
慶応SFCというと、竹中平蔵ー中室牧子のウルトラ・ネオリベラインを中心に、「詐欺師達」を次から次へと世間に生み出す印象である。
古市から始まって河合案里、西田亮介、その他スタートアップ屋がごまんといえる。
この折田という人も西宮の富豪の子らしいが、母と一緒にスタートアップ。主に自治体相手に取引と自撮りの動画で広告しているから、これまた税金にたかっている構図である。
それにしても、グラサンつけて税務署から出てきた所を部下に「社長!」と呼ばせ「Oui」と答える演出には引っ繰り返った。このグラサン・スタイルは日本を逃亡した際の三浦瑠麗を真似ているのかと思ったら、「これが自分のスタイル」と云ふ。
スタートアップの動機が「パリのお洒落さが日本には足りない」とやらで「広報」してあげる代わりに税金頂くとはいい度胸である。
しかし電通自体は国と選挙を主要取引にしている訳だから、ご本人は「業界の掟に従っただけかも」。
それにしても国鉄民営化(不動産)・郵政民営化(情報)・派遣解禁(パソナ)と木庭さんの言うように基本的に「闇の勢力」は財政にたかり続けている。しかし、それももう長くはもつまい。
「ヒトラーが1924-29年まではN国の立花なみの「ゴロツキ」と見做されていた」には補足が必要です。
ヒトラーは1923年、ミュンヘンでワイマール共和国打倒の暴動に、旧ドイツ国防軍元帥ルーデンドルフ、旧バイエルン首相カールとともに参加。この際の蜂起は失敗、ヒトラーは大逆罪で逮捕。
しかし、刑務所での待遇は極めて良好、ここでヒトラーは『わが闘争 Mein Kamp』を口述筆記、わずか半年で釈放される。
これはドイツの旧支配層が「反ワイマール」・「反共」の立場からヒトラーに意図的に「情状酌量」したため。また20年代の低迷期にも、ナチスには資本家から大量の資金が流れて組織を維持。
この間、ナチスは表向き「反資本主義」、「国民社会主義」を唱え、自営業者や大学生などの支持を確保していく。
この所謂「ナチス左派」の主張は要するに現代日本の「手取りを増やす」派と変わらない。勿論、反ユダヤ主義・外国人排除も忘れてはいない。
資本家・旧支配層はナチスの「反資本主義」が「似非」であることを知っているがこそ、援助を続けた。
有名な33年の授権法も保守党と「中道」の中央党の賛成を得たからこそ、形式的にも「合法的」に成立した。
況や日本の「極右」と同居している「中道保守」など全く頼りにならない。
「支援者のスアレス弁護士によると、日本軍は「赤い家」と呼ばれる軍司令部に女性たちを連行。1~3日間監禁し、兵士らが強姦や性的虐待を繰り返した。大半は当時9~14歳の少女だったという」
【日本軍の集団強姦で賠償を フィリピンの被害女性らが訴え】 2024/11/23 - 共同通信 https://nordot.app/1233006605470581216
BT
こういう素直で勤勉な女性三世代を同じ職場で低賃金労働させている事実を、
なんとなくほっこりする素敵ニュース風に伝えているの、怖いです。
こうやって、女性三世代のほほえましい写真を見せられると、素敵だなと思いますし、なんとなく和んでしまいますが、
軽い障害があっても、
既婚女性でも、高齢でも
働けますよ、という
マクドナルドのイメージアップ戦略なのだと思います。
昨年9月にも、「マクドナルドで働く90歳の女性」をポジティブに紹介する記事がでましたが、
あくまでも低賃金労働に
なるべく多くの人間を従事させたいのだというマクドナルド及び産業界の強い意向をどうしても感じてしまいます。
QT: https://fedibird.com/@YahooNewsBot/113531993023412936 [参照]
「お知らせ」
2020年に社会思想史学会のシンポジウムで行なった報告を基にした論考、
「社会批判は尚も可能かー「今」でなければいつ?」
が以下のホームページで閲覧・PDFダウンロードできるようになっているようです。
もしご関心のある方がいらしたら、ご笑覧下さい。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shst/45/0/45_51/_article/-char/ja
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年