18世紀仏啓蒙の中ではヴォルテールと共に「穏健派」とされることが多いモンテスキュー(急進啓蒙はディドロ、レナル)。
ただし、男女間の関係についてはモンテスキューはルソーより「急進的」。モンテスキューによれば「男女は本来平等であったにも関わらず男が自己の力によって、また女の柔和さを利用して専制的な立場にたっているのであり、今や本来の平等が回復されなければならない」。この「専制」はモンテスキューのテクスト全体を貫くキーワードでもある。
これに対し、ルソーは男女は生物学的性差に基づき、異なる社会的役割を担わなければならない、とする。「能動性、強さ、意志、天才」は男に、「受動性、弱さ、従順、才気」は女に割り振られる。
女性は家計を担当する妻に、男は政治社会に参加する家長=市民に。この家長=市民はカントにおいても同様。
これが19世紀家族モデルの原型となり、18世紀より女性の地位は低下していく。モンテスキューは女性の地位がブルジョアより相対的に高かった18世紀貴族社会のモデルをさらに急進化しらとも言える。というのは、モンテスキューは貴族による王権の規制を唱える「過激な」保守主義者でもあるからだ。
ドイツではフィヒテは家長モデルを捨てるが、ヘーゲル、サヴィニーによって再び家長は法的位置を回復する。